栗山林太郎は正義のヒーロー、ビクトグリーンである。
平和を愛し、平和を乱す者には一切の手心を加えない。
それが栗山林太郎という男の、ヒーローとしての矜持であった。
多くの怪人から恨みを買っていることは、今更改めて説明するまでもない。
「くたばれぇビクトグリーンおらウィッッ!!」
「ビクトグリーンめッ! このビクトグリーンめッ!!」
「チェストォーッ! ビクトグリーンにチェストーーッ!!」
ここはアークドミニオン地下秘密基地の奥深く、ザコ戦闘員の訓練用施設である。
黒いタイツにマスク姿の戦闘員たちが、林太郎の顔が描かれた人形をボッコボコにしていた。
ちなみに元来、ヒーローの素性は個人や家族の安全を守るため秘匿されている。
しかしデスグリーンの顔がビクトグリーンと生き写しであることは、先日の水族館での騒ぎをサメっちが喧伝しまくったため今やアークドミニオン中に知れ渡っていた。
「このビクトグリーンがッ! このゴミキメラ野郎がウィッ!!」
「ビクトグリーンなんかこうだ! こうしてこうして、こうだウィッ!!」
「死ねェーッ! ビクトグリーンはもう死んでるけど重ねて死ねェーーーッ!!」
そんな鬼気迫る様子を真顔で見つめる男がいた。
ビクトグリーンこと、栗山林太郎ご本人である。
「いつ見ても迫力あるッスねえ、どうっすかアニキ?」
「どうと言われても、何なのコレ? 拍手でもすればいいの?」
「アニキには、今からみんなの相手をしてもらうッスよ」
「「「「「ウィーーーーッ!!!」」」」」
どうしても見てほしいものがあると、少女に誘われ連れてこられた闇の底。
これから林太郎は、むくつけき30人ものザコ戦闘員たちに襲われるらしい。
一緒に連れてこられたソードミナスに至っては、小さくなってブルブル震えている。
「りりり、林太郎。おまおま、お前の尊い犠牲は終生忘れないと誓おう」
「そうやって俺の尻を憐みの目で見るんじゃない! どういうことか説明してくれるかなサメっち?」
サメっち曰く、ソードミナスとの戦闘を繰り広げる林太郎の動画が、アークドミニオン内で出回っているらしい。
それを見たザコ戦闘員の教導係から、是非ともザコたちの指南をしてほしいと頼まれたのだという。
「サメっち、次回からそういうことは出発前にちゃんと共有しておこうね」
「はぁいッス」
「わかればよろしい。そういうことならさっさと終わらせよう」
そう言うやいなや、林太郎はサメっちから手渡された木刀を構えた。
流れの上で仕方なくとはいえ、まさか現役ヒーローが悪の組織のザコ戦闘員に稽古をつけることになろうとは。
「しっかし……似てるウィ……」
「ああ……ビクトグリーンにそっくりウィ……」
「本物のビクトグリーンを頭から貪り食ったらしいウィ……」
同じように木刀を手にしたザコ戦闘員たちが、口々にそんなことを言う。
似ているもなにも本人そのものなのだが、彼らからしてみればいきなり練習用の的に魂が宿ったようなものだ。
いざ手合わせといったところで、戸惑うのも無理はないだろう。
(……そのほうがこっちとしても楽だな。打ち合い稽古なんかで怪我してたまるかっての)
7つの組織を壊滅させた林太郎にとって、ザコ戦闘員の相手など慣れたものである。
ほとんどのザコはヒーローの放つ殺気だけで怯えすくむものだ。
「おう、軽い怪我で済むと思うなよ、十把ひとからげの三下ども」
「ひえぇぇ……いざ立ち合ってみるとおっかないウィ……」
「お、おおお、お手柔らかにお願いしますウィ……」
「あわわわわ……俺すこし漏らしちゃったかもウィ……」
林太郎の目論見通り、ザコ戦闘員たちは完全に委縮しきっていた。
これならたいした怪我もなく終われそうだ。
しかしそのとき――。
及び腰のザコ戦闘員たちの様子を見かねて、サメっちが口を開いた。
「フッ……アニキの真意を汲み取れるのはやっぱり、一番舎弟のサメっちだけみたいッスね……」
「知っているのかサメっち!?」
よからぬ予感に、林太郎の眉がピクリと動く。
そんな林太郎を差し置いて、サメっちは彼の与り知らない“真意”を語り始めた。
「いいッスか? アニキはわざと、ビクトグリーンの格好をしているんッスよ」
「なんと!? いったい何のためにウィ!?」
