極悪怪人デスグリーン

~最凶ヒーロー、悪の組織で大歓迎される~
今井三太郎
今井三太郎

第百九十三話「じょうはりのかがみ」

公開日時: 2020年10月23日(金) 18:03
文字数:5,758

 ヒーロー本部北千葉支部の地下取調室。

 林太郎は取り調べとは名ばかりの激しい尋問を受けていた。


「どうだ、仲間の居場所を吐く気になったか?」

「……ハッ、人にものを頼むときは跪いてケツを向けろってママに教わらなかったのか?」

「そうかい、ならばこちらも礼を尽くそう。……おい、もう一度流せ!」

「グワアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」


 およそ人の声帯が発し得ないほどの大絶叫が、窓のない部屋に響く。

 それは人間相手・・・・ではけして許されない、非人道的な拷問であった。


 すでに取り調べが開始されてから数時間が経過している。

 しかし林太郎は意識を朦朧とさせながらも、けして口を割ることはなかった。


「これ以上はさすがに辛いだろう。そろそろ吐いて楽になれデスグリーン」

「吐くのはトイレでって決めてるんだ。綺麗に掃除しておいてくれないか。てめえのクソがこびりついた便器なんざ見たかないんでね」

「……ぐっ、こいつめ……!」


 両腕に手枷を嵌められ、天井から鎖で吊るされてもなお軽口を叩く林太郎の姿に、むしろ尋問担当官のほうが肝を冷やしていた。



 だがひとりの女が取調室に入ってきたことで、拮抗した空気が一変する。



「尋問を変わります。他の者は全員退室してください」

「貴方は……!? お待ちください、こいつはあの極悪怪人ですよ。密室でふたりきりになるのは危険です」

「私は総員に退室せよと命じました。速やかに遂行してください」

「……はっ! 了解いたしました参謀本部長・・・・・殿!」


 参謀本部長と呼ばれた女は他のヒーロー職員たちを部屋から追い出すと、正面から林太郎の顔を見据えた。



「……へえ、あんた参謀本部長様になったのか。ずいぶん出世したじゃないか。今度銀座で寿司でも奢ってもらいたいもんだね」



 その女、鮫島さめじま朝霞あさかは林太郎の見え透いた挑発を無視して眼鏡をくいとかけ直した。

 林太郎にとって幾度となく見覚えのあるその顔は、相変わらず氷ような冷たさを帯びている。


「では始めます」

「その前にこの枷を外しちゃあくれないか。あんたの趣味を尊重したいのは山々なんだが、こうも両手が塞がってちゃあ髪をなでてやることもできやしない」

「時間はあるので順に試していきましょうか」


 朝霞は林太郎の言葉に一切耳を貸すことなく、装置のリモコンを操作した。

 それと同時に林太郎の口から、泡と一緒に咆哮のような叫び声があがる。


「ウウウウウッ!! グヌアアアアアアアアアアアア!!!」

「なにか思い出しましたか。我々に伝えるべきことを」

「……ハァ、ハァ。さあ、どうだったかな……。あんたが俺の頬にキスしてくれたら思い出すかもな」

「続けましょう」




 …………。




 そのあまりにも凄惨な様子は、盗聴器を介して彼の仲間たちのもとに届けられていた。



『ガアアアアアアアアッ! アアア!!! グオオオオオオ!!!』


 苦痛と絶望を煮詰めた悲鳴が再びスピーカーから流れてくる。


 全身の神経に焼けた鉛を流し込まれているのか、はたまた高圧電流で内臓を焼かれているのか。

 詳細は不明瞭であったが、あの林太郎が呻くほどの責め苦などそうあるものではない。


 あまりの大音声に、盗聴器はその役割をほとんど果たせていなかった。

 だが微かではあるが、尋問を受ける林太郎と何者かが会話する声は聞き取れる。


 あろうことかその声の主は、サメっちと桐華にとって旧知の人物であった。


「……この声、間違いないッス! お姉ちゃんッス!」

