翌朝、天気予報は今日も快晴をうたっていた。
しかし地下数百メートルの秘密基地に、冬の太陽の光が降り注ぐことはない。
プロジェクターの光だけが、無駄に広い部屋をぼんやりと照らしていた。
映し出されているのは、目元が涼しげな黒髪の女性だ。
「標的はこいつ、“剣山怪人ソードミナス”ッス」
「その名前聞いただけでもう会いたくないんだけど。絶対切れたナイフみたいなやつじゃん」
「実際やってることもなかなかにキレてるッス」
ここ数日、巷ではすれ違いざまに衣服を切り裂くという通り魔事件が相次いでいる。
性別や年代など被害者にこれといった関連性はなく、犯行時間もバラバラである。
ただ不自然なことに、現場には犯行に用いたと思しき刃物が複数残されていたらしい。
それも出どころもメーカーも一切不明の代物なのだとか。
「今のところ怪我人は出ていないッス」
「このやり口じゃ、それも時間の問題だろうね」
アークドミニオンはこの一連の事件は怪人の仕業であると結論づけた。
そして過去のデータベースから浮上したのがこの“剣山怪人ソードミナス”である。
資料には2年前、ヒーロー本部の活躍によって札幌市内で拘束されたとあった。
それがどういうわけか数日前から東京で騒ぎを起こしているらしい。
聞けば世間を騒がせる“野良怪人の保護”は、アークドミニオンの仕事のひとつだという。
林太郎がアークドミニオンに連れてこられたのも、この活動の一環である。
「アニキの初仕事ッス! サメっちも気合い入れるッスよ!」
「ああ、お手柔らかに頼むよ」
いつもひとりで仕事をこなしていたというサメっちは、林太郎からの手伝いの申し出に舞い上がっていた。
表面上アークドミニオンに従属してはいるが、無論これは林太郎の本意ではない。
これも地下組織脱出ならびに、ヒーロー本部復帰に向けての作戦である。
林太郎の腹の内では、黒い笑みがこぼれていた。
怪人組織の動きをつぶさに知れるチャンスなど、めったにあることではない。
特に秘密結社アークドミニオンはその存在はもちろん、活動面においても秘匿性の高い謎多き組織だ。
ヒーロー本部への手土産として、これほど適した情報もないだろう。
(俺は敵の動きを知るため、スパイとしてアークドミニオンに潜り込んだということにすれば……自然な流れで復帰もできるってわけだ……ククク、完璧だな……)
林太郎がビクトレンジャーとして任務をこなしていた頃、たまに標的の怪人が忽然と姿をくらませることがあった。
その裏には、秘密結社アークドミニオンの暗躍があったのだ。
もしこのカラクリの全容を掴むことができれば、これ以上の手柄はない。
「ヒーロー本部が駆けつけてくる前に終わらせるのが、この仕事のキモッス!」
「なるほどね、駅や空港で網を張ってもかからないわけだ」
アークドミニオン秘密基地にうごめく怪人たちの多くはそうやって集められていた。
それならば壊滅した組織の残党が多く在籍するのも頷ける。
かくいう林太郎も、その怪人と間違われてここへ連れてこられたわけだが。
「これもアークドミニオンのお仕事ッス! サメっちこの仕事得意ッスから、アニキも頼ってくれていいッスよ!」
(サメっちが失敗したから拉致されたんだけどな俺!)
