――五年前――。
東京千代田区神保町、ヒーロー本部庁舎の前は物々しい空気に包まれていた。
幾重ものバリケードと即席の塀に守られた庁舎は、まるでそびえ立つ城塞である。
「いいか諸君、怪人どもの好きにさせるな! 正義は必ず勝つということを思い知らせてやるのだ!」
「「「おおーーーっ!!!」」」
庁舎を守るのは、関東中から集った総勢百名を超えるヒーローたちであった。
平時は各々の担当地区で治安を守る彼らが緊急招集された理由、それは。
「おいでなすったぞ!」
ヒーローのひとりが叫びながら最新式の光線銃を構えた。
覗き込んだ照準の中心に、すぐさま標的の姿が捉えられる。
それは、二足歩行する巨大な“熊”であった。
否、都心に迷い込んだ熊程度であったならば、どれほど気が楽であったことか。
少なくとも、あれは猟友会の手に負えるようなものではない。
熊はマントを羽織り、腰にはチャンピオンベルトを巻いていた。
「いよお、出迎えご苦労さん」
鋭い牙の並んだ真っ赤な口から、人の言葉が発せられる。
言語は、野獣ならばけして持ちえぬ知性の象徴だ。
野獣の肉体と、人の知性を併せ持つ。
その危険性を理解できない者は、この場にはひとりもいない。
「あれがS級指名手配怪人……百獣怪人ベアリオン……!」
「怯むなよ、数はこちらが有利なんだ。もっと引きつけてから一斉に撃て」
「こんな小さな銃で通じるのかよ、あれに……」
遠くからでもわかる絶大な筋肉量は、あれが人類はおろか熊さえも遥かに凌ぐ超生物であることを雄弁に物語る。
だが局地的人的災害の恐ろしさは、生物的な優位性だけに留まらない。
「ガハハハハ! またずいぶんと数をそろえたもんだなあ。食い放題だぜえ」
ベアリオンは耳まで裂けた口でニイッと笑うと、丸太のような剛腕を振り上げた。
一瞬身構えたヒーローたちであったが、すぐにそれが攻撃ではないと悟る。
「野郎ども、餌の時間だあ!!」
号令であった。
ベアリオンの呼び声に応じるように、ビルの屋上から、マンホールの下から、同じく半獣半人の怪物たちが次々と姿をあらわす。
「げひゃひゃひゃーッ! オイラの爪がてめらの血を浴びたいってよぉーッ!」
「この世は弱肉強食、諸行無常だワン……悲しいワン……口惜しいワン……」
「グシャシャ! この大顎怪人パニックダイルさんがひとり残らず噛み砕いてやるぜ!」
怪人の数はあっという間にヒーローたちを凌ぐほどに膨れ上がった。
ある者はビルの外壁をまるで水平な地面のように這いまわり。
またある者は巨大な翼で狭い東京の空を自由に飛び交う。
周囲に充満する殺気で空気がビリビリと震え、大地が微かに揺れる。
参謀官らしきネコミミの女怪人が、怪人たちの中から一歩進み出てベアリオンにかしずく。
「オジキ。百獣大同盟の本隊三百、全員集合しましたニャン」
「おう、ご苦労さん。そんじゃあそろそろおっぱじめるぜえ、“晴香”の奪還作戦をよお! 食い散らかせ野郎ども!!!」
「「「「「ガオオオオーーーーーッッッ!!!!!」」」」」
脅威は巨大な群れを成し、怯え竦むヒーローたちに襲い掛かった。
…………。
“百獣大同盟”
関東一円を支配する、日本最大規模の怪人組織である。
地下組織のため正確な数が不明だが、構成員は数百とも一千を超えるとも言われている。
ただひとつ確かなことは、構成員のほぼ全てを獣系怪人が占めているということだ。
元来屈強な怪人の中でも、獣系怪人の身体能力は群を抜いている。
比較的弱い個体でも、武装した一個小隊程度であれば返り討ちにあうのが関の山だ。
その獣系怪人が一千体も集まれば、もはや組織というよりも『国』である。
国民ひとりひとりが爪を有し、牙を有する強大な軍事国家なのだ。
そんな超規模怪人組織・百獣大同盟の頂点に君臨していたのが、大頭目“百獣怪人ベアリオン”であった。
ヒーローたちの部隊を一通り蹴散らしたベアリオンは、太い腕を組んでほとんど消化試合と化した戦いの趨勢を見守っていた。
「ヒーローどもは総崩れニャン。庁舎を占拠できるのも時間の問題ニャンな」
「ガハハ! 勝ったなあ! 思ったより楽勝じゃねえかあ」
「当たり前ニャン。百獣大同盟はもともと晴香さん奪還作戦のために作り上げた組織ニャンな。きっちり役目は果たすニャンぞ」
晴香という名に、ベアリオンはどこか遠くを見つめるように目を細める。
そのとき、ベアリオンの視線の先で十体ほどの怪人の一団が空高く吹き飛ばされた。
「ワニィィィィーーーーーーーッッ!!」
「ああっ! パニックダイルさんがまたやられた!」
もうもうと舞う土煙の中、数百の怪人に臆することなく三つの影が立ちはだかる。
「レッドファースト!!」
「ブルーセカンド!!」
「イエローサード!!」
「「「三人そろって、加速戦隊トランスミッション!!」」」
