2月、ここは東北岩手県オンドコ沢。
真冬の帳に包まれた山中に、今日も真っ白な雪が降り積もっています。
東北地方でも特に寒さの厳しいこの地に、本当に私たちが捜し求める生き物なんているのでしょうか。
おや?
雪の上に真新しい足跡があります。
カメラと一緒にたどってみましょう。
いました……元気な野生の半袖です。
「おーっ、釣れた釣れた! 冬でも釣れるもんだなあー」
フワフワの襟巻を巻いた半袖の男が、半ば凍りついた川で釣りを堪能していた。
男の名は暮内烈人、元エリートヒーロー・ビクトレンジャーのリーダーにして、現在はオンドコ沢支部唯一の職員である。
文明社会の対極に位置する閑静な僻地に転属を命じられてから早2週間。
烈人は持ち前のポジティブさと生存本能により、オンドコ沢の苛酷な環境に適応していた。
「これはいい寒バヤだな! こっちじゃウグイって呼ぶんだっけ?」
烈人が意気揚々と魚を手元に手繰り寄せると、襟巻がモココッと動いた。
そして釣り上げたばかりの魚をパクリと食べてしまったではないか。
「あっ、こら! まったく油断も隙もないな! ……仕方ない、また釣るか」
そう言って烈人は怒る様子もなく、また釣り糸を垂らした。
襟巻に扮したキツネをはじめ、烈人を取り囲む野生動物たちが彼の釣果を見守る。
烈人がはじめてオンドコ沢支部を訪れたとき、最初に直面した問題は食料であった。
支部といっても電気すら通っておらず、ただ屋根と壁があるだけの掘っ立て小屋である。
当然のように扉に鍵はかかっておらず、野生動物たちが入りたい放題であった。
充分にあると聞かされていた備蓄食料は、全て彼らによって食い荒らされていたのだ。
風雪をしのげて食料もあるこの小屋は、野生動物たちにとってはオアシスである。
最寄りのコンビニまでは徒歩で3日かかる上、動物たちを追い出すこともはばかられた烈人はオアシスの住人となることを選んだのだった。
どれほど劣悪な環境であっても、住んでしまえば都というものである。
ただソファだと思って座ったら冬眠中のクマだったときは、流石の烈人も肝を冷やしたものだ。
「うーむ、釣れないな……仕方ない。今日も木の皮をゆでて食うか!」
烈人が立ち上がると、動物たちも彼にならって後をついていく。
けして懐かれているというわけではない。
これは彼の体質によるものだが、不思議なことに烈人の周囲は気温が10度ほど上がるのだ。
烈人は野生動物たちにとって、餌を供給してくれる動く暖房器具なのであった。
支部という名のあばら家に辿り着くと、烈人は自身の相棒たる固有武器“バーニングヒートグローブ”を装着した。
そして裏庭に自作した露天風呂に向かって、灼熱の炎を放つ。
「バーニングヒートグロォォォブ! よぉし湧いたぞ! みんな入れー!」
水面から湯気が立ち上るやいなや、キツネやサルやクマといった動物たちが我先にと湯船に飛び込んだ。
烈人も衣服を脱ぎ去り、その褐色の肌を野生動物の毛にまみれた湯舟に沈める。
日が沈むと木の皮を茹でたスープを動物たちと分かち合い、たくさんの動物の毛皮に囲まれて眠る。
なんやかんやで烈人はオンドコ沢での生活を堪能しつくしていた。
文明から隔絶されたサバイバル生活を、かれこれ2週間近く続けた日の夜。
その夜はいつもと様子が違った。
ロシアからの猛烈な寒気が北日本を襲い、外は1メートル先も見通せない猛吹雪であった。
ボロボロの屋根や壁がみしみしと不穏な音を響かせ、動物たちもなんだか落ち着きがない。
木々はざわめきながらその身に積もった雪を舞い散らせ、外気温はマイナス10度を記録した。
さすがの烈人も、小屋が壊れるのではないかという不安から眠れぬ夜を過ごしていた。
山に入る前、地元のお爺さんに聞かされた話を思い出す。
『冬ん山さへぇるのか……冬ん山さへぇっだもんはみんな死ぬ。男衆でも生ぎではもだらねぇ』
『ははは、いやまさかぁ! ちゃんとした施設があるって、ヒーロー本部の人も言ってたから大丈夫だよお爺ちゃん!』
『そんヒーロー本部の駐在が毎年死んどるでな……去年も左遷されでぎだ女がひどり……』
『……えっ?』
山に入った者は死ぬ、去年もひとり女が死んでいる。
