15年前、角界を震撼させる大事件が起こった。
当時歴代最強横綱とまで呼ばれた力士が、無名の高校生に敗北を喫したのだ。
無論、地方興行での出来事であり公的な記録ではない。
にも関わらず、テレビや新聞をはじめとするメディア各紙はこぞってこの高校生横綱を取り上げた。
当然のように高校卒業と同時に角界入りするかと思われたが、
彼が選んだ道は相撲ではなく、正義であった。
2年制のヒーロー学校を首席で卒業し、日本各地の支部であわせて10年以上の実績を持つ大ベテランヒーロー。
仲間や子供たちから慕われる心優しき巨人。
彼の名は黄王丸――。
勝利戦隊ビクトレンジャー3人目の戦士、ビクトイエローその人である。
今日はそんな彼の半生を振り返ると共に、その魅力に迫ります。
『その時、歴史の旅がヒストリー ~にっぽんのプロフェッショナル~』
チャララララ~♪ チャララリラ~ン♪
「なにこれ?」
モニターにはどこかで見たようなドキュメンタリー番組が流れていた。
「敵を知り己を知れば百戦あやうからずッス! ソォンシーって人が言ってたらしいッス!」
「そんな中国妖怪みたいな名前の人だったっけ?」
「とにかくッス! 残るビクトレンジャーはあとふたりッスけど、油断ならない相手ッス! ちょっとでも相手のことを調べるッス」
モニターの中ではよく知った顔の男がインタビューに答えていた。
よく知っているも何も、林太郎は彼の同僚であり背中を預け合うチームメイトである。
林太郎はアークドミニオンの誰よりも、イエローに詳しいだろう。
実はこの動画だってもう20回ぐらい見たことがある。
イエローこと黄王丸は酒に酔うといつも上映会を始めるのだ。
他のヒーローと違ってその経歴から素性を隠していない黄王丸は、仲間内でも特にメディアへの露出が多かった。
ようするに仲間内でも頭ひとつ抜けた有名人であることを鼻にかけていたのである。
当然のように、完全成果主義の林太郎とはまるで折が合わなかったものだ。
『わしは最初から、正義の道だけを見ていたのでごわす』
「ふむふむ、ヒーロー一筋だったんッスね。メンタルも強そうッス」
「神経は図太いだろうね」
林太郎は知っている。
当時の黄王丸青年は横綱を倒したあと、調子に乗って“横綱を倒した男”としてあらゆる方面で名前を売りまくった。
テレビのバラエティ番組にアスリート枠で出演し、出版した自著伝『横綱を食らう』は全国で30万部を売り上げる大ベストセラーになったほどだ。
結果としては当然のことなのだが、横綱の大銀杏は怒髪天を衝くことになった。
それを相撲業界が忖度してどの部屋にも入れてもらえなかったのだ。
ヒーローかヤクザか地下格闘技ぐらいしか、そもそも進める道がなかったのである。
『わしは仲間たちに、日々感謝の心を忘れないようにしているでごわす』
「ふむふむ、仲間との絆は深いというわけッスね。きっと今頃復讐に燃えているッス」
「そりゃ怖いね、絆パワーだ。悪の怪人の天敵ってやつだね、怖いからコイツには今後一切関わらないようにしようね」
なるべくこの男と関わりたくないのは、林太郎の嘘偽りない本心である。
イエローという男は角界入りできなかったことを反省してか、とにかく立ち回りが上手いのだ。
いつも美味しいところを持っていってしまうことを、林太郎はよく知っていた。
林太郎が必死に戦っている間、市民の避難誘導と称して女子大生を口説いていたこともあった。
OBとして林太郎と共にヒーロー学校を訪れた際、事務手続きを進める林太郎を尻目に学生たちと仲良くなって、いつの間にか林太郎抜きで飲み会を開いていたこともあった。
事件報告書はいつも最大功労者である林太郎が書いていたが、お礼こそ毎回言ってくれるものの、手伝ってもらったことなど一度もない。
仲間からすれば“憎むべき愛されキャラ”――それがイエローである。
世間体を重視し、要領がよく、しかし配慮に欠ける。
智謀を巡らせ策を弄する実利主義の林太郎とは相性が悪く、まさしく犬猿の仲であった。
「アニキ、すごく怖い顔してるッス。殺る気ッスね!」
「ははは、いやだなあサメっち。俺は殺しはやらない平和主義者だよ」
「でもビクトグリーンは食べちゃったッスよね」
「あれは例外だから、俺の中で生きてるから」
モニターの中では憎きイエローが超大盛のカレーと戦っていた。
『1日の摂取カロリーは、およそ1万キロカロリーでごわす。特にカレーは毎日欠かせないでごわす』
「はわぁ~……カレーッス……。美味しそうッスねえ……アニキぃ?」
「はいはい、じゃあ今日はシーフードカレーにしようか」
「やったーッス!」
実のところカレーは林太郎も大好きである。
ヒーロー本部では“キャラが被るから”という理由で、滅多に食べさせてはもらえなかったが。
「いただきまーすッス!」
嬉しそうにカレーを頬張るサメっちを見ていると、林太郎はつい自分がヒーローであることを忘れそうになる。
本人の意思にかかわらず、他者を傷つける社会の脅威。
それが彼女たち怪人であり、ヒーローとはけして相容れない存在であるにも関わらず。
「ふぁー、食べたら眠くなってきたッス……」
