極悪怪人デスグリーン

~最凶ヒーロー、悪の組織で大歓迎される~
今井三太郎
今井三太郎

第五十三話「アニキとサメっち」

公開日時: 2020年9月6日(日) 12:03
文字数:4,479

 林太郎が持ち帰った解毒剤はことのほかよく効いた。

 黒い刀傷はみるみるうちに塞がり、ベアリオンとウサニー大佐ちゃんの顔色はどんどん良くなっていった。


「ありがとう林太郎。ビクトレンジャーとやりあったんだって?」


 白衣のソードミナスが心配そうに問いかけるが、林太郎は何もこたえない。

 林太郎は桐華にしてやられた傷の手当てを受けていた。


「よかったな、肩の傷は浅いぞ。……ん? おい林太郎、拳も怪我しているじゃないか!」


 ソードミナスの手が林太郎の手に触れる。

 林太郎は驚いたようにその手を振り払った。


「すまない、痛かったか? すぐに消毒を……」

「……ごめん、ソードミナス。大丈夫、ちょっとしたかすり傷だよ」

「おい林太郎……!」


 林太郎は己を呼び止めるソードミナスに『大丈夫、大丈夫だから』と生返事を繰り返す。

 そのままフラフラとした足取りで医務室を後にすると、自分の部屋へと戻った。


 今夜サメっちは医務室にお泊りである。

 誰もいない部屋は妙に広く感じた。


 ふかふかのベッドに身体を埋め、静かに目を閉じる。

 起きていても嫌なことを考えてしまうだけだ。


「……負けたなあ……」


 アークドミニオンはこれまで、状況だけを鑑みれば黛桐華に対し2度の撃退に成功している。

 しかしことデスグリーンの戦績だけを見ると惨敗を喫していた。


 2度の敗北は、林太郎にとって大きなショックであった。


 才器あふれる後輩に、埋められないほどの実力差を見せつけられたことへのショック。

 絶対の信頼を置いていたデスグリーン変身ギアを、まるで活かせなかったことへのショック。


 そしてなにより“勝利”を得られなかったことそのものが、林太郎の心に大きな影を落としていた。


 勝利こそがヒーロー時代から林太郎を支え続けた、唯一のアイデンティティーであったからだ。



 …………。



 翌日、翌々日と、林太郎は部屋から一歩も外に出なかった。


「デスグリーンさん元気出してくださいよー! 負けちゃっても気にすることないですよー!」

「ああ、おいたわしやデスグリーン様……! 私でよければご相談に乗りますよ!」

「デスグリーンさま、おはぎを握りました……ぜひお召し上がりくだされ……」

「林太郎、食事ぐらい摂ったらどうだ。みんなも心配しているぞ」


 いろんな怪人たちが心配して様子を見に来てくれたが、林太郎はそのたびに言葉を交わすこともなく追い返した。


 コテンパンに負けた自分は、もはやみんなが期待する最凶のデスグリーンではない。

 この期に及んで、合わせる顔などありはしないのだ。

 ベッドに顔を伏せて、苗床のようにじっとしているのが一番気が楽なのだ。



 キイ……と静かに部屋の扉を開き、またひとりの怪人が林太郎の様子を見に来た。


 青いパーカーフードに、林太郎よりも頭ふたつ低い背丈。

 亜麻色の前髪のあいだから、少し欠けた月のように丸くて大きな目が覗く。


「……アニキ!」


 今一番会いたくない相手であった。


 林太郎は仕方なくゆっくり身体を起こすと、ベッドに腰かけ少女と向き合った。

 そんな林太郎の心中を知ってか知らずか、サメっちは構わず言葉を続けた。


「奇蟲軍団の拠点が襲撃を受けたッス。被害状況は確認中ッスけど、ザゾーマ将軍も深手を負ったらしいッス」


 林太郎は耳を疑った。

 あのザゾーマが負けた?

