“祝『四幹部』呼称決定記念大祝賀パーティー”は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
今にして思えば、湊やサメっちは随分と可愛いものである。
無数の女怪人たちはオイルショック時のトイレットペーパーばりに林太郎を奪い合い、それはもう怪人同士の抗争にまで発展しかねない光景であった。
右に左に上に下にと振り回した挙句、林太郎の手足をそれぞれ思い思いの方向に引っ張るものだから、男の奪い合いはいつしか戦国時代の“牛裂き刑”へと化していった。
悲劇は起こるべくして起こるというが、まさにその通りである。
それもこれも全て、極悪怪人デスグリーンこと栗山林太郎の婚約破棄騒動に端を発していた。
「いやだァーーーーーーーッ!」
「観念するニャンぞ! 怪人の世界は弱肉強食ニャンなァ!」
「アハァン、意外と可愛い声出すじゃないの、はやく食べちゃいたいわぁん! むきむきっ!」
「あのあのッ! ここは皆で仲良く半分こにしませんか? えっと、みんなで17人だから17等分ですねッ!」
「冗談じゃねえ! 誰か助けてくれーーーーッッッ!!!」
悪の秘密結社アークドミニオンには文字通りの“肉食女子”がうようよいるのだ。
それでもこれまで誰もデスグリーンに手を出さなかったのは、彼自身の周りに女の噂が絶えなかったからに他ならない。
そうでなければわずか数ヶ月で幹部に任命された新進気鋭の超有望株に、手を出さない理由などありはしないというものだ。
「げひょひょっ、将軍とお近づきになれたら将来は安泰だわ……」
「玉の輿チャンスは逃せないニャンな! 年収もがっぽりニャン!」
「うごごごごごーッ! 強い子を産ませろーーーーーッッッ!!!」
「乱暴狼藉はそこまでだ! 貴様ら散れッ! 疾く散れッ!」
「「「げっ! サツだーッ!」」」
見かねたウサニー大佐ちゃんが間に割って入ると、女怪人たちは蜘蛛の子を散らしたように逃げ去っていった。
止めに入るのがもう少し遅ければ、林太郎は本当に17等分にされていたかもしれない。
「けけけっ、チャンスはまたあるわ……ぎしゃしゃしゃ……」
「次こそ息の根を止め……じゃなかった、ハートを射止めてやるニャンぞ……」
「ふしゅるるるるる……ふしゅるるるるるるるる……」
しばらくは遠巻きに様子を見ていた彼女たちであったが、ウサニー大佐ちゃんが睨みをきかせるとひとりまたひとりと口惜しそうに姿を消していった。
女怪人たちが去った後、残されたのは大量のチョコレートと、壊れたおもちゃのようにズタボロボンボンにされた林太郎であった。
「しくしくしくしく……」
「おいデスグリーン伍長、生きているか?」
「おうちかえりたいよぉ……」
「ダメだなこれは、死んでないだけだ。おい衛生兵ーッ!」
“祝『四幹部』呼称決定記念祝賀パーティー”は深夜まで続いた。
負傷によりかくし芸大会とビンゴ大会を棄権した林太郎は、自室に戻りふかふかのベッドの上でしくしくと泣いていた。
一度は医務室に送られた林太郎であったが、本人たっての希望で松葉杖を借りて自室まで戻ってきたのだ。
引きちぎられかけた全身はまだズキズキと痛むが、またいつ襲われるとも限らない。
医務室のような公共スペースよりも、自室にいる方が安全だろうとの判断であった。
「ううう……あんまりだ、あんまりだぁ……」
そのときフフッという、ともすれば気づきもしないほどの小さな笑い声が林太郎の耳に届く。
いや、林太郎とて常時であれば気にも留めなかったであろう。
今の外敵に怯える小鹿のような林太郎だからこそ、その絨毯にハンカチを落とすほどの微かな声を察知することができたのだ。
「だだだだだ、誰だッ!?」
林太郎はベッドの上で身体を起こすも、部屋の中には誰もいない。
否、林太郎の“視界の中”には誰もいなかった。
するりと音もなく、林太郎の背後から首すじ、そして胸元に白く冷たい手が伸びる。
「ずいぶんと酷い目にあったみたいですねえ、センパイ」
背筋が凍るとはまさに今のような状況をさすのであろう。
林太郎は背後にいる危険人物を察しながらも、もはや指一本動かせない。
そういえば祝賀会の席で姿を見かけなかったが、この女がバレンタインデーなどというこれ見よがしな行事をスルーするはずがない。
「まっ、まゆずみ……? いつからそこにいらしたの……?」
「センパイが帰ってくるちょっと前からですよ。あ、シャワーお借りしました」
顔など見ずとも、氷のように透き通る声は聞き間違えようもない。
林太郎を狙う者たちの中でも、おそらくは最も危険な相手……暗黒怪人ドラキリカこと黛桐華である。
林太郎の背中から伝わる感触は、新雪に背中からダイブしたときのように柔らかくきめ細やかで、そして冷たい。
シャワーを借りたと言っていたが、いったい何時間前の話なのだろうか。