「こら、寝るならちゃんとベッドで寝なさい」
「ふぁーいッス……」
「だからそれは俺のベッドだって……あーもう。おなか出して寝たら風邪ひくでしょうが!」
「ッスヤァ……」
林太郎は今日も俺はソファで寝るのかと、悪態をつきながらもサメっちに布団をかけてやる。
ヒーロー学校に入る前は弟と暮らしていた林太郎である。
だからこの娘は怪人だと心の中では思いつつ、つい世話を焼いてしまうのだ。
いっそこのまま怪人になってしまうのも、悪くないかもしれない。
だが林太郎の心の中に、深く根付いた正義がそれを許さない。
愛する平和のために選んだ正義の道を、そう簡単に捨て去ることなどできないのだ。
「怪人……なんだよな」
漏れ聞こえる寝息は少女のそれだ。
しかしその小さな唇の裏側には鋭い牙が待ち構えている。
平和の裏に潜む脅威、それは社会と怪人の縮図そのものだ。
「……ッスー……」
「…………」
彼女もかつては天真爛漫な、普通の人間の少女だったに違いない。
怪人覚醒は誰にでも発症しうる不幸、いわば交通事故のようなものだ。
生まれながらに怪人であったり、望んで怪人になる者もいるが、怪人のほとんどは後天的な覚醒によるものだといわれている。
しかし覚醒した時点で社会の脅威と見なされ、人の世界から隔絶される。
なぜならその存在そのものが、他人の平和を脅かす害になりえるからだ。
だから人間社会は、その危険な異物を排除することを正義と定めた。
彼女たちを“鎮圧”あるいは“処理”するのが、ヒーローとしての林太郎の役目である。
今も怪人に苦しめられている人たちが、世界には大勢いるのだ。
平和の使者たる栗山林太郎は、いつまでも油を売ってはいられない。
「そうだ思い出せ、俺はヒーローだぞ……なにやってんだよこんなところで……」
あまりにも無邪気で活き活きとした彼女たちと接するうちに、林太郎は少しずつアークドミニオンに居場所を感じ始めていた。
それと同時に、今までの自分に戻れなくなってしまうといった焦りが、日を追うごとに募っていった。
怪人の少女と出会ったあの日から、“正義の味方”栗山林太郎は壊れ始めていたのだろう。
それを自覚することは、林太郎にとって何よりの恐怖であった。
「……ッスー……」
そのあまりにも無防備な細く白い首筋に、林太郎はゆっくりと手を添える。
冷たい指先からは、少女の確かな鼓動を感じる。
林太郎の手を、小さな手のひらが掴み返した。
起きたわけではない、寝ぼけているだけだろう。
彼女はいったい、どんな夢を見ているのだろうか。
「……アニキ……大好きッス……」
ピピピポポポピ。
その時、着信を示す電子音とともに、ビクトリー変身ギアが光った。
呼吸を忘れていた林太郎はぶはっと息を吐き出し、思わず自分の首筋に手をあてがう。
首筋に触れた自分の手のひらは、林太郎が思っていたよりもずっと冷たかった。
ピピピポポポピ。
地下数百メートル、窓の無い静かな部屋で、ビクトリー変身ギアだけが鳴り続ける。
林太郎はサメっちを起こさないよう、静かに通信回線を開いた。
「もしもし……?」
『グリーン、わしでごわす』
声の主はビクトイエロー、黄王丸であった。
「どうしたイエロー? 俺を殺しそびれた愚痴でも語って聞かせるつもりか?」
『うむ、そのいけすかない皮肉はまさしくグリーンでごわすな。やはりデスグリーンはおぬしでごわしたか』
その言葉は、林太郎が待ち望んでいたものであった。
ビクトグリーン・栗山林太郎の存在を、まだ認めてくれる人がいる。
たったそれだけのことで、林太郎は目頭が熱くなった。
「気づいていたのか……? いつから……?」
『上野公園の動画を見て、もしやと思ったのでごわす。半分はわしの勘でごわすが』
林太郎はイエローを嫌っていた。
それと同じぐらい、イエローも林太郎を嫌悪していた。
だからこそ、イエローの言葉には確信がある。
極悪怪人デスグリーンなど存在しない。
彼こそがヒーロー・栗山林太郎なのだと。
『まったく、心配したでごわすぞー』
「はは……俺の心配をするなら、是非とも態度で示してもらいたいね」
『うむ、そのことで話がしたかったのでごわす。グリーン、今から会えないでごわすか?』
林太郎にとっては思いもよらない申し出であった。
全て切れたと思っていた頼みの綱が、一本新たに投げ込まれたのだ。
それも自分自身が最も拒絶していた相手から。
『……わしも辛かったでごわす。司令部の手前、ビクトレンジャーとして戦わざるをえなかったのでごわす。……グリーンには、本当に申し訳ないことをしたでごわす』
「……本当に信じていいんだな?」
イエローの言葉に嘘偽りがあるようには感じられない。
だからこそこうして機密回線で、他のメンバーにバレないよう連絡を寄越したのだろう。
「事故とはいえ仲間を手にかけたんだ、司令部が納得するか?」
『安心するでごわす。司令部はわしが必ず説得するでごわす。落ち合う場所は……』
――深夜。
「うにゅ……あれ? アニキ?」
サメっちが目を覚ますと、そこに林太郎の姿はなかった。
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