「まさか……鮫島司令官……? だとするとセンパイはもう……」

「キリカよ、おぬしなにか知っておるのか?」

「まあ……少しは」


 サメっちの驚きもさることながら、より状況を重く見たのは桐華であった。

 続く言葉を濁したのは、彼女の実妹であるサメっちの耳に“その情報”を入れたくなかったからである。




 桐華がかつてビクトレンジャーとしてヒーロー本部の指示に従っていたのは、他ならぬ鮫島朝霞が司令官を務めていたからに他ならない。

 ヒーロー本部もそれを理解した上で、朝霞をビクトレンジャー司令官の座に据えたのだ。


 長らく丹波率いるヒーロー本部の研究開発室に身を置いていた桐華は、朝霞の“現役時代”のことをよく知っていた。

 ヒーロー本部の中枢に近い研究開発室では、現役のヒーローたちでさえ知りえないような情報を取り扱うことが常であったからだ。


 その数ある機密情報の中でも、こと鮫島朝霞に関する事柄は特に取り扱いに注意を要するものであった。



 全国約五万人のヒーロー本部職員は言わずもがなそのほとんどがヒーロー、および元ヒーローによって構成されている。

 しかしその中でも朝霞が生ける伝説・守國一鉄元長官の補佐を務め、東京本部直属のエリート・勝利戦隊ビクトレンジャーの司令官に抜擢されたのにはそれなりの理由がある。



 例えば朝霞には現役時代、いくつもの“あだ名”がつけられていた。



 そのうちのひとつが『拷問屋』である。



『ウギャアアアアア!! ンギイイイイイイイイイイ!!!』

「お姉ちゃんやめてッスゥ! アニキが死んじゃうッスよぅ!」


 無論、一方通行の盗聴アプリを通して、妹の嘆願が姉に届くことはない。


 それはサメっちが知らない実姉の顔であった。



 朝霞は“自分の仕事”について、唯一の家族であるサメっちにもほとんど語ったことはないのだ。


 しかし実の妹であるサメっちが姉と別れたのはおよそ三年前、八歳のころである。

 たとえ語っていたとしても、ほとんど理解できてはいなかっただろう。



「センパイ……ああ、なんだってこんな……むごい……」

「くっ……すまぬ林太郎、わしが不甲斐ないばかりに……!」


 林太郎が置かれた状況を少しでも詳しく知ることは、救出作戦の成功率に直結する。

 だがそれは彼の仲間たちに、あまりにも辛い現実を突きつけただけであった。


 遠く離れた地で行われているであろう凄惨な拷問劇を前に、絶望的な雰囲気が室内に充満する。

 今確かなのは栗山林太郎という男が、今まさに朝霞の手によって破壊されつつあるということだけだ。



「キリカぁ! アニキが……アニキがほんとに死んじゃうッスぅぅぅ!!」

「ええ、もはや一刻の猶予もありません。今すぐ救出に向かいましょう」

「わしも同行しよう、足は手配しておいたぞい」


 桐華は苦々しい顔で、未だ林太郎の悲鳴を垂れ流し続けるスマホのスピーカーをオフにしようと指を伸ばした。


 その直後である。

 林太郎の絶叫と重なるように女の叫び声が轟いた。




『ペェーーーーーーロォーーーーーーッ!!!』




 ……………………。



 ………………。



 …………。




 薄暗い地下室で、林太郎のドブのような瞳がモニターの光に照らされる。


『アァァ~~~ベェ~~~マリ~~~ィィ~ア~~~♪』

「ヒギイイイイイイ!! ンギギギギギイイイイイイ!!!!」

「“2万ダースの犬”でも口を割りませんか。では次は“アメンボの墓”を流しましょう」


 そう言うと朝霞はDVDプレイヤーの中身を入れ替えた。

 すぐさまHDリマスターにより蘇った総天然色の世界がモニターに映し出される。


 取調室にはこの他にも【ネコと遊ぼう】【ほんわか大家族】【ぶらぶらローカル線旅行記】【密着108時間テレビの裏側~愛is平和~】【おかあちゃんといっしょ】といったDVDが取りそろえられていた。


