海上を高速で飛行するひとつの影があった。
東京羽田支部に所属するヒーロー本部の航空部隊、大空戦隊エアジェッターが所有する亜音速積載航空機『ストリームビューン』である。
エアジェッターはこれら航空機による高い機動力を駆使し、離島地域を管轄するパイロットヒーロー集団なのだ。
そして同時に人員や秘密兵器を遠方へ届ける輸送班として、ヒーロー本部を古くから支える屋台骨でもある。
緊急出動要請を受けたヒーローを現地へ運ぶことも、彼らの仕事のひとつだ。
『現着までおよそ900秒。総員、装備の最終確認を行え』
粒子戦隊レーザーファイブ、林業戦隊キコルンジャー、そして風魔戦隊ニンジャジャン。
ストリームビューンの輸送カーゴ内では、彼ら若手ヒーローたちがブリーフィングを受けていた。
相手があの極悪怪人デスグリーン一味だということもあり、かき集められるだけのヒーローが招集された形だ。
だが彼らはみな奇しくも、幾度となくデスグリーンに辛酸をなめさせられたことのある面々であった。
そのせいかカーゴ内は、はやくもどんよりとした敗戦ムードに包まれていた。
「……聞いたか? 鮫島本部長がひとりで応戦中だってよ」
「作戦参謀本部長つっても非戦闘員だろ? いまごろデスグリーンにボコボコにされてるんじゃ……」
「まあ拙者たちが駆けつけたところで、ボコボコにされるヒーローが増えるだけではござるが……」
彼らが不安に思うのも無理はない。
なにせ相手はあの、100人超のヒーロー集団をたったひとりで壊滅させたデスグリーンである。
もしかの大怪人を止められる者がヒーロー本部にいるとしれば、ビクトレッド・暮内烈人長官代理ぐらいのものだろう。
あのいかにも地味で大人しそうな朝霞が立ち向かおうものならば、二秒で斬り伏せられることは目に見えている。
予想される不測の事態に備え、若手ヒーローたちは緊張した面持ちで拳を握りしめた。
「とにかく、俺たちの任務は鮫島本部長と、昏睡状態にあるという暮内長官代理の救出だ。対怪人戦においては生き残ることを第一に考えよう」
「そりゃあデスグリーンは俺たちのかなう相手じゃないし……。だがあのふたりだけは、なんとしても助け出すんだ!」
そんな中、口を挟んだのは古参としてヒーロー本部を支える大空戦隊エアジェッターの隊長であった。
ストリームビューンの機長でもある彼は、操縦桿を握ったまま若手たちに語りかける。
「お前さんたち、なにか勘違いしていないか。今回の任務は事後処理だぞ」
「事後処理? そりゃあなんですか? もう助かる見込みがないってことですか!?」
つまりあの地味ながらも隠れファンの多い朝霞本部長は。
すでに無惨な敗北を喫し、口にも出せないほどの辱めを受けているということなのか。
いいやきっとそうに違いない、なにせ相手はあの極悪怪人デスグリーンである。
それはもう筆舌に尽くしがたいあんなことやこんなことをされているとみて間違いない。
「「「「「………………………………」」」」」
あーん。
いやーん。
そ、そこは違っ……!
「くそおおおっ! 朝霞本部長、俺たちが不甲斐ないばっかりに!」
「なんたることだ! くっ、俺たちにはどうすることもできないのか!!」
「ふむ、拙者少々はばかりに……。機長殿、厠はいずこにござる?」
「あるわけねぇだろ降ろすぞ今ここで」
今年で任期十年目となるエアジェッターの隊長は、焦る様子もなく操縦しながら答える。
「逆だ。ま、お前さんたちはまだ若いから、知らんのも無理はない。たまーにいるんだ、ヒーローの中にも“次元が違うやつ”ってのがさ。俺は同期だからよく知っているが……」
水平線のはるか彼方に、目的地である海上プラットフォームが小さく見えた。
そこでいま繰り広げられているであろう戦い、いや、一方的な蹂躙に隊長は思いを馳せる。
「鮫島朝霞って女は、正真正銘の化け物だよ」
………………。
…………。
……。
――信じられない――。
ヒーローと怪人の戦いにおいては、お互いにそう感じる瞬間が何度か訪れる。
たとえば戦士が正義の心を燃やし、勇者として覚醒する瞬間であったり。
たとえば倒したはずの悪の怪人が、真の姿となって蘇る瞬間であったり。
「……信じ、られねえ……」
此度その言葉は、いまや関東一円のヒーローから恐怖の象徴として恐れられる、極悪怪人の口から漏れた。
ツギハギして作られた緑色の禍々しいスーツは激しく損傷し、一部が欠けたマスクからは相変わらず泥沼のように澱んだ目が覗く。
「あ、アニキぃ~!」
ボロボロになった林太郎に、戦いを見守っていた一番舎弟が思わず駆け寄る。
それほどまでに、怪人とヒーローが繰り広げる戦いの趨勢は一方的であった。