「黛ってばぁ、なんで勝手に人のベッドで寝ていらっしゃるんですかね……?」
「おや忘れたんですか? 私が先に寝ていたところにセンパイが入ってきたんじゃないですか」
もちろん忘れたのではない、林太郎は桐華の存在に気づかなかったのだ。
この女はベッドの中で完全に気配を殺して待ち構えていたのだ。
ヒーロー学校で培った隠密術をこんなことに使うとは、先人たちは草葉の陰でさぞ大粒の涙を流していることだろう。
「女の子がひとりで寝ているベッドに夜這いをかけるだなんて、センパイって大胆なんですね」
「なんだよその悪質なブービートラップは!? ただのアリジゴクじゃないか!」
「そういえば先日ヒーロー本部の魔の手から救い出していただいたお礼がまだでしたね。つまりセンパイは私に肉体で払えと」
「言ってないよね俺そんなこと」
すすす……と林太郎の身体の上を這うように回り込むと、桐華は林太郎と正面から向き合た。
「“大事なのは結果ではなく状況証拠”ですよねセンパイ? 私はこれを合意とみなします」
日本人離れした流れるような白銀の髪から、ほのかなアロマの香りが林太郎の鼻をくすぐる。
傷ひとつない真っ白な肌には薄いシーツ一枚をまとい、ほんのりと透けて見える体のラインは細く、それでいながら老若男女すべてが息を呑むほどに絶妙な美のバランスを保っている。
触れられないほどに整った顔立ちとは裏腹に、妖艶な薄い唇を赤い舌がぺろりと舐める。
スカイブルーの大きな瞳は情痴の熱を帯び、男100人いれば100人がそのまなざしに射抜かれ、すべての抵抗を放棄するであろう。
「チョコレートはありませんが、センパイにはもっと甘いものを差し上げますよ。世界中の男がみんな欲しがる甘いものを」
「待て待て待て待て! 前にも同じような展開で酷い目にあってるんだ! せめて俺が万全なときにぃ!!」
「それでは遠慮なく、いただきます」
「結局いただかれるのは俺かよーッ!?」
すぽぽんと服を脱がされた林太郎が最後の砦を懸命に死守し、一進一退の攻防を繰り広げていたまさにそのとき。
ガチャッ!
「アニキぃ、もらったチョコ全部回収してきたッスよぅ」
健全王国からの使者、|救世主《サメっち》の降誕であった。
林太郎の脳内にハレルヤがリフレインする。
「サメっちぃぃぃぃぃ!!! ナイスタイミングだよぉぉぉッ!!!」
「わわっ、どうしたんッスか? アニキズタボロボンボンになってたって聞いてサメっち心配してたッスよ」
「……チッ、甘いもの作戦は失敗ですか」
「甘いものッスか!?」
桐華の甘いものという発言にサメっちが反応する。
おそらくサメっちが考えている甘いものとはだいぶ違うだろうが。
「おや、サメっちさんも気になりますか? 人目を忍んで甘ァーいものをコソコソ分け合うことに興味が?」
「サメっち甘ァーいの大好きッスぅ!」
「やめろ黛。純真無垢なサメっちにとんでもないものを吹き込むんじゃあない」
林太郎はこの期に及んで篭絡計を仕掛け、サメっちを援軍として引き込もうとするようとする桐華の肩をガシッと掴んでブンブンと振った。
桐華ひとり相手にあれほど手こずったのに、ふたりを相手にするなど。
いやむしろサメっちが加わるなど倫理的に大問題である。
「いいじゃないですかセンパイ! 私は一向に構いませんよ! みんなで一緒に甘いの堪能しましょうよ!」
「黛お前ぇ! 俺がみんなの誤解をとくのにどれほど苦労したと思ってるわけぇ!? 甘いの禁止令出すよほんとに!」
「……はっ! さてはアニキ、サメっちに隠れて甘いの食べてたッスね! ズルいッスぅーッ!!」
「食べてないしなんだったら食われるところだったんだよぉ!」
サメっちに飛び掛かられ、三人はキングサイズのベッドの上でもみくちゃになる。
「本当だ、信じてくれサメっち! 俺は被害者なんだよぉ!」
「嘘ッス! アニキ、チョコ隠してるのバレバレッスよ!」
林太郎の衣服のふくらみを、サメっちのつぶらな瞳は見逃さなかった。
ガシッと甘いものに掴みかかると、サメっちはその全体重をかけて一切の躊躇も容赦もなく引っ張った。
ギュムムムムゥゥゥッ!!!!!
それはそれはもう“おおきなかぶ”でも引っこ抜くのかという勢いであった。
だが残念なことに、サメっちが力いっぱい握りしめるそれは甘いものではない。
そもそもパンツ一丁の男がどこにそんなものを隠し持っていようというのか。
林太郎も男である。
強い貞操観念とは裏腹に、桐華という美少女に迫られ肉体は正常な反応を示してしまっていたのだ。
「ホギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
林太郎は本日2度目の医務室送りになった。
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