 共通しているのはどれもこれも心が温まる感動の物語や、人に優しい気持ちを思い起こさせる映像作品ばかりということだ。

 GHQや国際人権団体が見れば卒倒しそうなほどの、世にも恐ろしい拷問器具の数々である。 


 もしことが明るみに出ようものならば、日本の司法が世界から猛烈なバッシングを受けるのは火を見るよりも明らかであった。



『なんでアメンボすぐ飛んでってしまうん?』

「ウワラバアアアアア!!! ホンギャギャギャアアアアア!!!!!」


 穢れた魂を持つ林太郎にとって心を打つ美しいシーンは、文字通り心臓に杭を穿たれるほどの苦痛なのだ。


 まるで魂に錆びたナイフを直接突き立てるが如きさまは、もはや尋問とも呼べぬ国家権力による一方的な虐待であった。

 長時間にわたる非人道的な拷問の結果、拘束された林太郎の全身には数リットルはあろうかという異常な量の脂汗がにじんでいるではないか。


 余談ではあるが林太郎はヒーロー学校時代、烈人に頼み込まれて“劇場版ホジャえもん”を一緒に観に行ったことがあるのだが、帰り道で熱を出して倒れた。


「ハァ……ハァッ……、ハァッ……」

「おや、もう呼吸もままなりませんか。まだ軽いやつなのですが」

「……欠伸が出そうだったもんでね。お次はなんだ、浄玻璃鏡じょうはりのかがみでも持ってくるつもりか?」


 信じられないことだが、朝霞の言葉はこれ以上の地獄があるということを示していた。


 地獄において、閻魔大王が罪人を映すことでその隠された罪をつまびらかにする鏡を浄玻璃鏡という。


 今まさにピュアという名の鏡面に映し出された栗山林太郎の姿は、さぞかし見るに堪えないものであったことだろう。

 その苦痛は林太郎のヘドロのような精神をかき乱し、聖なる爪でもってそのドス黒い心臓を引き裂くのであった。


 余談であるが林太郎は小学生の頃、道徳の授業で教育番組“すこやか4組”を見て嘔吐した結果、卒業まで『ゲロリン』というあだ名で呼ばれていた。




「では次のステージに移行しましょう」



 朝霞は事務的な口調で、淡々と仕事をこなしていく。


 まるで感情も良心も持ち合わせていないかのように。

 あるいは意図的に感情を押し殺しているようにも見えた。



これ・・流す前に、貴方には伝えておくべきことがあります」



 朝霞が取り出したのは、デジカメの撮影などに使われる市販のSDカードであった。

 林太郎にはそれがいったいなんなのか皆目見当もつかなかったが、先ほどまでの拷問よりも激しい苦痛を与えるものに違いない。


 朝霞は一呼吸置いた後、声のトーンを下げて林太郎に語りかけた。


「ご存知の通り、怪人には日本のあらゆる国内法も、ジュネーヴ条約も適用されません」

「……ああ知ってるさ。弁護士を雇う権利はなく、不利な証言以前に法廷にも立てないってやつだろ? それがどうした……」

「ヒーロー学校で習いませんでしたか。貴方は学業においても2位の成績を修めていたと記録されていますが」


 その一言に、林太郎は汗で濡れた顔を上げた。

 目の前にいる朝霞は、眉ひとつ動かさずに言葉を続ける。



「怪人には、と申し上げています」



 初めて、林太郎の顔から余裕の色が失せた。

 度重なる拷問で消耗した林太郎に、心の動揺を隠しきる余裕はない。


 朝霞はその動揺こそが核心を突いた証左であるとみて、小さく安堵の息を漏らした。



「極悪怪人デスグリーン。いいえ、元勝利戦隊ビクトレンジャー所属。五人目の戦士・ビクトグリーンこと栗山林太郎。私はあなたにいくつかお答えいただきたいことがあります」

