さいたま新都心で林太郎と桐華が壮絶な泥仕合を展開していた頃、神保町では誰しもが予想だにしない大事件が起きていた。
ここは国家公安委員会局地的人的災害特務事例対策本部、またの名をヒーロー本部。
長ったらしい正式名称の“局地的人的災害”とは端的にいうと怪人のことを指している。
すなわちヒーロー本部とは、怪人案件専門の処理を担う行政機関である。
そのヒーロー本部が、巨大な怪人たちによって今まさに処理されようとしていた。
「メガロドンキーーーックッス!」
「百獣の王ラリアットォォォ!!」
「フルパワードロップ蹴兎ッッ!!」
巨大ロボならともかく、ただの鉄筋建造物が60メートル級の怪人による猛攻を耐えられるはずもない。
ヒーロー本部庁舎は5分ともたずに瓦礫の山と化した。
「ヒーローたちはどうした!? なぜ出動しない!?」
「あなたがたがさいたま新都心に総動員をかけたんでしょうが!!」
「なんだよその言い草ァ! ぼぼぼ、僕は作戦参謀本部の次官だぞっ!!」
「だから作戦参謀本部のせいだって言ってるんだよ!!!」
職員たちは恐慌状態に陥り、互いをののしりながら地下を通って避難した。
もはやヒーロー本部の矜持を守らんとする者は誰もいない。
その男ただひとりを除いて。
「せっかくだから地下収容施設に捕まってる怪人たちも助けるッス。サメっちスコップ持ってきたッス」
60メートル級のサメっちが取り出したスコップは、当然のことながら一緒に巨大化してはおらずまるで爪楊枝のようであった。
「おいサメっち、それ手で掘った方がはやくねえかあ? おいウサニー! お前掘るの得意だろ、やってやれ!」
「はっ! では不肖ながら私めにお任せください!」
百獣軍団のナンバー2、ウサニー大佐ちゃんはベアリオン将軍に頼られたのがよほど嬉しいのか、目を輝かせながらビシッと敬礼した。
「よぉし目玉をひん剥け新兵ども! 私自ら手本を見せてやるからママのシチューみたいにありがたく思え!」
地上でそんなやりとりがなされている頃、地下ではある男が精神統一をしていた。
真っ赤なヒーロースーツに身を包み、その上から襟の立った大きなマントを羽織る。
その頭の大半は年季を感じさせる白髪が占め、眉間には深い皺が刻まれていた。
しかし全身を覆う岩のような筋肉は、68歳という年齢をまるで感じさせない。
「守國長官、マスクです」
「うむ、ご苦労」
ヒーロー本部長官、守國一鉄は元補佐官の鮫島朝霞から少し色あせた赤いマスクを受け取った。
そしてゆうに20年ぶりとなるそれを頭に被る。
初代ヒーロー、ジャスティスファイブにはビクトリー変身ギアのように便利な変身ツールは存在しないのだ。
「守國長官、ご武運を」
「朝霞補佐官……いや、今は朝霞司令官か。お前のことはガキの頃から知っているが、変わったな」
「変わった……と言いますと?」
「ようやく戦士の面構えになった」
守國はそれだけ言うと、丸太のように太い脚で地面を蹴った。
「トウッ!」
天井を突き破りながら、一直線に地上を目指す。
そしてちょうど地面を掘り進めている巨大ウサニー大佐ちゃんの眉間に、振り上げた真っ赤な拳が命中した。
「みぎゃーーーッッッ!!!」
もんどりうって長い耳をバタバタさせるウサニー大佐ちゃんを尻目に、その赤い戦士は廃墟と化したヒーロー本部を取り囲む怪人たちを睨みつけた。
瓦礫の山の頂上に最古の戦士が降り立ち名乗りを上げる。
「アカジャスティス!」
真っ赤に燃える太陽のようなマスク。
拳を象ったゴーグルの内側では、未だ消えぬ闘志が燃える。
どシンプルな自己紹介と、両の拳を突き上げるだけのこれまたどシンプルなポージング。
体長60メートルの怪人たちに囲まれてなお、180センチメートルのその老体は存在感を示していた。
「ひとりだけヒーローが残っていやがったか! しゃらくせえ!」
百獣軍団でも最速の男、俊足怪人チータイガーの巨大な拳が小人のような守國に向けられる。
60メートル対180センチ、圧倒的なサイズ差によりアカジャスティスの身体は一瞬にしてぺちゃんこになるかと思われた。
――しかし。
「アカパンチ!」
アカジャスティスこと守國は、なんとその巨大な拳と正面から打ち合ったではないか。
それだけに留まらず、続けて目を疑うような光景が繰り広げられる。
「な、なんだ!? うおおおおおおおおっっっ!?」
吹っ飛ばされたのは、チータイガーの巨体のほうであった。
物理法則さえ無視する圧倒的な強さに、巨大怪人たちの間にも動揺がひろがる。
守國はゴキゴキと肩を回すと、改めてファイティングポーズを取った。
「俺の時代には、ロボットなんて便利なものは無かったんだ。どうやってデカい敵と戦ったと思う?」
その脚で地面を蹴り上げ、弾丸のように射出された守國は近場にいた牛のような怪人を殴り飛ばした。
60メートルの巨体がビルをなぎ倒しながらズシーンと倒れる。
「力いっぱい、ぶん殴ったのさ」
