ヒーロー本部、ビクトレンジャー秘密基地。
椅子に座って膝を抱え込むひとりの少女がいた。
憂いを帯びたスカイブルーの瞳は、何を見つめるでもなく空を泳ぐ。
黛桐華は自身の未熟さを痛感していた。
栗山林太郎の死亡報告を受けてから毎日毎夜、仇の首を刎ね飛ばすことだけを考えてきた。
その自分がいざ極悪怪人デスグリーンを目の前にして、どうして退けようものか。
たとえ蛮勇とそしられようとも、林太郎の仇と相打つ覚悟であった。
だが桐華にはわかるのだ、たとえ復讐を成し遂げたところで自身の心が晴れることはけしてないということが。
だからといって、どうして心の内側からとめどなくあふれ出るマグマのようなこの衝動に逆らえようか。
かつて何事にも揺らぐことのなかった自分の心がこれほど義憤に支配されるとは、桐華自身思ってもみなかった。
「……センパイ……」
桐華の手に握られているのは、栗山林太郎の名が刻まれた緑のネームプレートである。
彼女と林太郎を繋ぐ、今や唯一となる彼の遺品である。
今にも泣きだしそうな桐華の目の前に、コーヒーがなみなみと注がれたマグカップが置かれる。
「黛さん、まだ腑に落ちませんか」
相変わらず無表情な朝霞司令官の問いかけに、桐華は黙って顔を伏せた。
朝霞が撤退を判断したことにも、理屈の上では納得しているつもりだ。
「……私は、やり損ないました」
「成果としては充分です」
「デスグリーンを仕留められなかったんですよ? それを……」
朝霞に食ってかかったところで、何かが変わるわけでもないことは百も承知だ。
しかし頭で理解できても、心がついてこないというのは桐華にとってはじめての経験であった。
そんな桐華をたしなめるように、朝霞はコーヒーに砂糖を入れた。
「撤退命令を下したのは私です。あなたに落ち度はありません」
「……でも、私があのとき刺し違えてでもヤツを倒していれば……!」
朝霞は眉をわずかに動かすと、床に膝をつき桐華と同じ高さで目を合わせた。
「私たちヒーローの職責は、平和と秩序を守ることではありません。守り続けることです。そのためにはあなたの力が必要です。あなたを生かすためならば、私はまた撤退命令を下します」
「…………はい」
「ご理解いただけたようでなによりです。冷めないうちに飲んでください」
それは彼女なりの気遣いだったのかもしれない。
言うだけ言うと、朝霞は部屋を後にした。
今勝つことよりも、生きて戦い続けること。
それがヒーローの使命である。
死んだ仲間に報いるのではなく、彼の魂までも背負って戦い続けること。
それが桐華にできる、栗山林太郎への唯一の恩返しなのである。
桐華は決意を新たに立ち上がると、コーヒーを一気に飲み干した。
「あっま……」
そのコーヒーは、ほとんど砂糖の味しかしなかった。
…………。
ビクトレンジャーがほぼ無傷での撤退に成功した一方、アークドミニオン側の被害は甚大であった。
林太郎が救援を要請したことで、ベアリオン、ウサニー大佐ちゃん、そしてビルに砲弾として突っ込んだサメっちは回収された。
しかしいずれも無事とは言い難い状況である。
アークドミニオンの怪人の中でも驚異的な回復力を誇るサメっちはともかく、他ふたりの容体は極めて深刻だ。
「グヌウウウゥゥゥゥ……!」
「はぁっ……はぁっ……ベアリオン様ァ……!」
桐華が“クロアゲハ”に塗って用いた毒は、対怪人用に調整された劇薬である。
アークドミニオン地下秘密基地の医務室に運び込まれたふたりは、見る見るうちに弱っていった。
血の気が失われつつある百獣軍団のトップとナンバー2を、林太郎とソードミナスが必死に看病していた。
「あわわわわ、大変だ! このままだとふたりとも死んでしまうぞ! 百獣軍団壊滅の危機じゃないか!!」
ソードミナスの心配はもっともである。
百獣軍団は知っての通り鋼の結束を誇っている。
しかしそれは百獣将軍ベアリオンという中核となる存在がいてこそのものだ。
トップのベアリオンと、ナンバー2のウサニー大佐ちゃん。
このふたりが同時に倒れるようなことがあれば、我の強い百獣軍団の面々をまとめられる者はいなくなる。
「じゃあなんとしても、死なせるわけにはいかないってわけだ」
「うう、しかし毒となると……解毒剤でもないことには」
「解毒剤……毒に詳しい怪人なんていたっけ……?」
林太郎の脳裏にたったひとり、誰よりも毒に精通しているであろう怪人が浮かび上がった。