林太郎は喉から出かかった言葉をすんでのところで飲み込んだ。
それよりも脅威なのは、怪人組織がヒーロー本部よりも優れた情報網を持っていることだ。
やはり蛇の道は蛇ということなのだろう。
野良怪人の情報はサメっちが持つ“怪人大辞典”なる分厚いファイルに集約されていた。
「そのデータベース便利だね。あとで見せてよ」
「だ、ダメッスよ、いくらアニキでも! これはサメっちのアイデンティティーッス!」
林太郎はサメっちに悟られないよう、心の中で舌打ちをした。
「そりゃ残念だ、色々使えると思ったんだけどな」
「これだけは門外不出ッス。んじゃ次はこいつを見てほしいッス」
サメっちはプロジェクターの画像を切り替えた。
映し出されたのは赤い点がいくつか記された東京の拡大地図である。
「最初の被害は御茶ノ水ッス。それから神田明神、その次がアメ横ッスね」
「……少しずつ北上してるわけだ。じゃあ次は上野かな」
「むふふ、さすがアニキッスね。実はさっきそれらしき怪人の目撃情報があったッス」
――それから間もなく、林太郎はサメっちを助手席に乗せ車を走らせていた。
“上野公園”
春には桜の名所として大勢の花見客で賑わい、多くの文化施設を擁する日本芸術の中心地である。
そう思うと、枯れた木々や北風に吹かれて波立つ水面でさえ、なにやら高尚な作品のように見えてくる。
「サメっちスワンボート乗りたいッス!」
「よおし、じゃあひとりで乗っておいで、アニキはここで見てるから」
「うわあん、アニキ冷たいッス! あっ、鯛焼きッス! アニキ鯛焼きッスよ!」
「そうだね、鯛焼きだね。それはそれとしてじゃあ行こうかサメっち」
「うわあん、置いてかないでほしいッス!」
右へ左へ誘惑に入れ食い状態で釣られまくるサメっちの手綱を握り、林太郎たちは広い上野公園をくまなく歩きまわった。
「アニキは尻尾から食べる派ッスか? むふふ、サメっち鯛焼きはおなかから食べる派ッス」
鯛焼きを買ってもらったサメっちはゴキゲンであった。
「走っちゃあいけないよ。ハシャいでると転んで池に落ちてピラニアに食べられちゃうかもしれないからね」
「だいじょぶッス! サメっちこう見えて泳ぐのは得意ッス!」
「だろうね! いやそういう問題じゃないんだよ、ほら前見て歩かないと――」
だが林太郎の警告は、ほんの一瞬遅かった。
「うわぷッス!」
「ぐふっ……!」
サメっちは通行人と接触事故を起こし、あろうことか両者ともにすっころぶ。
林太郎は慌てて駆け寄った。
「あーもう! だから言わんこっちゃない! すいませんウチのバカなサメが……」
「いっ、いえいえいえいえいえ! いいんです! こちらこそっ、前が見づらかったもので!」
相手の女性は林太郎が差し伸べた手を断り、いそいそと立ち上がった。
「ほら、サメっちもあやま……って……!?」
「ごめんなさい……ッス……!?」
林太郎とサメっちはその女性の姿に唖然とした。
ボロボロのロングコートに、金田一耕助のようなチューリップハット、それはいい。
濃いサングラスに、口元を覆い隠す大きなマスク、百歩譲ってそれもいい。
驚いたのはその女の身長である。
けして低くはない林太郎の背丈を、更に頭ひとつ上回っていた。
かといってガタイが良いというわけでもなく、しいていうなら海外のモデルのようなすらりとした長身である。
その怪しい格好と相まって、どう見ても堅気の人間ではない。
(あ、これ殺されるやつだ)
(サメっちの冒険はここで終わってしまったッス)
林太郎たちはそんなことを考えていたが、女も女で相当焦っているようであった。
「こここここ、こちらこそ、すいません……! 本当に、ごめんなさい!」
ペコペコ頭を下げるや否や、女は走り去ってしまった。
「……迫力あったッス……」
「うん、サメっち今度からはちゃんと気を付けるんだよ――ん?」
「どうしたッスかアニキ?」
「それ、サメっちがやったの?」
林太郎が指さしたのは、つい先ほどサメっちに買い与えた鯛焼きである。
鯛焼きは頭を落とされ、その断面は食品サンプルばりにまっ平にされていた。
「ああーーっ! サメっちの鯛焼きくんのオカシラがぁーっ!」
肝心の頭はというと、これまた無惨にも地べたに転がっていた。
ひと振りのナイフと一緒に。
そのナイフを拾った瞬間、林太郎は今朝サメっちから受けた説明を思い出した。
無差別で唐突な犯行、現場に凶器を残す犯行手口、それはまさに――
「サメっちの鯛焼きくん……」
「鯛焼きはまた買ってあげるから。それより追うよサメっち」
「追うって、さっきの人ッスか?」
「そうだ、あいつが“剣山怪人ソードミナス”だ!」
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