地元のお爺さんが言っていたのだから間違いないだろう。
そんな言葉を思い出すなり、烈人の背筋に急に冷たいものが走った。
寒さや飢えや野生動物は怖くない。
だが死者だの霊だの物理的に対処できないものは昔から大の苦手なのだ。
『わげのぉ、わりごたぁ言わね、冬ん山さぁへぇるぐれならけぇっで寝ろ』
『あんれま茂造さん、まーた山さへぇるわげっのにほらさ吹っ込んでまだ……すまねなー、こん爺どじぇんこねぁで、ほらさばがりつぐはっで……わげぇのがはっかはっかしよるけぇぉさ見で腹けけぇとるで。ひぇーっひぇっひぇっ』
今思えば後から入ってきたお婆さんは、お爺さんと比べて何を言っていたのかさっぱりわからなかった。
あれは無理やり冬山に入ろうとした自分に対して、呪いの言葉を吐いていたのかもしれない。
確かにそう考えてみると、なんだか呪詛のようだった気がする。
烈人が薄暗い小屋の中で息をひそめていると、ふと吹雪の轟音に混じって何かが聞こえた。
ザシッ……ザシッ……という、まるで深い雪を踏みしめるような。
周囲に民家もない孤立した真冬の山奥で、けして聞こえるはずのない“足音”であった。
野生の動物ではない、獣はもっと軽やかに雪の上を歩く。
足音はあろうことか小屋の前で止まった。
扉一枚隔てた向こうに、動物ではない何者かがいる。
烈人はもう立ち上がることすらままならず、ぶるぶる震えながらクマと抱き合っていた。
しっかりと閉めたはずの小屋の扉が、ギギギと音を立てて開いていく。
荒れ狂う吹雪を背に、真っ白な女の顔が浮かび上がった。
「出たあああああああああァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」
「……どうしたんですかその格好」
烈人の上司・鮫島朝霞は、クマと抱き合う部下を見て眉間にしわを寄せた。
…………。
一方ここは都内某所、観客動員数5000人を誇る百獣スタジアム。
選手の入場を今か今かと待ちわびる観客のボルテージは、今や沸点に達しようとしていた。
白いリングの上に掲げられた大型モニターには、超最強日本女子プロレスの文字が躍る。
『みなさま大変ながらくお待たせいたしました……選手の入場です!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ!!!!」」」」」
大歓声と共にスタジアム内の照明が落とされ、入場ゲートがスポットライトに照らされる。
『その圧倒的長身から繰り出される技の数々が……! 女子プロのリングを華々しいアートキャンバスへと変える……! 挑戦者・ナイトメアセイバーミナトぉぉぉぉぉぉァッッッ!!!!!』
「「「「「ミ・ナ・トッ! ミ・ナ・トッ!」」」」」
真っ赤な火柱が上がり、天井からは星屑のような紙吹雪が舞う。
光に照らされた長身の美女の肢体に、会場中の視線が注がれる。
「いやだぁーーーッ! むりむりむりむり! 無理だってぇ!!」
「いいから行くッス! どーんと当たって砕けて来るッス!」
「あばっ……あばばばばば……ふぐぅぅぅぅぅぅ!!!」
黒いコスチュームに身を包んだソードミナス、もといナイトメアセイバーミナトは、ヒールというキャラ付けをされているのか胸元がばっくりと開いていた。
「こんな格好で人前に出るなんて無理無理無理、絶対無理だぁーーーっ!!」
「はわわ、お客さん待ってるッスぅ! GOッス! 骨は拾うッスからぁ!」
サメっちに無理やり入場ゲートへと追いやられたソードミナスは、注目されたくない一心でリングまでの花道を疾走した。
そしてリングに駆け上がるなり、すぐにコーナーで膝を抱えてうずくまった。
一瞬波を打ったように静まり返った会場が、その“パフォーマンス”にじわじわとどよめきはじめる。
「あれは……まさかっ!? “即瞑想の構え”……だと……!?」
「アピールをボイコットし、さらに挑戦者でありながらチャンピオンの入場に一切の興味を示さないというふてぶてしさ!! まさしく伝説の“即瞑想”だ!」
「あれは90年代黄金期を代表するプロレスラー“バーバリアン小松”の十八番だ。……ふっ、まさかこの時代に、あのじゃじゃ馬を乗りこなすヤツがいるなんてな……!」
