黛桐華とサメっちによる模擬戦の許可を与えたことを、林太郎は早くも後悔した。
「暗黒破壊光線!!」
「ふかひれ波ァーッ!!」
「待って俺がまだ間に、ギャーーーーーッ!!!」
黒き波動がぶつかり合う衝撃波で、林太郎の身体は木の葉のように吹っ飛ばされる。
ふたりのパワーは林太郎の想像をはるかに超えていた。
特に予想外だったのは、驚異的なまでの躍進を見せるサメっちのパワーだ。
地面にべしゃっと落下した林太郎は、拮抗するふたつのエネルギーを見て驚愕した。
「サメっち……いったいいつの間にそんな力を……?」
林太郎は正直なところ、この試合は桐華のワンサイドゲームになると踏んでいた。
桐華は昔から何かと林太郎相手に手合わせをしたがる、妙に好戦的な後輩である。
林太郎自身は試合の申し出をことごとく卑怯卑劣な手段でのらりくらりとかわし、時に口に出すのもはばかられるような方法で桐華を完封してきた。
それはひとえに直接刃を交わせば勝負にならない、そう思わせるだけの飛び抜けた才能が桐華にあったからだ。
彼女が怪人として覚醒し、部下となった今でもその認識は変わっていない。
ところがサメっちはどうか。
まだ幼いということを抜きにしても、その小さな体で脅威となるのは牙ぐらいのものだ。
必殺技と豪語する『メガロドンキック』でさえも、日ごろから鍛錬を積んでいるヒーローたちからすれば児戯にも等しい。
これまでの活躍から鑑みても、水棲生物型怪人であるサメっちが真価を発揮できるのは“水中戦”と“怪人化”の条件がそろったときだけだ。
ところが今のサメっちには、その両方が欠けている。
サメっちがアークドミニオン最強の暗黒怪人ドラキリカと拮抗できていること自体、林太郎にとっては信じられない光景であった。
無論それは“ヒノちゃん”の助力によるものなのだが、対戦相手の桐華や林太郎をはじめとするギャラリーたちはそんなこと知る由もない。
「……なかなかやりますね。パワーは互角といったところでしょうか」
「むあああ押し切れないッス! ヒノちゃんもっと出力アップッスぅ!」
『見物人がぽんぽん死んでもええんやったら、うちの本気出したってもええよ』
「それはダメッス!」
サメっちはそのほんのわずかな動揺から、コンマ1秒だけ桐華に対する注意が散漫になる。
しかし相手の一瞬の気のゆるみを見逃す桐華ではない。
「無月一刀流、麝香」
突如、桐華の身体がまるで霞のように消え失せた。
実際に消えたのではない、桐華はサメっちの意識の隙間をすり抜けたのだ。
競り合う相手を失った“ふかひれ波”が宙を穿ち、サメっちは完全に桐華の姿を見失う。
「は、はれっ? キリカがいないっス!?」
「“力押しが得意な相手は集中力を逆手に取られると脆い”」
音もなく降り積もる雪のように、芯から凍える冷たい声がサメっちの足元から聞こえた。
恐怖のあまり背筋が凍るとは、まさにこのことである。
サメっちは今まで正面衝突していた相手に奇襲をかけられるとは予想だにしていなかった。
「ふっ、ふかひれっ……」
「“相手に手札を切る隙を与えてはいけない”」
サメっちはあわてて必殺技を放とうとするも、次の瞬間には小さな身体がふわりと浮き上がり、天と地が入れ替わる。
桐華によって足首を掴まれたサメっちは、抵抗する間もなく逆さ吊りにされてしまった。
「ふぎゃーッ、放すッス! サメっちは最強なのに、こんなのおかしいッスゥ!!」
「“才能におごる者は、その才能こそが最大の弱点となる”」
桐華はかつてヒーロー学校で才能にあぐらをかいていた自分と、サメっちの姿を重ねる。
力ある者にとって、力に頼ることがどれほど危険かをサメっちはまだ知らないだけなのだと。
今の桐華を支える強さの芯は才能そのものではなく、林太郎によって徹底的に教え込まれた“才能の使いかた”なのである。
「サメっちさん。ちょっと力を得ただけで最強を名乗れるなら、努力も作戦もいらないんですよ」
宙吊りの少女ににっこりと冷たく笑いかける桐華は、サメっちのまるで似合っていないサングラスや金ぴかのガウンを剥ぎ取って無造作に放り投げた。
その様子を眺めていたギャラリーたちも、さすがに乾いた笑いを浮かべる。
「うわ……サメっち相手でも容赦ないなキリカは……」
「ああは言ってるけど、黛もたいがい慢心する癖は治すべきだろうね」
あっという間にサメっちはTシャツとパンツ一枚の姿に剥かれてしまった。
驕り高ぶりも、すっぽんぽんにされてしまってはもはや形無しである。
「ひゃぁーんッス! キリカはケダモノッスぅ!!」
「これでも手加減しているほうなんですよ? 私はかつてセンパイに全裸まで剥かれた上でラジオ体操させられたこともあるんですから」
林太郎の桐華に対する鬼畜の所業が、またひとつ明るみに出た。
ビキニ姿の湊が自身の豊満な胸元を隠しながら、まるで危険な毒虫を見るような目を林太郎に向ける。
「林太郎……女の子相手にお前……それはさすがに……」
「いや違うんだよ湊。確かに“服にこだわって負けたら意味がない”って教えたことはあるけど、俺が無理やり脱がしたってのはちょっと語弊があると思うんだよね」
ちなみにその教えはしっかり根づいており、時としてスーツを囮に用いるといった形で桐華の戦術に大きく反映されていた。