しかし果たしてその人物の協力を取り付けることができるだろうか。
おそらく相当厳しいだろう、どれほどの対価を要求されるかわかったものではない。
「アニキぃ……」
医務室にみっつ並んだベッドの一番端で、サメっちが弱々しく呟いた。
林太郎はサメっちの手を取り、身体をじっとりと湿らせる汗を拭いてやる。
「サメっち、まだ動いちゃいけない。骨も何本か折れてるんだから」
さすがの物理耐久力を誇る怪人とて、自身を砲弾として撃ち込むような無茶をすれば骨だって折れる。
サメっち本人曰く、この程度であれば2日もあれば治るそうだ。
相変わらずバグった回復力であるが、再生のためにも現在は絶対安静である。
「オジキと……ウサニー大佐ちゃんを、助けてッス……」
少女はボロボロになりながらも、仲間の命を助けてほしいとうわごとのように懇願した。
林太郎がサメっちの患部に触れると、人間ではありえないほどの熱を帯びていた。
これほどの傷を負いながら、自分のことについては弱音のひとつも吐かないサメっちを見て、林太郎の心がズキンと痛んだ。
「アニキ……お願いッス……」
林太郎は黙ってサメっちの頭をなでた。
怪人である少女に対して、ここまで同情してしまっている自分。
自身が人間であることを隠し続けていることへの背徳感。
そういったものが林太郎の心を締めつける。
黛桐華と対峙したあの瞬間、彼女ならば栗山林太郎という存在に気づいてくれるのではないかという期待がほんのわずかに頭をもたげた。
しかしそれにも増して脳裏をよぎったのは、自分をもてはやす怪人たちの姿である。
「デスグリーン様サイコー!」
「デスグリーン様ステキー!」
「アニキ、かっこいいッス!」
最凶の怪人、デスグリーンという“居心地の良さ”の陰で。
栗山林太郎という男の存在はあまりにも孤独であった。
林太郎の懐には、2種類の手榴弾が常備されている。
非殺傷の閃光手榴弾と、殺傷力の高い通常の手榴弾である。
林太郎はあのときとっさに、非殺傷のピンを抜いた。
もし桐華が怪人で林太郎がヒーローであったならば。
あるいは林太郎が心の髄まで怪人であったならば。
果たして栗山林太郎という男はどのような選択をしただろうか。
人間であることを諦めきれず、怪人にもなりきれない。
そんな自分が、サメっちの兄貴分として相応しいのだろうか。
ふとそんなことを考えてしまうのだ。
「……ッスゥー……ッスゥー……」
怪我の修復で相当体力を消耗しているらしく、気づくとサメっちは小さな寝息を立てていた。
林太郎はサメっちに布団をかけてやると、腹をくくって立ち上がった。
「任せとけサメっち、この極悪怪人デスグリーンが必ずふたりを救ってやるさ」
その声は眠っているサメっちには届かない。
だが林太郎は自分に言い聞かせるよう、力強くそう言い放った。
サメっちの願いを叶えるべく、林太郎はソードミナスに後を任せ医務室を後にする。
向かうべき先は、既に決まっていた。
問題は“彼”がこちらの要求に応じてくれるかどうかである。
…………。
1時間後、林太郎は調布の植物園を訪れていた。
大きなアーチをくぐると、むわっとした熱気と濃密な花の香りに包まれる。
ドーム型の温室には、冬だというのに色とりどりの花が咲き乱れていた。
ドームの中央に据えられたテーブルには既にティーセットが用意されており、ひとりの男が着座していた。
真っ白な椅子に優雅に腰かけるその男は、林太郎を見るや否や大げさに天を仰いでみせる。
しかしそれが本意であるのか、それとも演技なのかはわからない。
なぜならその男の顔は上半分がパピヨンマスクによって隠されており、表情はほとんど読み取れないからだ。
サーカスのマジシャンを彷彿させる派手な衣装をその痩身にまとう男は、林太郎に座るよう席を促した。
そして透き通るような美しい声を響かせる。
「祝福の時は来たれり。大いなる闇が邂逅せし折、太陽はその身を隠し、夜と夜は束の間の逢瀬に悦びを謳うであろう」
「ザゾーマ様は『よくぞ来てくれた。まずは座って紅茶でも飲みながら話そう』と仰っています」
「話そうって言う割には、まるで会話する気がないように見受けられるんですが」
アークドミニオン最高幹部のひとりにして毒を操る専門家・奇蟲将軍ザゾーマの口元は、優雅に微笑んでいるように見えた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!