「これで終わりでごわすデスグリーン! イナズマハリテェェェェッ!!!」
孤立無援、迫る攻撃、動かない身体。
林太郎の死はもはや避けられない。
(くそっ、ここまでか……!)
栗山林太郎の名は稀代の悪人として刻まれるだろう。
汚名を着せられたまま、弁解の機会も与えられず。
世界に疎んじられながら、他人の名誉のために死ぬのだ。
…………キ。
正義から見放された男のピンチに。
駆けつけてくれるヒーローなんて。
いるはずもない。
………………ニキ。
林太郎の脳裏に走馬燈が巡る。
放任主義だった祖父。
正義感にあふれていた弟。
ヒーロー学校時代に泣かせた後輩。
なにかと声のでかい熱血漢。
モテることしか頭にない二枚目。
カレーばっかり食ってるデブ。
裏表の激しい厚化粧。
大声で笑うマントを羽織ったジジイ。
背が高いくせに小心者のヤマアラシ。
常識がなく、頭が悪く、不器用で、誘惑に弱く、人の話を聞かず。
怪人のくせにヒーローを慕って、ずっと後ろをついてくるコバンザメ。
「アニキィィィィィィィィィィィィッッッ!!!!!」
闇色に染まった海を割り、魚雷のように発射されたそれは。
今まさに林太郎を屠らんとしていたイエローを真横から強襲した。
「ごわすぅッ!?」
海中から時速100キロで撃ち出されたその質量は、イエローの巨体を軽々と弾き飛ばした。
林太郎とイエローの間を遮るように、仁王立つ巨大な影。
「サメっち……なのか?」
「サメっち? 誰のことッスか? サメっちは牙鮫怪人サーメガロッス。あっ、違うッス! 今の無しッス!」
眼鏡を失った上に周囲が薄暗いということもあり、林太郎にはその影がぼんやりとしかわからなかった。
だがその姿は林太郎のよく知る、頭ふたつ低い少女のものではない。
三角の背ビレ、尖った鼻先、そして大きな口から覗くズラリと並んだ鋭い牙。
巨大なサメを彷彿させるそのシルエットは、まさに怪人と呼ぶに相応しい凶悪な相貌であった。
「くそっ、あと少しのところだったのに! やはり仲間を隠しておったでごわすなデスグリーンめ!」
弾き飛ばされたイエローがゆっくりと立ち上がる。
イエローは大型トレーラーの衝突に匹敵する一撃を受けて、なんと無傷であった。
「アレで無傷とか卑怯ッス! いかさまッス!」
「がはははは! 金城鉄壁のストロングマワシールドは無敵でごわす!」
イエローの腰周りに装着された固有武器、それが“ストロングマワシールド”である。
“構え”を取ることで発動し、装着者を中心とした全周囲に物理絶対防御のバリアーを展開する。
イエローは攻撃を受ける直前にバリアーを展開していたのだ。
「こりゃ厄介な相手ッスね。……アニキ、ここはサメっちに任せて逃げるッス」
「……なに言ってんだよサメっち」
「あーもう、アニキはデリカシーないッス! サメっちはこの格好で戦うところを見られるのちょー恥ずかしいッス! えっち!」
林太郎だって、シャワー中に全裸で入ってくるやつには言われたくなかった。
「サメっちはデキる女ッス。ちゃんと迎えの車を手配してるッスよ! さあ、はやく行くッス!」
「あ、ああ、わかった!」
「……アニキ、お達者でッス!」
駆け出した林太郎の背後で、閃光がほとばしり激しい衝撃音が鳴り響く。
ヒーローと怪人が全力でぶつかり合う。
「バリアーごと噛み砕いてやるッス!」
「甘いわぁ! 怪人ごときのヤワな攻撃ではビクともせんでごわす!」
――林太郎は必死で逃げた。
ヒーローである林太郎は、命のやり取りを強いられる怖さをよく知っている。
だからサメっちに逃げろと言われたときは、心底ほっとした。
世間やイエローがどう言おうが、自分はまだヒーローでいられると、そう思ったのだ。
