極悪怪人デスグリーン

~最凶ヒーロー、悪の組織で大歓迎される~
今井三太郎
今井三太郎

第二百二十九話「とても、とても怖い夢でした」

公開日時: 2021年10月24日(日) 19:39
文字数:6,437

 謎の光が発せられたかと思うと、直後海面から青い巨体が飛び上がった。


 三角に尖った鼻先は天を突き、黒真珠のような丸い目がギラリと光る。

 その姿はまさしく、パニック映画を席巻する海の王者サメそのものであった。


「サアアアアアメエエエエエエ!!!」


 無数の鋭い牙が並ぶ大きな口のすぐ脇には短い腕が生えている。

 サメ型の巨大怪人はバンザイをするような姿勢で、まるでクジラのように海面から垂直に飛び上がった。


『海上に怪人を確認! まずい、ぶつかるぞ! 緊急上昇! 距離を取れェーーーッ!!』

「ふぎゃんッスぅぅぅ!?」


 海を割るように現れた巨大怪人の鼻先が、ヒーロー本部の高速ヘリの腹を“コツン”とつついた。

 見た目こそかわいらしい接触事故だが、相手が60メートル級の巨大なサメとなれば話は別だ。


『うわあああああ! メーデー・メーデー・メーデー! ローター破損につき操縦不能! 落ちるううううううう!!』


 そもそも高速ヘリコプターは、空中での接触事故など想定していないのだ。

 ましてや真下から衝撃を受けようものならば、ひとたまりもない。


 隊員と“村”職員たちを乗せたヘリは、くるくると錐揉きりもみ回転しながら、悲鳴とともに波のはざまへと落下していった。


「いたぁぁぁぁぁいッスぅぅぅぅぅぅ」


 ヘリと同じく、巨大サメ型怪人も鼻をおさえながら海に落ちた。

 だがその質量たるやヘリの比ではない。


 ドッパアアアアアアアアン!!!


 なみなみとお湯を張った浴槽に身を沈めるかのごとく、大海原に波紋が広がる。

 まるで隕石の落下のような衝撃は、洋上プラットフォームの基部をいとも簡単にへし折った。


 爆発によってすでに自壊寸前だった“村”は、ついにはコンクリートと鉄の残骸と化し、バラバラになって海の底へと沈んでいく。


 林太郎とベアリオン、そして半ば放心状態のウサニー大佐ちゃんは、“村”の最期を巨大ザメの背中から見送った。


「手間ァかけさせちまったなあ、兄弟」


 紺碧こんぺきに沈みゆく瓦礫を見つめながら、ベアリオンは林太郎に短く礼を述べた。

 これがベアリオンにとって必要なケジメ・・・であることを重々承知していた林太郎は、ただ小さく頷くのみであった。


「アぁニぃキぃぃぃぃぃ」

「サメっち、ここから東京湾までかなり距離がある。安全運航で頼むぞ」

「でもぉッスぅ、お姉ちゃんがぁぁぁぁ」

「もう麻酔は切れているころだ。とっくに逃げてるよ。それにサメっちのお姉ちゃんはそう簡単にくたばるようなタマじゃない、そうだろう?」


 林太郎は嘘をついた。


 爆発により足場が崩れゆく中、林太郎は最後に見た光景を思い出す。


 鮫島朝霞、極悪軍団をさんざん苦しめたサメっちの姉は、瓦礫と爆炎の中に消えた。

 こうして“村”がほぼ原形を失った今となっては、奇跡でも起きないかぎり、彼女が助かる見込みは無いように思える。


(まあ、よくて瀕死ひんし。悪けりゃ魚の餌、ってところか……)