赤、青、黄。
三人の戦士は決めポーズを取り、名乗りを上げる。
彼らこそ、ヒーロー本部が誇る“エース”を抱える部隊であった。
ヒーローとは対怪人に特化した戦闘のエキスパートであり、同時に国家公務員でもある。
公務の中で特に優秀な成績を修めた者には、年度毎に最優秀ヒーロー賞と共にエースの称号が贈られるのだ。
「なにがトランスミッションだ! しゃらくせぇ!!」
「今日の僕たちは退けないワン……覚悟するワン……!」
数では圧倒的に勝る百獣大同盟の怪人たちが、徒党を組んでトランスミッションに襲い掛かる。
――しかし――。
「「「アクセル全開! フルシンクロバースト!!」」」
三人の戦士は、迫りくる怪人たちを難もなく鎧袖一触に弾き返したではないか。
勢いに任せて前線を打ち破った百獣大同盟であったが、破竹の進撃はたった三人のヒーローに阻まれた。
百獣大同盟が最大の怪人組織であるならば、加速戦隊トランスミッションとはつまり最強のヒーロー部隊なのだ。
「さあ怪人たちよ、どこからでもかかってくるがいい!」
部隊のリーダー、レッドファーストは確かな手応えを感じながら拳を握りしめた。
東京所属エリート部隊としての矜持か、はたまた実力に裏打ちされた自信のあらわれか。
なんにせよ屈強な獣系怪人が束になったところで、彼らに歯が立たないことは証明された。
たとえ数百体もの怪人が押し寄せようとも、彼らトランスミッションがいる限り、正義が敗れることはけしてないのだ!
戦え、加速戦隊トランスミッション!
勝利に向かって全速前進だ!!
「百獣の王ラリアットォォォッッッ!!!!!」
「「「ゲッファァァァァァーーーーーッ!!!」」」
一撃であった。
稲妻の如き速さで振り抜かれた剛腕が、三人のエースをまとめて虚空の彼方へと弾き飛ばした。
お星さまとなったトランスミッションにかわり大地に立つのは、全身の筋肉を隆起させた大熊・百獣怪人ベアリオンである。
自ら最前線に立ち“エース”を食らったベアリオンの活躍に、怪人軍団から大歓声があがる。
「これがエースかあ? ガハハハハ! ヒーローの質も落ちたもんだぜえ!」
「オジキすごいニャーン! かっこいいニャーン!」
「さすがだワン……僕たちの憧れだワン……」
加速戦隊トランスミッションが別格の強さを誇るヒーロー部隊ならば、百獣怪人ベアリオンはまさに破格の大怪人なのである。
もとよりそうでなくては、一千人規模の怪人組織をまとめげることなどできはしない。
虎の子のエース、トランスミッションが一発退場したことで、もはや百獣大同盟の前に障害はなくなった。
おそれをなしたヒーローたちが、我先にと庁舎の中へと避難する。
だがそこも蹂躙されるのは時間の問題だ。
なにせ奪還作戦の目的は、まさにその庁舎の地下にあるのだから。
「よおしお前らあ、門が開いたぞお! 一気に雪崩れ込んで制圧してやれえ!」
「ちょっと待つニャン、オジキ! 誰か出てきたニャンな」
色とりどりのヒーローたちが、逃げ惑う中。
人の流れに逆らうように、それでいながらまるで散歩でもするかのように泰然と。
庁舎の中からひとりの女が歩み出てきた。
怪人襲撃騒ぎの中でただひとり、変身もせず白いジャケットを羽織った姿は明らかに周囲から浮いていた。
女は微かにブラウンがかった長い髪の先をつまむと、怪人軍団の先頭に立つベアリオンに対し、眼鏡越しに冷たい目を向けた。
「なんだあ……?」
獣としての勘か、それとも生命としての根源的な畏怖か。
氷のような視線に貫かれたベアリオンは、己の全身の筋肉がかすかに震えるのを感じた。
いままで対峙した十把一絡げのヒーローどもとは明らかに違う。
彼女から発せられる危険の香りは、人というよりも兵器に近い。
ベアリオンは直感的に気づいた。
「てめえが、“エース”かあ……」
「……………………」
女はなにを語るでもなく、左腕に装着されたギアを構え、スイッチを入れる。
「イグニッション」
氷河を思わせる銀色の輝きが女の全身を包み込む。
わずか数秒にも満たないうちに、女は銀のスーツを身にまとった戦士へとその姿を変えていた。
結論から言えば、ベアリオンの見立ては当たっていた。
加速戦隊トランスミッションが誇るヒーロー本部最強の戦士は、あの三人ではない。
ここにいる四人目の戦士こそ、正真正銘の『エース』なのであった。
――その名は――。
「シルバーゼロ。公務を執行します」
新作並行連載はじめました!
生涯現役おじレッド
~新しいブルーがどう見ても姪なんだけど~
https://novelism.jp/novel/ow9HjwAmSGuwl4UQy0nBeQ/
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