「わざわざ敵を逃がすなんて、バカなやつだよ……あいつは」
林太郎の横顔を、軽自動車のヘッドライトが照らした。
狭そうな運転席から降りてきたのは長身の女、ソードミナスだった。
「林太郎! ああよかった、急にいなくなったって聞いたから心配したんだぞ。ところでサメっちはどこだ? 一緒じゃないのか?」
「サメっちはビクトイエローと戦ってる」
「なんだって!? どうして置いてきちゃったんだ!! あわわわわ、どうしよう! 林太郎どうすればいい!?」
「落ち着けソードミナス、サメっちなら大丈夫だ。それに海に飛び込めば逃げ切れるだろ、サメなんだから」
そうだ、サメっちは任せろと言った。
だから自分は何も間違ってなんかいない。
「なあ……林太郎は助けにいかないのか?」
行くわけないだろう、死にに行くようなものだ。
脳筋相手に正面切って戦うなど分が悪いにもほどがある。
生きてさえいれば、またチャンスはまわってくる。
つまりこれが、林太郎にとっては最善の手なのだ。
「どうして俺が、怪人を助けなきゃいけないんだ」
「林太郎はサメっちのアニキなんだろう!?」
アニキという言葉が林太郎の心臓を、どんな刃よりも深く鋭く突き刺した。
「……俺は違う、俺はアニキなんかじゃない。だっておかしいだろそんな……」
ヒーローが怪人のアニキになれるはずがない。
そう言いかけたところで、林太郎は言葉を呑み込んだ。
多少立場が違えども盃を交わすことはあるだろう。
だが林太郎とサメっちの居場所は、正義と悪、昼と夜、表と裏。
それは兄妹と呼ぶには、あまりにも真反対であった。
「あいつが勝手にそう言ってるだけだ。舎弟だなんだって、勝手に俺の周りをうろちょろして、怪人のくせに妙に人懐っこくて、いい加減迷惑なんだよ」
林太郎は同意を求めるように、早口でまくし立てた。
「なんで怪人が人間みたいに振舞うんだよ。そうじゃないだろう、怪人は人を襲うものだ。他人の権利を平気で踏みにじる悪なんだよ、だから正義のヒーローに倒されるのは当たり前のことで……」
よく回る舌から紡がれる言葉は、次第に自分自身に対する言い訳になっていく。
林太郎自身、自分の口からあふれる卑しさを留めることができないでいた。
百の言ノ葉を並べたところで、それは『俺が正しい』のただ一言を飾り立てているに過ぎないのだ。
ひとしきり吐きだし終えたところで、ソードミナスが林太郎の肩を抱いた。
「林太郎、お前は頭が切れるし誰よりも強い。だから林太郎の判断は間違っていないんだと私は思う。だけど……だったら、どうしてそんなに苦しそうなんだ?」
「苦しい……俺が? なんの冗談だよ……?」
遠くの空が稲光のように明滅していた。
自分も早く逃げればいいものを、サメっちはまだイエローと戦っているのだ。
誰よりも敬愛するアニキのために。
栗山林太郎というひとりの男のために命を張って。
「サメっち……俺は……」
――アニキ、失格だ――。
震える唇は、その一言を許しはしなかった。
林太郎が逃げ出したのは怖かったからではない、眩しかったのだ。
怪人のくせに、その一途なまでの、自分を危険に曝してまで誰かを守ろうとする心が。
ただ怪人を倒し、勝利する。
そのためだけに積み上げてきた自分自身の正義が、まるでガラクタでできた塔のように酷くいびつに見えたのだ。
だから言い訳と詭弁の陰に隠れ、眩しすぎる光に怯えることしかできなかったのだ。
「……わかった。ならば林太郎、これを預かってくれ、車のキーだ。わわわわわ、私がいいいいい行こう。行くぞ! い、行くからなほんとに! ああでもやっぱり無理ぃぃ」
ガタガタと脚を震わせるソードミナスと、林太郎の視線の先で。
ズドオオオオオオオオオオオオオオン!!!
