次に林太郎が目覚めたのは、真っ白なカーテンに囲まれたベッドの上であった。
身体を起こそうとするも全身にくまなく激痛が走り、切れた皮膚は熱を帯びていた。
「あっ、起きたッスか! 心配したッスよアニキぃーーッ!」
「いだだだだだだ! 死ぬゥ! サメっち離れて、アニキ痛すぎて死んじゃう!」
林太郎は意識を取り戻すや否や、サメっちにガバッと抱きつかれた。
全身を襲う痛みに再び意識を失いかけたところで、何とか踏みとどまる。
騒ぎを聞きつけて、長身の美女がひょっこりと顔を出した。
「目が覚めたか林太郎。応急措置はしておいたが、まだ身体は痛むみたいだな」
「ソードミナス、なんだその格好は?」
「これか……? いやその……無理やり着せられて……」
己の姿を指摘され赤面するソードミナスは、医者が着るような白衣を纏っていた。
長身ゆえか丈は少し足りないように見えるが、黒いロングヘアと相まってその姿はまるでやり手の女医である。
「アニキの手当ても戦闘員のみんなの治療も、全部ソードミナスがひとりでやったッスよ」
「ほー、そりゃ不幸中の幸いだな。お客様の中にお医者様がいらっしゃったわけだ」
「ははは……医者、というほどのものじゃないよ。その、昔……ちょっとな」
ソードミナスはそれ以上は言いづらい、といった風に目を伏せた。
触れられたくない過去、というものなのかもしれない。
それを察したのか、サメっちは花瓶の水を替えるといって医務室を出て行った。
小さな背中を見送ると、ソードミナスはポツリと呟く。
「あんな子供にまで気を遣わせてしまったな……」
「それサメっちの前では言わない方がいいよ。子供扱いするとすぐムキになるから」
「そうか、心得ておこう」
ソードミナスは眉毛をハの字にして、少し寂しそうにはにかんだ。
サメっちの“怪人大辞典”なるデータベースによると、ソードミナスが怪人覚醒したのは2年前、北海道での出来事だそうだ。
それ以前は医科大学に通う、ごく一般的な医大生であったと記録されている。
林太郎は自身の身体に丁寧に巻かれた包帯を見て、その記録が事実であると確信した。
しかし怪我を治そうと志す医者の卵が、刃物をバラまき人を傷つける怪人に転じてしまうというのはなんとも皮肉な話である。
そう考えるとソードミナスが過去を語りたがらないのは、当然のことであるように思えた。
かつて医療従事者であったという事実が、怪人覚醒の記憶と嫌が応にも繋がってしまうからだろう。
「ソードミナス、手当てをしてくれたことには礼を言う」
そこまで言って、林太郎は己の口から出た言葉に驚いた。
怪人としての彼女の境遇に同情したからではない、感謝するのは人として当然のことだ。
そう自分に言い聞かせる、当然のことなのだ“人”として、と。
「いやいやいや、いいんだ。私にはこれぐらいしか取り柄がないからな」
「……そんなことはないぞ、死ぬところだったんだから」
「いやほんとに、お礼とかいいから……ほんとに」
やけに謙遜するソードミナスを不審に思いながら、林太郎は己の腕に目を落とした。
“怪我をした覚えのない箇所”に巻かれた包帯から、じんわりと血がにじんでいた。
「なるほど、治療の割増サービスもやってるわけだ」
「すすす、すまないッ! うぅ……わざとじゃないんだよォ……」
「冗談だよ、助かったぞソードミナス」
林太郎が改めてお礼を述べると、ソードミナスは真っ赤になって黙り込んでしまった。
反応が面白くてついつい皮肉が増えてしまったが、少しいじめすぎたかもしれない。
恥ずかしそうにモジモジするソードミナス……|剣持《けんもち》|湊《みなと》を見ていると、林太郎はつい彼女が怪人だということを忘れてしまいそうになる。
サメっちの牙のように人間態でも怪人の一部が発現する者は多いが、ソードミナスにはそれがないからかもしれない。
ひとしきり反省すると、林太郎は痛む身体を無理やり引き起こした。