 だがそれを口にしたところでどうなる。


 定員オーバーの潜水艇と恐竜一匹を抱えてこの海域から離脱するには、サメっちの“牙鮫怪人サーメガロ”としての力が必要不可欠だ。

 朝霞が無事ではないと知れば、サメっちはここから離れることを拒むだろう。


 これだけの大惨事だ。

 遠からずヒーローたちがこの場に集結してくることは間違いない。


「おおーいサメっち! なにをぐずぐずしてるニャン! とっととずらかるニャン!」

「……あんまり揺らさないでほしいワン……! い、息苦しくてもうもたないワン……」

「むぎゅうううぅぅぅ、林太郎ぉぉぉ、はやくしてくれぇぇぇ」


 サメっちの手に握られた潜水艇から悲痛な声があがる。

 万が一戦闘になろうものなら、鮨詰め状態の彼らに抗うすべはない。


 不慮の事故とはいえ、生存の可能性が極めて低い朝霞の捜索にあたっていたずらに時間を費やしては、ここにいる全員に危険が及ぶのだ。

 一刻もはやく、全員を連れてアークドミニオンの秘密基地へ帰還しなければならなかった。


 そして今この場において撤退の判断を下せるのは、林太郎を置いて他にいない。


「なあ兄弟……」


 林太郎の心境を察したベアリオンは、声をかけようとしたところで思いとどまった。


 今回の出撃はほとんど自分のわがままのようなものだ。

 ベアリオンがわがままを通した以上、もしここで林太郎が撤退しないという決定を下すようであれば、それに異を唱える権利などありはしない。


「サメっち、行こう」

「でぇぇぇもぉぉぉぉ」

「お姉ちゃんとはまたどこかで会えるさ。アニキを信じろ」

「うぅぅぅぅん、わかったッスぅぅぅぅぅぅ」


 渋るサメっちの背中を、林太郎はぽんと軽く叩く。


「兄弟、本当にいいのかあ?」


 結局、最も苦しい決断を林太郎に任せてしまった。

 そういった気持ちがベアリオンにはあった。


 申し訳なさそうな顔で見つめるベアリオンに、林太郎は無言で視線を向ける。

 それが答えだと言わんばかりに。


 怪人たちを乗せた巨大ザメは何度も後ろを振り返りながら、北へ向かって泳ぎ去っていった。




 …………。




 いっぽうそのころすぐ近くの海底では、ヒーロー本部の潜水艦が“村”の跡地へと急速接近していた。


「巨大怪人の反応を確認! 現場から遠ざかっていきます!」

「ええい逃がすな! 長官や本部長、そしてアパッチファイブの仇討かたきうちだ!」

「俺たちがイロモノご当地ヒーローじゃねえってところを見せてやるぜぇ!!」


 彼らは岩手支部所属、海岸戦隊ダンキュリアス。

 太平洋海域の防衛を任されている、海専門のヒーローチームであった。


舷海丸ゲンカイマル、取り舵いっぱーい! ヨォーソロォーウ!!」


 ダンキュリアスの乗機『舷海丸』の最高航行速度はなんと驚異の75ノットである。

 高速潜水艇のおよそ3倍という圧倒的なスピードで、岩手沿岸は釜石基地から矢のように駆け付けたのだ。


 しかし防衛対象であった洋上プラットフォームは目の前で崩落。

 呆然としているうちに、航空チームであるアパッチファイブを巨大怪人に撃墜されるという、この期に及んで申し開きようもない失態を犯していた。


 もはや彼らにとって名誉を挽回する方法は、せめて怪人の一団を得意の水中戦で葬り去るより他ないかと思われた。


「よぉし、目標は巨大サメ型怪人! 全速前進だ!」

「ちょっと待ってくれ隊長。海面上に人間と思しき生体反応を確認。要救助者かも!」

「な、なにぃーーーッ!? しかしやつらをいま取り逃がすわけには……、だけどもし生体反応が要救助者だったら……。くっそォゥ! 緊急浮上だ、人命救助を優先する!」



 舷海丸が海面に浮上するのと同時に、隊長は外部カメラを覗き込む。

 しかし周囲の海面には“村”の残骸が浮いているばかりであった。


「なんだ、なにも見えないぞ。センサーの誤反応だったんじゃないのか……?」


 そのとき、舷海丸のハッチが『ドゴン』と大きな音を立てた。


 舷海丸のハッチは海底数千メートルの水圧どころか、海中核爆発にも耐えられるように設計されている。

 それがゴンゴンと何者かによって何度も外から叩かれているのだ、海のど真ん中で。


 隊長がおそるおそるハッチを開けるとそこには。


「はぁーーーッ……はぁーーーッ……すまない、中に入れてくれ」


 ずぶぬれの赤いスーツをまとったヒーローが、女を抱きかかえて立っていた。




 ………………。



 …………。



 ……。





 鮫島という名は、私にとって“かつて家族がいた”ということを示す符号でしかなかった。