 にわかには信じがたい話である。


「誰にやられた? ビクトレンジャーはしばらく動けないはずだぞ」

「ビクトブラックひとりにやられたッス」


 ビクトブラック――――黛桐華。

 当然のように、その名前が出てくる。


 一度辛酸をなめた相手に、わずか数日でリベンジを果たしたというのか。

 彼女の動きは予想よりも遥かにはやく、そして的確だ。


「そんなバカな話があるか。いったいどうやって……?」

「水道に殺虫剤を入れられたッス! それと同時に拠点の周りで白い煙が……」

「バ●サンにやられたのあの人!?」


 奇蟲軍団の敗因は想像よりも遥かに情けなかったが、確かに効果的だ。

 もし林太郎がビクトレンジャーに籍を残していたなら同じ手を使っただろう。


「他の拠点も次々と破壊工作を受けてるッス! アニキ、はやくみんなを助けに行くッス!」


 林太郎の背筋に冷たい汗が流れた。


 助けにいくということは、あの黛桐華と戦うということである。

 極悪怪人デスグリーンの上位互換ともいえるあの女と、また剣を交えなければならない。


「お、お腹が痛いからまた今度にしよう」


 もうこれ以上負けたくない。

 そんな気持ちが林太郎の心を埋め尽くしていた。


 アークドミニオンにおける極悪怪人デスグリーンの存在意義とは“勝利”である。

 怪人たちの前に、ある日突然颯爽と現れた悪のカリスマ。

 ヒーロー相手に連戦連勝を誇る最凶の怪人、それがデスグリーンである。


 勝ち続けなければ、何も得られない。

 地位も、名誉も、仲間も、信頼も、負け続ければその全てを失う。

 いずれは、目の前にいるこの少女さえも。


「ダメッスよアニキぃ! アニキ以外じゃビクトブラックの相手にならないッスよぅ!」

「いいかいサメっち。勝てない相手に挑んじゃいけない、これは兵法の基礎だよ?」

「だいじょぶッス! アニキなら勝てるってサメっち信じてるッス!」

「何を根拠に言ってるんだいサメっち? 相手は正真正銘の化け物だよ?」


 思いがけない林太郎の弱音にサメっちは一瞬戸惑ったが、すぐに気を取りなおした。

 そして少し頬を赤らめながら、林太郎を元気づけようと言葉を続けた。


「アニキ、そんなこと言わずに頑張ってッス! それに負けちゃってもサメっちはアニキのこと大好きッスよ!」

「勝たなきゃ意味ないだろうが!!!」


 林太郎の怒声が部屋に響いた。

 サメっちは思いがけない林太郎の剣幕に、驚いて肩をビクッと震わせる。


「……負けちゃってもいい? そんな甘っちょろいこと言ってるからいいようにやられるんだ。結果を残すことが全てなんだよ。そのために必要なのは完璧な作戦か、強力な兵器か、圧倒的な才能だ。頑張れなんて言葉じゃあない」

「あ、アニキ……?」

「俺はね、精神論で強くなれるっていうなら根拠を示せって言ってるんだ。そんな心持ちひとつで難局を打開できるならとっくの昔にそうしてるさ。何もせずに結果を出せるほど甘くないんだよ現実ってのはさあ!」


