それは片手で扱うには、あまりに大振りな剣であった。
漆黒の刃は、嘆きの川からすくった氷が如き冷気を放ち。
刀身に一筋入った緑のラインは、鬼火のように煌々と不気味な輝きを宿す。
魔剣を手にした林太郎は微動だにすることもなく、傷だらけで地に伏した湊を見下ろしていた。
「ひるむな! 所詮相手の武器は剣じゃないか、最新型のヒーロースーツを着ている限りは安全だ!」
周りを取り囲むヒーローのひとりが光線銃を構える。
相手がたとえ凶悪な怪人であったとしても、多勢に無勢であることには変わりない。
正面玄関に配置されたヒーローの総数は100名、更に施設内にいるヒーローも含めると250名ものヒーローが支部を固めている。
新人や若手が多数を占めるものの頭数としては申し分ないだろう。
故に万にひとつも敗北はありえない。
そう確信していた。
「お前か」
震える照準の中、男と目が合った。
「ひっ」
悲鳴をあげるよりも速く、魔剣が闇に光る緑の軌跡を描く。
その場にいた全てのヒーローが目にしたのは、軌跡だけであった。
認識さえも超えた速度で振り下ろされた魔剣の一閃が、ヒーロースーツの肩に叩き込まれる。
怒りに任せた一撃は、超硬質カーボンと防刃繊維の上から鎖骨を圧し割り、肋骨にまで達した。
「うぎゃああああああああああああ!!!!!」
最新型ヒーロースーツの安全性を説いた男は己の身でもって性能を証明した。
あと3センチばかり刀身がめり込んでいたら、刃は心臓にまで達していたことだろう。
「撃て! 撃てぇーーーッ!!!」
恐怖を抑えつけるかのように、誰かがそう叫んだ。
複数の銃口が火を噴き、光線が、鉛弾が、生身の林太郎を襲う。
だがしかし――。
林太郎は己に向かって放たれた凶弾を、剣を持たない左腕で受けた。
「お前か」
腕から鮮血が噴き出すよりも速く、林太郎は横薙ぎに魔剣を振るう。
銃を構えた三人のヒーローは、避けることもままならず30メートルほど弾き飛ばされた。
己の傷を顧みず力任せに振り回される剣には、もはや理合も技もあったものではない。
しかしそれゆえに、その圧倒的かつ理不尽なまでの暴力に対してはヒーローといえども抗う術はない。
「お前か、お前か、お前かアアアアアアッッッ!!!!!」
活火山のような怒りに任せ、林太郎は全身に傷を負いながらも魔剣を振るった。
目に映る全ての槍を折り、盾を砕き、銃を貫き、鎧を抉り、矜持を屠る。
猛り狂う緋と翠の混じりあった闇色の嵐は、恐怖と絶望を撒き散らしながらヒーローたちをひとりまたひとりと地獄の底へ引きずり込んでいく。
「ばかな……、こんな、こんなことが……」
驚くべきは林太郎の身体能力である。
元より高い身体能力を持ってはいるものの、生身の肉体でありながらその動きは明らかに人理を圧倒していた。
それが魔剣の力によるものなのか、それとも怒りによるものなのかはわからない。
だが怨嗟と憤怒に焼かれた人間の肉体は、致命傷に近い傷を負いながらもなお目の前の敵を食らい続ける。
正義の味方は圧倒的な数の利を有しながら、次々と蹴散らされていった。
「もうダメだ……! こんなの俺たちの手に負える相手じゃない!」
彼らのヒーローとしての本能が警告する。
けしてあれに立ち向かうべきではないと。
“あれ”はもはや人でもなければ、自分たちが駆逐すべき怪人ですらない。
林太郎の焦点の合わない眼に、逃げ惑うヒーローたちの背中が映る。
「……逃げるなよお前……卑怯だろお前……勧善懲悪しといて逃げるのは卑怯だろお前ええええええええええええッッッッッ!!!!!!!!!!!」
緑色の光のラインが刀身から柄に伸び、ついには林太郎の腕を這い上がる。
半身に緑色の炎を宿したそれは、人と呼ぶには異形にすぎ、怪人と呼ぶには整然としすぎていた。
その姿はまさに災害、怒りのままに正義を屠る悪鬼羅刹である。
「ま、待て話せばわか……グワアアアア!!!」
「頼む見逃してくれ、俺には家族が……ヒギャアアアアアア!!!」
逃げる背中に、血濡れの殺意が襲い来る。
たったひとりの鬼に対し、もはやヒーローたちは完全に狩られる側であった。
戦闘開始からわずか数分後。
