当然のように、林太郎の肉体はボロボロであった。

　ダメージの大半は戦闘ではなく、デスグリーンスーツの制限時間をオーバーしたことによるものだ。

　キングサイズのベッドの上で、パンツ一丁の林太郎が大の字になって天井を見つめていた。

　羽田決戦の英雄も、今は全身のほとんどが湿布と包帯で覆われている。

「ダメだ、全身がまんべんなく痛ぇ……！」

「そうとう無茶したな。少なくとも、今日一日は絶対安静だぞ」

「どのみち指一本動かせないよ」

　あの戦いの直後、前日からの無理がたたった林太郎は気を失って卒倒した。

　ソードミナスの献身的な介抱と適切な処置によって、夜半を過ぎた頃になってようやく目を覚ましたのだ。

「南極で音信不通になったときは、本当に心配したんだからな」

「悪いね、じゃじゃ馬姫がおもちゃを壊しちゃったもんでさ」

　林太郎の脚に包帯を巻きながら、長身の乙女・ソードミナスはふと不安にかられた。

　前の戦いの傷もまだ治っていないというのに、なぜこの男はこれほどまでに身体を張るのだろうか。

　やはりそれだけ、あの黛桐華という少女に心を注いでいるということなのだろうか。

　林太郎に強い恩義を感じているソードミナスは、そのことに少しばかりの寂しさを覚えた。

「なあ林太郎。もし……もし私が、南極に行ったら……」

「ソードミナスも南極に行きたいのか？　やめとけやめとけ、ペンギン見る前に凍りついて数万年後に発掘されるのがオチだ。トリケラトプスの化石と一緒に未来の博物館を彩りたいっていうなら止めないけど」

「……ああ。うん、そうだな。寒いのは苦手だ」

　もし自分が南極に行ったら、林太郎は迎えに来てくれるだろうか。

　そんな台詞が喉元まで出かかったところで、ソードミナスは言葉を呑んだ。

　きっと林太郎は気を遣って、ソードミナスが期待する答えを返してくるに違いない。

　彼の優しさは、ソードミナスをより一層みじめな気持ちにさせるだろう。

「……それじゃあ、私はそろそろ部屋に戻るよ。明日の朝、包帯を替えにくる」

「待ってくれソードミナス。こんな格好で悪いが、すごく大事な話があるんだ」

　立ち上がろうとしたソードミナスを、林太郎は真剣な顔で呼び止めた。

　林太郎の眼はソードミナスの瞳をまっすぐに見据え、相変わらず澱み切ってはいるもののいつになくシリアスな雰囲気を醸し出していた。

「な、なんだ林太郎……やぶから棒に……」

「ソードミナス、これは理性じゃどうにもならない話なんだ。俺の身体の内側から、抑えられないものが湧き上がってくるんだよ。こいつは他の誰かに頼めるようなことじゃない。ソードミナスにしか任せられないんだ」

「それって、まさか……」

　ソードミナスは、思わず林太郎の身体を見る。

　パンツ一丁で横たわるその肉体は、太ってはいないが痩せすぎてもいない。

　引き締まった、男の筋肉で覆われていた。

　その身体の内側からあふれ出てくる、理性で抑えきれないもの……。

「だだだ、ダメだ林太郎！　今は絶対安静だって言っただろう！　それに、そういうことはもっとちゃんと順を追っていかないと……！」

「それじゃ遅いんだよ！　確かに俺も見られるのは恥ずかしい……だけどもう我慢できないんだ、わかるだろう俺の気持ち！？」

「待ってくれ、こっ、こここ、心の準備が！」

「もう待てないんだ、今にも出そうなんだよ！　はやく俺のパンツを下ろしてくれ！」

　ソードミナスは林太郎と知りあって間もないが、ここまでストレートに関係を迫る情熱的な姿は初めてであった。

　肉体が大きなダメージを負うと、生命は本能的に子孫を残そうとするらしい。

　しかしサメっちや桐華を差し置いて、こんな抜け駆けのように一時的な享楽に身を委ねていいものだろうか。

　顔を真っ赤にしたソードミナスは、意を決して頷いた。

「わかった……だけどその、私は初めてだから……上手くはできないと、思う……」

「いいから早く！　専用の器具があるから、それ使って！」

「どどど、道具を使うだとぉ！？　初手からそんなレベルの高いことをぉ！？」

　専用の器具という言葉に、ソードミナスにはたったひとつだけ心当たりがあった。

　そういういかがわしい道具があるということは、知識として知っている。

　加えて、林太郎の部屋には器具の数々がバッグに詰め込まれて隠されているということも。

　だが扱えるかどうかは完全に別問題だ。

「はわわわわ……！　私にはレベルが高すぎるぅ……！」

「いいからはやくぅ！　はやくしてくれぇーッ！」

　赤面し狼狽するソードミナスに向かって、林太郎は懇願するように泣き叫んだ。

「もうらめぇッ！　おしっこ漏れちゃうーーーッッ！！」

　…………２時間後。

　暗い自室のベッドで、林太郎は頬を腫らしてしくしくと泣いていた。

　恥ずかしい思いをした上、理不尽に頬を引っ叩かれて林太郎の心はズタボロであった。

「うっうっ……ひどいよ……あんまりだぁ……」

　ベッドサイドには、空の“しびん”が置かれていた。

　シーツも布団もパンツも、新しいものに交換してもらった。

　できることなら、傷を負った心もリセットしてほしいと願うばかりである。

「……しくしく……ん？」

　そのとき、林太郎の耳に水の音が聞こえた。

　涙が流れる音ではない、明らかにシャワーの音だ。

　ソードミナスがパンツを洗った後、止め忘れたのだろうか。

　いや、シャワーの音だけではない、明らかに人の気配を感じる。

　林太郎が痛む身体をこらえて首をひねると、シャワールームに明かりが灯っているのが見えた。

　キュッとカランをひねる音が聞こえると、シャワールームの光が消えた。

　ひた、ひたと、裸足の足音が林太郎が横になるベッドへと近づいてくる。

　暗闇の中に、薄ぼんやりと白い人影が見えた。

「……誰だ……！？」

　林太郎は逃がれようにも、全身の痛みに身体を起こすことすらままならない。

　人影は何も答えることなく、林太郎の掛布団をゆっくりと剥ぎ取った。

　直後、林太郎は己の腹筋にノシッと重みを感じる。

　その白い人影はパンツ一丁で裸体同然である林太郎の腹に、乱暴にまたがった。

　馬乗りにされた林太郎の胸板に、白く細い手が這う。

　林太郎がその不審者の正体に気づくのと、彼の鼻に濡れた白銀の髪がかかったのはほぼ同時であった。

「ななな、何やってんだよ、黛ィ！」

「まだ何もしてませんよ、これからするんです」

　それは真っ白な肌に、バスタオル一枚を羽織っただけの黛桐華であった。

　桐華は林太郎が動けないことをいいことに、その身体を胸、二の腕、太腿、首筋と確かめるように細い指先で触れていく。

「するってお前、待て待て待て待て！　何するつもりだ！」

「約束したじゃないですか、“南極の続き”ですよ。あの時は邪魔が入りましたが」

「いやいやいやいや！　俺絶対安静なんだけど！」

「“弱っている敵を積極的に狙え”……いつも散々負かされてきたんです。今日は私が勝たせてもらいますよ、センパイ」

　林太郎は痛む全身をねじろうと、腹筋に力を入れる。

　しかし白く柔らかな太腿が、そうはさせまいと林太郎をガッチリとホールドする。

　ここ数日あらゆる危機を乗り越えてきた林太郎に、本日最後のピンチが迫っていた。