実際にウサニー大佐ちゃんなんかは、かつてその戦術の前に敗れ去ったりしている。
だがヒーロー学校時代のことゆえ、踏み込んで話せば林太郎は正体を晒すことになる。
著しい誤解を受けたまま詳しく説明できない林太郎は、涙をこらえながら唇を噛んだ。
「サメっちを辱めてどうする気ッスか!」
「こうするんですよ」
林太郎の無駄な傷心など意にも介さず、桐華はサメっちの両足を小脇にはさむとその場でぐるぐると回転を始めた。
桐華の怪人としてのスペックをフルに活用した、超高速のジャイアントスイングである。
足首を固定されたサメっちは、振り回されるがまま遠心力に引っ張られてバンザイをしていた。
「はわわわわわわッスぅぅぅ! ヒノちゃん助けてッスぅぅぅ!!」
『いやー、こうなるともうお手上げやね。まいったまいった』
「そんなぁーーーッスぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
怪人の中でもトップクラスのフィジカルを誇る桐華の回転数は、プロレスラーの比ではない。
あまりの高速回転にグラウンドの土はえぐれ、土煙が周囲に立ち込める。
ギャラリーたちは振り回されるサメっちを目で追うのがやっとであった。
「おい黛! 安全なところに飛ばしてやれよ!」
「了解しましたセンパイ。そぉーーーれ、飛んでけーーーッ!!!」
「あァーーーーーーれェーーーーーーッスぅーーーーーー!!!」
スポーーーンとハンマー投げよろしく放り投げられたサメっちは、放物線を描きながらグラウンドの端へと飛んでいく。
すっ飛ばされた先は、水練用に設けられた巨大なプールであった。
ぐるぐる目を回しながらも、サメっちはなみなみと注がれた大量の水を前に勝機を見出す。
「……し、しめたッス! 水を得たサメっちは無敵ッス! ここから逆転満塁ホームランッスゥ!!」
『……あ、やば……あかんあかんあかん、あかァーーーーーん!!!』
「ほへッス? ひ、ヒノちゃん……?」
ドッポォーーーンと水柱が上がり、サメっちの身体が見事プールにホールインワンする。
桐華はもちろん、林太郎たちギャラリーも慌ててプールサイドに駆け寄った。
「すごい音だったな……おーいサメっち大丈夫かー? むしろ元気になってそうだけど」
サメっちは水棲生物型の怪人である、水の中はむしろホームグラウンドであった。
しかし水没したサメっちが林太郎の呼びかけに応じる様子はない。
あれた水面が落ち着きを取り戻すと、プールの中央付近の水面が小さく泡立っているのが見えた。
「さ、サメっちィィィィィーーーーーッ!!!」
「…………ぶくぶくぶくぶくッス…………」
迷わず飛び込んだ林太郎によってプールから引き揚げられたサメっちは、漫画のように口からぴゅーっと水を噴いて気を失っていた。
…………。
「ということがありまして……」
「なるほどのう、サメっちがパワーアップと引き換えにカナヅチにのう……」
林太郎はその夜、絡繰将軍タガラックの個室であるタガデンタワーの最上階、会長室を訪れていた。
最近のサメっちの異常について、報告も兼ねた相談のためである。
「このところ調子が良かったみたいで、どうやらヒーローチームを潰して回っていたらしいんですよ」
「ふーむそれも妙な話じゃな。わしが知る限り、サメっちの実力では返り討ちに遭うのが関の山じゃぞ」
「本人は『成長期ッス』って言い張っているんですけど、どうにも腑に落ちないんですよね。なにかタネがあるのは間違いないんですが」
急激な成長というには、その黒い炎を操る能力はサメっちのこれまでの特性と比べて明らかに異質であった。
なお当のサメっちは溺れたことがよほどショックだったらしく。
今朝までの増長っぷりもどこへやら、現在は林太郎の部屋でお地蔵さんのように大人しくしている。
「しかし黒い炎か……ううむ、まさかな……」
「その様子だと、やはり何かご存知なんですね」
「いや、それはありえん話じゃ。林太郎よ、今のは忘れてくれ」
林太郎とて、なにもあてずっぽうにタガラックのもとへ相談に来たのではない。
アークドミニオンの再古参であり、怪人としては最も長いキャリアを誇るタガラックならば原因がわかるのではないかと踏んでのことだ。
しかしタガラックはどうにも歯切れが悪そうに答えを渋っているようであった。
「林太郎、すまぬが今すぐに調べたいことができたのじゃ。明日の昼にまた来てくれんかのう」
「調べものってのはサメっちに関わることですか」
「そうさな、そうかもしれんわい。しかしあまり外に漏らせる話でもないのじゃ」
今日のところはタガラックからこれ以上の情報を引き出すことはできない、ということなのだろう。
いつになく深刻そうなタガラックに圧され、林太郎は言われた通り席を立った。
広い会長室に残されたタガラックは、その身体に似合わぬ大きな会長の椅子に腰かけて爪を噛んだ。
「わしの杞憂であればよいが、よりにもよって黒い炎とはのう……まさか“ヒノスメラ”か……? いや……まさかな……」
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