 物心ついたときにはもう、家族と呼べる者はひとりもいなかった。

 十五そこそこの女がひとりで生きていくとなると、選べる道はそう多くない。


 施設に入って置物のように大人しくしているか、夜の街で体を売るか、どこかの金持ちに飼われるかだ。


 しかしさいわいにも、私は喧嘩がめっぽう強かった。


 温かい食事も、安全な寝床も、生きていくために必要なものはだいたい暴力で手に入れることができる。

 生きるため喧嘩を繰り返すうち、いつの間にか私は関東最大の暴走族“謝悪寧怒シャークネード”を束ねる総長になっていた。


 おそらく私は誰かに迷惑をかけたかったのだ。

 自分の境遇に同情して、かまってほしかったのだ。


 そんなとき、あるひとりの男と出会った。


「お前が“渋谷の鬼鮫おにざめ”か。なるほど、悪くない面構つらがまえだ」

「……なんだてめえ」

「ちょいと公安の知り合いに頼まれてな。お前をスカウトしにきた」


 鍛えてはいるようだが、歳は還暦に迫ろうかというジジイであった。

 守國もりくにとかいう、どこかの組織の偉いさんらしい。


 この手の金をちらつかせて“自分は偉い”と思いこんでいるやつらを、私は心底嫌っていた。

 当時関東で無敗の連勝記録を誇っていた私には、山よりも高いプライドがあったことも否めない。


「売られた喧嘩は買う。だが私の喧嘩は高くつくぞ、爺さん」

「もとよりそのつもりだ。獣相手には拳で語るしかないときもある」



 結論から言うと、完膚なきまでに叩きのめされた。



「鮫島朝霞、お前の腐った才能じゃあ猿山でふんぞり返るのが関の山だ。来い、俺が直々に鍛え直してやる」

「げふっ……てめえ……なにもんだ、この野郎……」

「俺か? 俺はヒーローだ」


 後で知った話だがこの男、守國一鉄はヒーロー本部で伝説とまで称される本部長官であった。

 ようするに、日本で一番強くて偉いヒーローだ。


 そんなやつに毎日一日中しごき倒されるわけだから、私がヒーロー学校で頭角を現すのは必然であった。




 ヒーロー学校の卒業も間近というある日、守國がひとりの子供を連れてきた。


 歳は2、3歳ぐらいだろうか。

 まだようやく自分で歩けるようになったぐらいのチビだった。


「なんすかそのガキ」

「朝霞、こいつはお前の妹だ」

「……はあ?」

ヒーロー本部うちが管轄する研究施設で生まれたガキだ。被験体番号38番。番号から取って“冴夜さや”と呼ばれているが、どう呼ぼうがお前の勝手だ」


 まるで意味がわからなかった。

 そんな得体のしれない子供を私に紹介してどうしようというのか。


 直後、私は耳を疑うことになる。


「今日からこいつの面倒はお前が見るんだ」

「はっ? 意味わかんねえ。前にも教えたけどよ、私はガキって生き物が大嫌いなんだ」

「俺もお前にその汚い言葉遣いを直せと教えたはずだが」

「……大嫌いだ……っす」


 どういう意図があってのことかはわからなかったが、どうやら守國自身もよくわかっていなかったらしい。

 ただ守國と旧知の仲である研究開発室とかいう部署のトップから、どうしてもと頼まれた、とのことであった。


「お、お姉ちゃ……」

「うっせえなあ! 私はお前のお姉ちゃんじゃねえ! ……っす」

「ぴえ……」

「だあーッ! 泣くんじゃあねえ鬱陶しい! ……っす! ああもうチクショウ!」


 姉妹というには離れており、親子というには近すぎる子供を養っているという噂はあっという間に広がるもので。

 特に私が元不良ということも相まって、同期の中にはあらぬことをはやし立てる者もいた。


「あーら鮫島さん。今日はお子さん・・・・は一緒じゃないのかしら?」

「調子くれてんじゃねえぞ、っす。頭握りつぶすぞ、っす」

「いだだだだだだだ! もう掴んでますわ! ワタクシの頭が! 頭がッッッ!!」


 友好的な話し合いを重ねることで、そういった噂を表立って流す者はいなくなった。

 とはいえあくまでも表では、の話である。


 やがて加速戦隊トランスミッションに配属され、シルバーゼロの名を与えられた後も、私の孤立は深まるばかりであった。


 何度も冴夜さやを追い出そうと思ったが、自分を拾ってくれた守國長官への義理は通したい。

 そうやって致し方なく姉妹ごっこを続けるうちに、私は少しずつ“諦め”というものを覚えていった。


「お姉ちゃん、はいこれ、っす!」

「なんですかこれ? 粘土の……トラですか?」

「サメさん、っす!」

「はあ、そうですか」


 私は冴夜に対して、過度に干渉することもなく、上手く距離を保てていたと思う。

 少なくとも、あのときまでは。





 3年前のあの日、研究開発室の所有する実験船が怪人に襲われた。