100名以上ものヒーローたちが折り重なる中、最後まで立っていたのは傷だらけの林太郎ただひとりであった。
これを災厄と言わずして、いったいなんと呼べばいいのか。
「はひっ……たすけっ、誰か、助けてでありますぅ……!」
ただひとり凶刃を免れた若手ヒーローは、地べたを這いずりながら少しでも遠くへ逃げようともがく。
最初に攻撃を受けた先輩は、『オ゛ッ……オ゛ッ……』と言葉とも音ともわからぬ声をあげながら痙攣していた。
自分があれと同じ攻撃を受けて生きていられる保証はない。
だがそのとき彼女の耳に、野獣の如き捕食者の吐息がはっきりと聞こえた。
「……お前か……」
むんずと首筋を掴まれたかと思うと若手ヒーローの身体はそのまま宙に浮き、支部前庭の外灯に叩きつけられた。
「ーーーーーッ!!」
衝撃で肺が圧迫され、声にならない声が口から漏れる。
それで気を失えたならば、どれほど幸せだっただろうか。
息を整え顔をあげると、眼前には魔剣を携えた血まみれの男が立っていた。
「そうか、お前か」
新人ヒーローの手には、スタイリッシュなデザインの光線銃が握られていた。
己を守る唯一の手段であったがため、痛めつけられながらも離さず握りしめていたのだ。
それはまごうことなく、剣山怪人ソードミナスの急所を貫いた銃であった。
一切の光を宿さない男の瞳は、確信をもって若手ヒーローを見下ろしていた。
「たたた確かに撃ったのは本官でありますが……! ほほほ本官は……ひひひヒーローとしての責務を果たしただけでありますからして……!」
慌てて弁明する新人ヒーローに対し、極悪怪人の答えは極めてシンプルであった。
「殺してやる」
男の半身を包む緑の炎が一気に燃え上がる。
まるで死者を嘆くように、漆黒の魔剣がいなないた。
これまでとは比べ物にならないほどの圧倒的な殺意をもって、その大剣がゆっくりと持ち上げられる。
「ぴぃぃぃぃぃぃぃッ!!!!!」
若手ヒーローはこれから自分に降りかかるであろう不幸に、もはや目を開けていることもできず、情けない叫び声をあげながら失禁した。
そして殺意と不幸が形をもって振り下ろされようとしたまさにその瞬間――。
「アニキーーーーーーーッ!!!」
子供の叫び声と共に、目の前で膨れ上がっていたドス黒い殺気が霧散した。
魔剣はその本分を果たすことなく、静かにおろされた。
それと同時に、既に失神していた若手ヒーローの身体がぐったりと弛緩する。
血濡れの男は、その上に重なるように倒れ伏した。
小さな人影が男に駆け寄る。
ヒーローたちの本拠地でありながら、それを止めようとする者は誰もいない。
もはや誰ひとりとして、立ち上がれる者などいないからだ。
少女に続いて姿を現したふたつの影が、惨状を目の当たりにして困惑する。
そして傷だらけで倒れる林太郎と、虫の息で冷たくなりつつある湊を見つけるなりすべてを察した。
「これは……センパイがひとりでやったんですか……?」
「キリカよ、このことは他言無用じゃ。ふたりを回収したらすぐにここを離れるぞい」
「了解しました。すぐに車を回します」
…………。
烈人と朝霞が地下取調室を脱出し支部の前庭に辿りついたのは、林太郎たちが回収されてから更に数分後のことであった。
死屍累々と横たわり呻き声をあげるヒーローたち。
中には致命傷に近いダメージを負った者も多数いる。
その多くが新人だったとはいえ、にわかには信じがたい光景であった。
「朝霞さん、救急車を!」
「手配済みです。それより重傷者の手当てを」
「わかりました! おい君、しっかりしろ!」
外灯の下で気絶していたのは、烈人が握手をしたあの若手ヒーローであった。
彼女の額には一枚の便箋がガムテープで乱暴に貼り付けられていた。
「朝霞さん! 見てください、これを! 怪人たちの犯行声明かもしれません!」
「この字は……冴夜……?」
朝霞はその筆跡に見覚えがあった。
それは紛れもなく、怪人覚醒を経て彼女のもとを去った実妹・サメっちの字である。
便箋の表にはこう書かれていた。
『ぜつ緑犬』
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