 そこまで言い切って、林太郎は我に返った。

 サメっちは今にも泣きそうな顔で林太郎を見つめていた。


 年端もいかぬ少女相手に、いったい何をムキになっているのだろう。

 焦って子供に当たったところで、それこそ何の解決にもならない。



「……ごめんよサメっち。アニキはちょっと疲れてるみたいだ。ひとりにしてくれないか」



 林太郎はベッドに腰かけたまま、サメっちに背を向けてそう言った。

 こんな自己嫌悪に満ちた顔を、サメっちには見られたくなかったのだ。


 何も言わず、ゆっくりと林太郎から離れていく小さな気配。

 キイ……パタンと扉が閉まり、部屋には静寂が訪れた。


 薄暗い部屋の中で、林太郎はまた独りになった。



「ちくしょう……」



 林太郎の暗く澱んだ目にジワリと涙が浮かぶ。


 栗山林太郎という男は、どうしようもなく自分が嫌になった。


 戦って勝つこと以外に、なんの才能もない自分。

 後輩に才能でねじ伏せられる、弱い自分。

 いたいけな少女に八つ当たりをする、情けない自分。


 才能のなさゆえに見放され、弱さゆえに愛想を尽かされ、情けなさゆえに孤独への道を進む哀れな自分。


「……ちくしょう……ちくしょうッ……」


 悔しさがついに、大粒の雫となってこぼれ落ちた。

 大のおとなが柄にもないと、必死に止めようとしても、それは後から後からあふれ出た。


 指先が震え、冷え切った拳が今になって痛みを訴える。



「…………っ!?」



 その林太郎の肩を、細い腕が包み込んだ。

 背中に感じる確かなぬくもりは、小さくはやく鼓動を打っていた。


「……アニキ。寂しいときはひとりで泣いちゃダメって、お姉ちゃん言ってたッス」

「サメっち……?」


 ふんわりと石鹸と少女の香りが林太郎の鼻をくすぐる。

 気づくと林太郎は、サメっちに背後から優しく抱きしめられていた。


「どうして……? ひとりにしろって俺……冷たく突き放して……」

「ごめんッス。サメっち悪い子だから、アニキの言いつけ守れなかったッス」


 サメっちは照れ臭そうに言った。


「俺……負けちゃったんだよ?」

「まだちょっとピンチなだけッス。アニキが今までいろんなピンチを乗り越えてきたこと、サメっちこの目で見てきたッス」

「黛が……ビクトブラックが怖くて逃げだしたんだよ?」

「そりゃめちゃくちゃ怖いッスよ。アニキが実は怖がりだってことも、サメっちちゃんと見てるッス。怖がりだからこそ、すごく頭が切れるってことも知ってるッス」


 小さな手が、林太郎の頭を優しくなでる。


 いつも林太郎がサメっちの頭をなでるように。

 優しく、しっかりと、その存在を確かめた。


「サメっち……」


 名前を呼ばれ、サメっちは自分のほっぺたが赤く熱を帯びるのを感じた。

 心臓のドキドキがどんどん早くなっていくのを、林太郎に聞かれていると思うと恥ずかしくなった。


 だけどもう離れない、もう放さない、そう胸に誓って一生懸命言葉を紡いだ。


「サメっち最初に言われた通り、ちゃんとアニキのこと見てるッスよ」

「でもサメっちに当たり散らして……俺はアニキ失格だ」

「そんなこと言ったってダメッス! サメっちは誰にも一番舎弟の座は譲らないッスよ!」

「俺はサメっちが思ってるほどすごいヤツじゃない」

「サメっちは騙されないッス! アニキは勇気と機転で何度もサメっちを助けてくれたッス! アニキの凄さはサメっちが決めるッス!」


 サメっちは細い腕にギュッと力を込めて、アニキの小さな背中を抱きしめた。

 追いかけることしかできなかったその背中を、小さな身体で胸いっぱいに抱き寄せた。


「アニキがどれだけかっこいいか、どれだけ優しいか。サメっちがアニキのことをどれだけ大好きかは、サメっちが決めるッス! アニキがもしサメっちのことを大嫌いだって言っても、サメっちの大好きは変えられないッス!!!」


 林太郎は小さな鼓動を感じながら、静かに目を閉じた。

 もう手の震えは止まっていた。


 そしてゆっくりと少女の温かな手のひらに、自分の手のひらを重ねた。


「サメっち、まだアニキを信じてくれるかい?」

「もちろんッス! もし信じるなって言われても、サメっちはアニキのこと信じ続けるッス! サメっちは悪い子ッスから!」


 林太郎はサメっちの手を引くと、自分の胸に抱き寄せた。

 サメっちの小さな身体を抱きしめると、大人げなくわんわん泣いた。


「サメっちぃぃぃ!!」

「アニキぃぃぃ!!」

「うわああああああん!!!」

「わああああーーーーん!!!」



 ふたりは抱き合ったまま朝まで泣いた。




 ………………。



 …………。



 ……。




 ――――翌朝。


 林太郎の心は晴れやかであった、そこにもはや迷いはない。

 極悪怪人デスグリーンはもてる全ての力を駆使して、ビクトブラック・黛桐華に引導を下す。


「アニキ」


 泣きはらして真っ赤な目をしたサメっちが、ベッドの上から呼びかける。


「なんだいサメっち?」

「ちゅーしていいッスか?」

「10年はやいんだよ」


 林太郎はメガネをクイッと直しながら、笑顔でそう言い返した。


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