「それはずばり……みんなの戦闘意欲を高めるためッス!!」
「「「な、なんだってウィーッ!?」」」
林太郎と戦闘員たちの声が、綺麗にハモった。
デスグリーンは、あえて憎きビクトグリーンの姿をとっている。
ザコ戦闘員たちにとってそれは、雷を落とされたような衝撃であった。
そしてひとり、またひとりと静かに涙を流す。
「そうか……デスグリーンさんは俺たちにヒーローへの殺意をたぎらせるため、わざとあのお姿をされているんだウィ……!」
「自ら進んで恨みを買うことで、みんなに気を引き締めろと仰っているんだウィ……なんという尊い自己犠牲の精神なんだウィ……」
「心を鬼にした叱咤激励、その修羅がごとき心意気! 我々はデスグリーンさんの気持ちに全力で応えなければならないウィッッッ!!!」
ザコ戦闘員たちは木刀を捨て、剣やら槍やら斧やらとにかく殺傷力が高そうな武器を手にした。
黒タイツ&マスクの内側で、殺る気の炎がメラメラと燃え上がる。
「やってやろうウィ野郎ども! デスグリーンさんの胸を借りるつもりでウィーーーッ!」
「「「「「ウィーーーッッッ!!!!」」」」」
ザコ戦闘員たちのボルテージは最高潮に達していた。
たとえ腕の1本や2本千切れようとも、ビクトグリーンの喉笛を噛み切る覚悟がそこにはあった。
真顔の林太郎に対し、サメっちがグッと親指を立てる。
「アニキ、さすがッス! サメっちは魂が震えたッスよ!」
「サメっちには後でアニキから大事なお話があります」
手に手に狂気的な凶器を構え眼前に迫る、約30名のザコ戦闘員たち。
林太郎にとっては見慣れた光景であったが、その熱気たるやまるでフランス革命のバスティーユ牢獄襲撃部隊である。
「ウィーーーッ!!」
「あぶねぇなっ、このっ!」
「ヴィッ……!?」
目の前に迫る長槍の白刃を皮一枚でかわし、林太郎の木刀がザコ戦闘員のみぞおちを的確に射抜く。
返す刃で長槍を奪い取ると、林太郎は続けざまにその石突で詰め寄る3人の額を小突いた。
「おぉーっ、アニキかっこいいッス! ひゅーひゅーッス!」
「やはりすごいな林太郎。いったいどんな修行を積めばそこまで強くなれるんだ?」
「チョモランマで虎とモンゴル相撲を取ったとでも言えば満足してくれるかな!?」
外野のサメっちとソードミナスが茶々を入れるが、30人もの戦闘員に殺到される林太郎にはほとんど余裕と呼べるものがなかった。
なにせ倒したはずのザコ戦闘員が、気力で蘇ってくるのだ。
「うぅ……こんなところで倒れるわけにはいかないウィ……デスグリーンさんのためにも!」
「そうだ……確実に息の根を止めるつもりで、かからないとウィ……デスグリーンさんのためにも!」
「頼むから俺のためにさっさと倒れてくれよォッ!」
魂の叫び声が、アークドミニオン秘密基地に虚しくこだまする。
林太郎は肉薄する斧を紙一重でかわし、地面に刺さったところを踏みつけた。
そのまま勢い任せに、ザコ戦闘員の顔面を蹴り上げる。
もはや手合わせというよりも、時代劇の大立ち回りといった様相であった。
もちろんザコ戦闘員たちも、一方的にやられているわけではない。
「倉庫にあったマシンガンも持ってこーいッ! 戦車も出せウィーーーッ!!」
「「「「「ウィーーーーーッッッ!!!!!」」」」」
「ちくしょうこうなりゃヤケだ! かかってこいやクソザコどもがァーーーッ!!」
「さすがデスグリーンさん! ロールプレイも完璧だウィ!」
「うるせェ! 全員まとめて地獄送りだァーーーッッッ!!!」
――1時間後。
周囲に散らばる無数の折れた剣、おしゃかになったマシンガン。
炎を上げて沈黙する戦車、そして大地に倒れ伏すザコ戦闘員たち。
山と重なった残骸と屍の中心に、満身創痍の男が立っていた。
「はぁ、はぁ……生きてる……俺、生きてる……!」
「……みんなのために、最後まで人間態を貫くなんて……デスグリーンさん、俺ぁ一生アンタについていきますウィ……ガクッ」
肩で息をする林太郎の足元で、最後のザコ戦闘員が意識を失った。
それに重なるように、林太郎もバターンと倒れ込んだ。
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