林太郎にはアークドミニオン秘密基地の情報をヒーロー本部に持ち帰り、ビクトレンジャーへの復帰を果たすという目的がある。
幸い骨は折れていないとなれば、いつまでもこんな場所で寝ているわけにはいかない。
「おい林太郎、無理をするな。まだ休んでいたほうがいい」
「大丈夫だって、俺はそこらへんのザコ怪人とは鍛え方が違うんだから……っと、あらっ?」
林太郎は気合いを入れて立ち上がろうとするも、脚に力が入らず体勢を崩した。
それは怪我云々以前に、この数日で溜まった心労からくる立ち眩みであった。
「危ないッ!」
とっさに支えようとしたソードミナスを巻き込み、林太郎はベッドに倒れ伏してしまった。
林太郎の傷ついた身体が、ちょうどベッドにソードミナスを押し倒すような形で覆い被さる。
鼻と鼻が触れ合うような距離で、お互いの視線が交わる。
「はわっ、はわわわわ! りりり、林太郎!? いきなりそういうのは、困るぞ!」
「違う! 誤解だっ! すまん、すぐにどくから!」
「はっ、まさか助けたお礼は身体でしてもらおうかとか、そういうあれなのか!? ケダモノなのか!?」
「誰がケダモノだッ! 俺はこう見えても平和主義者の紳士なんだぞ! ウグッ!?」
林太郎は身体を起こそうと腕に力を入れるも、傷だらけの身体は思ったように動かすこともままならない。
手のひらがシーツの上を滑り、離れようと持ち上げた頭が支えを失ってソードミナスめがけて顔から落下する。
ももにゅん。
「~~~~ッ!! ~~~~~~~ッッ!!!!!」
長躯の美女・ソードミナスが、声にならない声をあげる。
天国の雲のごとく柔らかな感触に両頬を包みながら、林太郎は気が気ではなかった。
昨今厳しいセクハラどうこうという問題以前に、命の危機が迫っていた。
回避不能の完全なるゼロ距離、この状態で刃物が射出されようものなら“包帯のおかわり”では済まない。
いくら動物好きであったとしても、背中に剣山を生やしたヤマアラシを“かわいーっ!”と抱きしめる愚か者がいるだろうか。
アイアンメイデンよろしく全身を刺し貫かれるのがオチであり、今の林太郎はまさにその状態にあった。
「わざとじゃない! わざとじゃないんらよォ!」
「んんっやめっ……りんたろぉ……動くな、で、出ちゃうからぁ……!」
背筋を凍らせるような脅迫の言葉は、妙に湿り気を帯びていた。
身をよじりながら自分の身体の中から湧き出る“モノ”に抗うソードミナスの顔は、もはや爆発寸前といった具合に赤く染まっていた。
その目には涙がにじみ、呼吸は荒く、力なく林太郎を押し返そうとする細い手はプルプルと震えている。
もはやこれまで、林太郎が心の中で『南無三!』と叫んだ、そのときであった。
「水替えてきたッスよ……はわぁーーーッ!! アニキとソードミナスがえらいことになってるッスゥーーーーーッ!!!」
サメっちの驚愕の叫びが、アークドミニオン秘密基地に響く。
その声を聞きつけて、秘密基地中の怪人たちが医務室に殺到する。
「どうしたーっ! なにがあったーっ!?」
「サメっち、今の叫び声はいったいなんだ!?」
「デスグリーンさんとソードミナスさんがどうしたって!?」
彼らが目にしたものは、ベッドの上で熱烈に絡み合う患者と女医の姿であった。
衆人環視をものともせず、林太郎は手と顔を駆使してたわわなみのりを揉みしだく。
「違うんだよみんな聞いてくれ、これはちょっとした事故なんだ……」
「……うっ、うっ……やっぱりケダモノだぁ……ひぃぃん……」
ベッドには無数の穴があいており、その下の床には大量の刃物が突き立っていた。
…………。
無数の完全武装したザコ戦闘員たちを相手に勝利を収め、返す刃で死も恐れぬ蛮行に及んだ林太郎の噂は一瞬で広まった。
そのあまりの豪傑ぶりに怪人たちは畏敬の念を込めて、彼のことを『不死身のデスグリーンさん』と呼んだ。
不死身の男は、丸2日間部屋から出てこなかった。
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