最前線で戦い続けて30年、引退してからも長官として国家の平和のために20年。
あわせて半世紀もの間、日本国を怪人という災害から守り続ける大ベテラン。
最古のヒーロー・アカジャスティスが10体を超える巨大怪人たちの前に立ちはだかった。
…………。
時刻は少し戻って、さいたまスーパーアリーナ。
ひとり待ちぼうけを食らっていたソードミナスは、数百メートル離れた位置からその爆発音を耳にした。
「うわ、もうはじまった!」
立て続けに夜空が明るく輝き、無数の銃声が響き、爆発音も徐々に規模の大きなものになっていった。
“林太郎の眼鏡をかけて待つ”以外に何の指令も受けていないソードミナスは、一瞬迷いはしたものの気づけば音のするほうへと駆け出していた。
刃物を無限に生み出すという凶悪な性能に反し、怪人としては弱い部類に入る自分でも何か役に立てることはあるはずだと。
「はあっ……はあっ……走るのしんどい……死ぬぅ……ささ、寒い……」
つい2週間ほど前まで地下で監禁生活を強いられていたソードミナスにとって、はやる気持ちとは裏腹に数百メートルのダッシュは身体にこたえた。
そんなソードミナスの視線の先に、ちらりと赤い半袖が見えた。
「ひぃっ! し、死体!」
「うぅ……」
赤い半袖の男・暮内烈人は全身に火傷を負い、白目を剥いて気を失っていた。
しかしソードミナスが近づくと人の気配を感じたのか、わずかなうめき声を上げた。
「よかった生きてる! しかしマズいな、一般人が残っていたのか。人払いは済ませたと思っていたのに」
ソードミナスは持ち歩いていたバッグから軟膏とガーゼを取り出すと、半袖の男を手際よく治療した。
このところずっとアークドミニオンの医務室に詰めていることからわかる通り、ソードミナスこと剣持湊には医療の心得がある。
怪人として覚醒する前は外科医を志す医大生であった。
「まるでバイクで転んだ上に高圧電流を浴びて、おまけに爆発で吹き飛ばされたかのような重傷だな……。半袖なのは脱がす手間が省けて助かるけど」
これは脱げたわけではなく、最初から半袖だったのだ。
暮内烈人は12月真冬の深夜に、半袖でバイクに跨って東京から走ってきたのだった。
「あれ? なんかあったかい……」
烈人の周囲は何故か気温が10度ほど上昇するのだが、気絶していてもその体質は健在であった。
ソードミナスが烈人に包帯を巻きながら暖を取っていると、突然電子音が鳴り響く。
ピピピポポポピ!
驚いたソードミナスが音の出どころを探ると、男のポケットからひとつの小さな機械が出てきた。
それは紛れもない“ビクトリー変身ギア”であった。
「ひえーーっ! へへへ、変身ギア!? この人一般人じゃなかった!!!」
ソードミナスは飛び上がって頭を抱えた。
そして運の悪いことにその拍子でビクトリー変身ギアを落としてしまい、通話が繋がってしまった。
ビクトリー変身ギアからは持ち主の名を呼ぶ声が響く。
『あっ、やっと繋がった! こちら待機班! ビクトレッド、応答せよ! 本部と連絡が取れない、そちらの状況はどうなっている!?』
それはさいたま新都心郊外に動員されたヒーローたちからの安否確認であった。
『応答がないな……ビクトレッドの身に何かあったに違いない! 総員、出動準備だ!』
「おおお!? それはマズいぞ……援軍はマズいっ!」
ソードミナスは慌ててビクトリー変身ギアを拾い上げた。
しかし拾ってはみたものの、どう対処すればいいかまるでわからない。
だがこのまま放置すれば、待機しているヒーローたちがこの場に向けて殺到してくることは避けられないように思われた。
林太郎とビクトブラックの戦闘に未だ決着がついていない今、敵の増援を呼び込むことはなんとしても避けるべきである。
「ほおおお……! どどど、どうしたら……! そうだ、この男のふりをして応答するんだ!」
迷いに迷った結果、ソードミナスは烈人を装って別動隊の連中を足止めする作戦を思いついた。
しかしソードミナスには暮内烈人なる人物がどのような声で、どのような喋り方をするのか見当もつかない。
わかっているのは焼いているのか元々か、肌が浅黒く半袖であることぐらいだ。
(色黒で半袖……夏……海……ナンパ系?)
これらの情報からソードミナスのイメージするレッドの人物像とは。
『ビクトレッド、応答せよ!』
「あ、もっしー。オレオレ、ビクトレッドっしゅ。デスグリーンとか、マジよゆーのワンパン? みたいな? だから応援とかマジいらないってか、もうさっさと帰れば的な? わんちゃんバイブスあげてく系のやばたにえんみたいな?」
『総員出撃準備ィィィィィッッッ!!!!!』
「ななな、なんでだーーーっ!?」
郊外に控えていたヒーローたちが、林太郎たちが戦う市街地目掛けて一斉に出動した。
ソードミナスは林太郎に援軍が迫っていることを伝えるべく、激しい剣戟が聞こえるほうへと走った。
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