「マジでどうなってんだよ……。サメっち、君のお姉ちゃんターミネーターかなにかなの?」
驚くべきは、林太郎を圧倒しているヒーローというのが、スーツさえまとわぬ生身の女であるということだ。
べらぼうに強いということは、ベアリオンから聞いていた。
林太郎とて彼女につけ狙われている身だ。
当然のことながら、まったく策を用意していなかったわけでもない。
視聴覚を奪うフラッシュバンや、死角からの急襲。
即席のブービートラップに毒霧まで、使える手はすべて使った。
しかしそれでもなお、彼女は立っていた。
それも、傷ひとつ負わずに。
どういうわけか“こちらの攻撃がまるで当たらない”。
それが鮫島朝霞という女を脅威たらしめる要素のひとつであった。
以前地下鉄の廃駅で対峙した際、朝霞は立体映像を使って自身の幻影を作り出していた。
しかし今回はそうではない。
「……へへ、いやいや、おそれいったぜお姉ちゃん」
林太郎はへらへらと笑いながらマントの陰で銃の引き金を引いた。
虚を突いた必殺の凶弾が、朝霞の肩めがけて放たれる。
しかし。
「……ッ!?」
驚きを隠せないのは林太郎のほうであった。
林太郎マスクに仕込まれた赤外線ゴーグルには、弾丸を避ける赤い影がはっきりと映っていたからだ。
銃弾を見てから避けた。
それ以外には説明がつかない。
「やっぱりターミネーターなんじゃねえのお前」
「抵抗の意思を確認。戦闘行動を続行します」
もちろん、攻撃を避けられたぐらいで圧倒される林太郎ではない。
だが彼女の脅威はこれだけに留まらなかった。
朝霞は眼鏡をくいとかけ直すと、再び腰を落とし右手の手刀を構える。
「攻撃を開始します」
「ちっ……!」
林太郎はサメっちを抱えて真横に飛ぶ。
だがしかし、回避したかと思われたその斬撃は。
「ぐええええーーーッ!」
「アニキーッ!」
横っ飛びに跳ねたはずの林太郎の背中に、斬痕が走る。
その衝撃で林太郎とサメっちはモニタールームの硬い床の上を転がった。
いっぽうの朝霞は、一歩も動かずただ手刀を振り下げただけである。
林太郎はこの“不可解な斬撃”を相手に一方的な防戦を強いられていた。
鮫島朝霞が放つ魔訶不思議な攻撃。
驚くべきはその威力のみならず、予測不能の軌道にある。
縦に腕を振ったかと思えば横一文字に斬撃が走り、ガードを固めれば背中を斬られる。
攻撃の軌跡も、攻撃が飛んでくる方向も、朝霞の動きとまるで一致していないのだ。
「あれマジでどうなってんだよ、クソがァ……!」
そもそも遠く離れた場所に手刀で衝撃波を放つこと自体、とうてい生身の人間にできる芸当とは思えない。
幻術の類のようにも思えるが現実として衝撃が存在する以上、なんらかの仕掛けがあることは間違いない。
「アニキをいじめるなッスぅ!」
涼しい顔の朝霞と、ボロボロの林太郎の間に、サメっちが割って入る。
サメっちは小さな体で腕をぴんと伸ばし、“大の字”の盾として立ちはだかった。
しかし。
「攻撃を続行します」
「ぐはああああああッッ!!!」
朝霞が手刀を振り下ろすと、林太郎の胸元、ツギハギされたVのエンブレムに火花が散った。
「はわッス!? アニキぃ!?」
驚き振り返るサメっちを無視するかのように。
朝霞が腕を振るうたび、不可視にして不可避の攻撃が林太郎を襲う。
まるでサメっちを迂回するように、異なる時空から攻撃を受けているようだ。
「うげっ! ぐえっ! うぎゃーーーっ!!」
「うわあああん! アニキをいじめちゃダメッスぅ!!」
「みぎゃああッ!! サメっち体重かけないで痛すぎるからァ!!」
サメっちが林太郎に抱きついたところで、ようやく攻撃の嵐がやんだ。
ズタボロになった林太郎に対しこれまた不思議なことに、盾として立ちふさがったはずのサメっちは傷ひとつ負ってはいなかった。
林太郎はサメっちを抱きかかえながら、なんとかこの状況を打開すべく策を練る。
(逃げるか? ……いやダメだ。ここで決着をつける)
鮫島朝霞は攻守ともに異次元の相手だ。
並の怪人では太刀打ちできるはずもない。
今後も自身が彼女につけ狙われることを考えれば、生身で対峙しているこの機を逃しては仲間たちに被害が及びかねない。
敵の首魁と一対一で向かい合うこの状況は好機なのだ。
「アニキだいじょばないッスか!?」
「……サメっち、アニキの作戦を聞いてくれるかい?」
「もちろんッス! サメっちなんでもするッスよ!」
林太郎の頭に、ひとつの邪悪な作戦が浮かんだ。
久々の更新です!
そろそろ九章も終わりが見えてきました。
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