 防衛任務として乗船していた私は、正直気が気ではなかった。

 なぜなら私は喧嘩にはめっぽう強かったが、泳ぎだけは苦手だったのだ。


 だが乗らないわけにはいかない。

 この船には、研究開発室からの要望で冴夜が乗っていたからだ。


「……お姉ちゃん怖い顔してるッス。海怖いッスか?」

「怖くありません。お姉ちゃんは100メートルを30秒で泳げます」


 船には冴夜を含めた数名の被験者が乗船しており、なんらかの実験を行うらしい。

 少なくとも命の危険はないものだと、私はそう聞かされていた。


 怪人の攻撃により船体に大きな穴が開いたのは、船が港を出てからわずか30分後の出来事であった。

 情けないことに、私は己の務めを果たすことさえできず、衝撃で海に投げ出された。


「ごぼぼ……さ、冴夜! あっぷ……ぶくぶくぶく……」


 天も地もわからない海の中で、目も開けられない荒波にもまれ。

 意識が遠のき死を覚悟したその瞬間、誰かが私の手を引く。


「お姉ちゃァァん!!」


 私はそのとき確かに冴夜の声を聞いた。

 もはや聞きなれたその声は、荒れ狂う海の中であるにも関わらず、驚くほどはっきりと私の耳に届いた。


 だが私の手を掴んだその腕は、8歳の幼女のものとは思えないほどに力強く、私を海面へと引っ張り上げたのだ。


 かろうじて船の残骸にしがみついた私が目にしたのは。

 海面を滑るように去っていく、一本の背ビレ・・・であった。



 事故があって間もなく、同乗していた研究員たちはみな生存が確認された。

 しかし被験者として船に乗っていた者は、懸命の捜索が行われたにもかかわらず誰ひとりとして見つからなかった。


 冴夜は、妹は忽然と姿を消してしまったのだ。

 あの海の上で、私の前から、たったひとつの痕跡だけを残して。



 ヒレのついた大きな手形のあざだけが、私の腕には今も残されている。




 ………………。



 …………。



 ……。




「……ん!」




「……さかさん!」




「朝霞さん!」



 自分の名を呼ぶ声に、朝霞はゆっくりと目を開く。

 配管の並ぶ天井を見て、ここが潜水艦の中だということに気づく。


 目をくらませる裸電球の光を遮るように、今度は男の顔が見えた。


 浅黒い童顔が、ほっとしたように笑みをこぼす。


「よかった、朝霞さん。もう目を覚まさないんじゃないかと思っちゃいましたよ」

「暮内……さん……?」


 どういうわけか烈人は、ヒーロースーツを着たままマスクだけを脱いでいた。


「はいそうです! 俺です! 暮内烈人です!」


 烈人はそう言って、仰向けに寝かされた朝霞の手を強く握る。

 痛いほどに握られたそれが、生きているという実感を朝霞にもたらした。


「暮内さん……痛いです」

「わあ! ごめんなさい!」


 慌てて放そうとした烈人の手を、今度は朝霞が強く握り返す。

 烈人は驚いたように目を丸くした。


「どどど、どうしたんですか?」

「……少しだけ、こうさせてください」

「朝霞さん、怖い夢でも見たんですか?」

「………………はい」


 何気なく尋ねた烈人であったが、すぐに重ねた手のひらが震えていることに気がついた。

 烈人は強く握られた手を、負けじと握り返す。



「……とても、とても怖い夢でした」



 朝霞はそう一言だけつぶやくと、濡れた袖で顔を覆った。

 潜水艦内に、海の底のような静けさが訪れる。


「………………」


 烈人は何を言うでもなく、朝霞の身体を抱き起すと。

 彼女の顔を自分の胸にそっと抱きしめた。


「もう大丈夫です。朝霞さん、俺がここにいますから」

「くれない、さん……」


 朝霞の声は震えていた。

 海底に沈んだ氷が、融けて崩れる直前のように。


「艦長さん。東京湾に向かってください。全速前進でお願いします」


 烈人がそう言うと、潜水艦はまるで目を覚ましたかのようにゴゴゴと揺れ始める。

 タービンが暴れ、バラストが吠え、壁一面の計器類がけたたましく鳴き叫ぶ。



「わあ、潜水艦の中ってすごくうるさいですね朝霞さん」



 烈人の腕に抱きしめられたまま、朝霞は再び強く手を握りしめる。


 痛いほどに強く。

 だが烈人はその手を振りほどくこともなく、ただ握られるがまま、優しく指を添わせる。



「本当にうるさいなあ。これじゃあ、誰にも、何も聞こえませんね」



 潜水艦がうなりを上げる。

 彼女の声は、深い海の咆哮ほうこうにとけた。








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