「こいつはとんでもねぇ新人が出てきたもんだぜ……手が震えてきやがった……!」
特に一部のコアなファンたちの間でナイトメアセイバーミナトの株が爆上がりしていた。
しかしそんなファンたちの熱狂も冷めやらぬうちに、次はチャンピオン入場ゲートが光り輝く。
凄まじい規模のアーク放電と共に、少し小柄ながらも引き締まった影が姿を現す。
ナイトメアセイバーミナトとは対照的な、ラメがあしらわれた純白のコスチューム。
その片目だけの怜悧な赤い瞳といかつい眼帯、頭に生えた2本の大きな耳。
『超最強日本女子プロレスの絶対女王、誰が呼んだか“足技の女神”……アンドロメダバニー宇佐美ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッッッッッ!!!!!!!』
「「「「「ウ・サ・ミッ! ウ・サ・ミッ!」」」」」
「俺だーっ! 蹴ってくれーーーーッッ! 尻にくれーーーーーッッッ!!」
会場全体を揺るがしながら、蹴兎怪人ウサニー大佐ちゃん、もといアンドロメダバニー宇佐美は悠々と、そして堂々と花道を歩きリングに上がった。
6メートル四方に区切られた死のリング中央で、美しき両戦士が並び立つ。
ソードミナスの顔は赤から青を通り越し、緑と紫を経由して今やまっ白であった。
セコンドのサメっちが心配そうに声をかける。
「だいじょぶッスかソードミナス? なんか顔のRGB値バグってるッスよ」
「うぅぅ……なんでこんなことに……は、吐きそう……うぷっ」
挑戦者のソードミナスは既に平衡感覚を失いつつあった。
彼女と相対するのは百獣軍団ナンバー2、おそらくアークドミニオンで最も格闘術に長けた女である。
アンドロメダバニー宇佐美はフッと笑うと、片手で指をゴキゴキと鳴らした。
「ソードミナス衛生兵長。いや、ナイトメアセイバーミナト。今この場で全力でぶつかり合うことこそ、貴官への最大の報恩となることは心得ている。遠慮なくかかってくるがいい」
アンドロメダバニー宇佐美の全身から、強烈な殺気が放たれる。
会場を埋め尽くす観客の9割が恐怖で顔を引きつらせ、残りの1割は失神した。
濃密な殺気にあてられたのはなにも、観客だけではない。
それを最も近くで浴びたソードミナスは、ついに決壊した。
「ほっ……ほきゃ……ほろろろろろろろろ……」
ジャララララシュトトトトトトッ!!!
ソードミナスの口から次々と滝のようにナイフがこぼれ落ち、リング上に突き刺さっていく。
あのウサニー大佐ちゃんの恐喝をトリガーとしているのだ、その量たるや1本や2本ではない。
成人女性の平均体重を遥かに超える量のナイフが、あっという間にリング上を埋め尽くした。
再び北極の氷ように静まり返った会場が、その“あまりに過激なパフォーマンス”にざわめき、熱狂する。
「こっ、これはーーーッ! アイツあろうことか胃の中にとんでもない量の凶器を隠し持ってやがったァーーーーーーッッッ!」
「物理的にありえねぇだろあの量……俺は夢でも見てるってのか……?! まだゴングも鳴ってねぇのに、こんな挑発見たことねぇ……!」
「あれだけのナイフを飲んでたってことかよ……ジーザス、彼女は本物のヒールだ……文字通り切れたナイフそのものだ……!!」
「ナイトメアセイバーのやつ……デビュー戦を刺殺上等のナイフデスマッチにしちまいやがった……!」
けして他ではお目にかかることのできない圧巻のパフォーマンスに、超最強日本プロレスファンたちのボルテージはゴングが鳴る前から最高潮に達した。
「記録せねば! 歴史にこの日を刻まねば! ……くそっ、手が震えて文字が書けない……っ!」
「歴史が変わる瞬間なんてちゃちなもんじゃねぇ……俺たちは今、神話を目にしているんだ……」
「おおおなんという……俺は……俺は泣いているのか……?」
翌日、ナイトメアセイバーミナトの過激すぎるパフォーマンスは、スポーツ紙の一面を飾った。
その日を境に、日本各地で女子プロレスの人気に爆発的な火がついた。
あと1話で100話!!!!!
いやーここまで長かった!!!!!
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