「さあ、誰のことだろうな……」

「貴方が自ら手にかけ殺したとうそぶいた男のことですよ」



 朝霞はこれを見ろと言わんばかりに、赤いファイルをひろげてみせた。

 それはサメっちが持ち帰り、湊が林太郎の正体に気づくきっかけを作った前参謀本部長・小諸戸歌子による報告書と同じものであった。


 小学生の作文のように拙い文章であるが、報告書には林太郎が怪人細胞を持たない人間であることの状況証拠が列挙されていた。


「前任者の小諸戸には参謀本部長としての適性も人望もありませんでした。そのためヒーロー本部内で彼女の報告書に目を通している職員はほとんどいません。いたとしても妄言だと切り捨てるでしょう。ただのいち人間に、名誉あるヒーロー本部がここまで追い込まれるはずがないと」


 淡々と抑揚もなく語る朝霞の言葉を、林太郎はどれだけ理解することができただろうか。

 悪辣な作戦をごまんと思いつく邪悪な頭脳が、吹雪の中に迷い込んだように白く染まっていく。


 ただひとつ間違いないのは、目の前の鮫島朝霞は確信をもって言葉を発しているということだ。



「彼女の報告書は体裁こそお粗末ですが、極めて論理的です。そしてそれは今、事実であると証明されました。小諸戸も鼻が高いでしょう、大阪の実家に帰ったそうですが」


 事実を知ってしまった朝霞を、このまま野放しにしておくわけにはいかない。

 林太郎は真っ白に侵食されつつある脳をフルに回転させる。



 いったいこの女はどこまで知っている?

 ヒーロー本部内の大多数がこの情報を把握しているのか?


 いや口ぶりから察するに情報を握っているのはこいつだけだろう。

 今ここでこの女を始末すれば秘密は守れるだろうか?


 だがそれを成し遂げたところで脱出する手立てはあるのか?

 いやいやサメっちのお姉さんなら命を奪うのはダメだ!


 口を聞けなくして地下秘密基地に誘拐するというのはどうか?

 それか脳に電流を流して記憶を消すという手は使えるだろうか?


 ていうかそもそも小諸戸って誰だ!?




「………………………………」




 林太郎の導き出した結論は、黙秘であった。


 彼にとって詭弁という最強の武器を手放すことは、戦いを放棄するも同じことだ。

 だがこの状況下において、嘘の先にも、真実の先にも未来はない。



 黙して語らぬ林太郎を、朝霞は感情を殺した冷たい目でじっと見つめた。

 そしておもむろに、その手の中にある例のSDカードをノートPCに差し込む。



「では少し早いですが、重いやつ・・・・いきましょうか」



 しばしの沈黙の後、モニターにホームビデオらしき動画が映し出された。



「あ……あぁ…………! あぁぁぁ…………!」



 もはや悲鳴は声にならず、ただ音として林太郎の唇の隙間から漏れ出した。


 口にすることさえ躊躇われるほどの惨たらしい映像は、林太郎の脳を、心臓を、魂を未だかつてない鋭さでえぐり取る。


 痛みはとうに痛覚を通り越し、命そのものを直に削り取る音が脳裏に響く。



『ぼくはしょうらい、おいしゃさんになりたいです。りゆうは、きずついたひとたちを、ひとりでもおおくたすけたいからです』



 それは20年以上前に撮影された、幼稚園の作文発表会を映したものであった。

 内容は目を爛々と輝かせた少年が、朗々と将来の夢を読み上げるというものだ。



『ぼくはせかいから、けがとびょうきをぜんぶなくしたいです。せかいじゅうのかなしんでいるひとたちを、みんなえがおにしてあげたいです』



 その少年の魂は、まさに“平和を愛する緑の光”を放っていた。



 発表を終えた少年が自分の名前を読み上げる。




『ねんちょうぐみ、くりやまりんたろう』





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