まるで昼間の太陽かと見紛うほどの巨大な火柱が天を衝いた。
…………。
その頃、埠頭では――。
「ぐぬぅ、やるでごわすなサーメガロ!!」
「ふっふっふ、サメっち実はこう見えてちょー強いッス」
サメっちはボロボロになりながらもイエローと善戦していた。
イエローが誇る最強の矛“イナズマハリテ”と最強の盾“ストロングマワシールド”は確かに厄介だが、弱点もある。
バリアーの展開には構えが必要であるため、ハリテと同時に発動できないのだ。
すなわち間断なく攻撃し続ければ、イエローは亀のように手も足も出せなくなるということであった。
サメっちはそれに気づくまでに、既に十数発のハリテを食らっていた。
実のところ、こうして攻め続けるのもつらい状況だ。
「うぬぬぬ、さっさとバリアーを解くッス!」
「そちらこそ、さっさと諦めるでごわす!」
戦いは長期戦の様相をていしていた。
そうなると構えているだけのイエローに対し、息つく間もなく攻撃し続けているサメっちは圧倒的に不利である。
「おりゃりゃりゃりゃりゃりゃッス!!」
「ふむ、そろそろでごわすな。そろそろ結びの一番といくでごわす」
「ぜーっ、その状態から! ぜーっ、なにができるって! ぜーっ、言うんッスか!」
そのとき、サメっちの背後で真っ赤な炎が揺らめいた。
振り返ると、その目に映ったのは炎を纏った拳であった。
「一撃必殺、“バーニングヒートグローブ”ッッッ!!!」
「うぎゃアアアアアァァァァァ―――――――――ッス!!!」
サメっちの身体を、天まで届く真っ赤な火柱が包み込んだ。
「心がたぎる赤き光、ビクトレッド! よもや卑怯とは言わないだろうな怪人よ! おいイエロー、生きてるか!?」
「間一髪でごわしたレッド、助かったでごわす」
「まったく、だから独断専行はよせと言ったんだ! おおかた手柄を独り占めしようとしたんだろう、帰ったら始末書だからな!」
「そりゃ勘弁してほしいでごわす!」
こんがりと焼き魚にされてしまったサメっちは、かろうじて生きていた。
水棲生物怪人でなければ爆発四散していただろう。
「……ア……ニキ……」
糸がほつれるように怪人化が解け、身体は少女のそれへと戻っていく。
「……アニ……キ……、ご……めん……なさ……」
涙でぼやける視界の端に、近づく誰かの足の影が見えた。
イエローか、レッドか、いずれにせよサメっちはここで捕まってしまうのだろう。
いや、それならまだいい。
ひょっとするとここで“処理”されるかもしれない。
サメっちはボロボロの身体で逃げ出そうともがいた。
アニキに、林太郎にもう一度会いたい、会って謝りたい。
負けちゃいました、ごめんなさいと。
アニキはなんと声を掛けてくれるだろうか。
よく頑張ったと褒めてくれるだろうか。
そんなことを考えていると、あふれる涙を止められなかった。
「うあ……アニキ……ああああ……」
人影が無情にも、サメっちの軽い身体を抱え上げる。
「貴様! その怪人をはなせ!」
「やはり現れおったでごわすな!」
優しく、だが力強く、大切な家族を抱きしめるように。
その男はサメっちの焦げた髪に頬を添わせた。
「よく頑張ったな、あとは任せろ」
サメっちはその声を聞いて、眠るように気を失った。
その男は戸惑うレッドとイエローに向かって、静かに言い放った。
「お前らには悪いが延長戦だ。
――ここから先は“極悪怪人デスグリーン”が相手をしてやる」
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