“富士山爆発災害”
関東圏における被災者数およそ十万人、経済被害総額はおよそ五千四百億円。
局地的人的災害による被害としては文句なく日本史上最大だ。
そして件の主犯として世界でSSS級の指名手配を受けているのが、アークドミニオン総帥・ドラギウス三世である。
「当時の煉獄怪人ヒノスメラはアークドミニオンの“幹部”であった」
怪人たちを統べる王、ドラギウス三世は静かにそう語り始めた。
『炎の剣、鉄の盾』
これは関東一円に名を轟かせた、かつてのアークドミニオンの二大幹部をさす言葉だ。
十年前、炎を操る圧倒的な力を誇示していたヒノスメラは、タガラックと並びアークドミニオンの主戦力を担う重鎮であった。
彼女の極めて攻撃的な特性としたたかな残虐性により、多くのヒーローが散っていったという。
だがヒノスメラは己の力を過信するあまり、身の丈を省みない大それた計画を実行に移す。
それは“富士山を大噴火させて日本列島を真っぷたつに崩壊させる”という、荒唐無稽な作戦であった。
「無論、多くの被害をもたらすであろう計画に、我輩をはじめアークドミニオンに所属する怪人の大半は反発した。しかしそれを押し通すほどに、ヒノスメラの力は肥大化していたのである」
昔話のように語って聞かせるドラギウスの横顔には、どこか寂しさのような影が見える。
林太郎たちはみな、黙って総帥の話に聞き入っていた。
ヒノスメラという怪人の根幹を成していたのは、人類への強い憎しみだ。
富士山噴火計画にかけるヒノスメラの執念はすさまじく、何人もの腕利きヒーローたちが立ち向かったがことごとく返り討ちにあった。
しかし計画が最終段階へ移ろうとした矢先、彼女の前に最大の障壁が立ちはだかる。
富士のマグマ溜まりとの同化を試みたヒノスメラを“懲悪”したのは、同胞であるドラギウス三世であった。
ドラギウスはヒノスメラを結晶に封印し、彼女の富士山噴火計画は道半ばで頓挫する。
それでもなお被害は抑えきれず、ドラギウスとヒノスメラの戦闘によって生じた爆発は結果として多くの犠牲者を生んだ。
ヒノスメラはアークドミニオンの地下深くに幽閉され、ドラギウスは富士山爆発災害の主犯としての汚名を負うことになったのだ。
「……これが富士山爆発災害の真実である」
日本史に残るほどの怪人による凶悪事件の全容が明らかになった。
その実態は悪の組織における内部抗争、そして粛清である。
「それが本当なら、ドラギウス総帥は怪人じゃなくて、まるでヒーローじゃないですか」
「フハハハハ! 今からヒーロー試験を受けるのも悪くなさそうであるな。だが林太郎よ、怪人の本質は悪でなければ善でもない。それはおぬしが最もよくわかっておろう」
ドラギウスはニヤリと口の端を吊り上げると、林太郎の肩にしわがれた枯れ木のような手を置いた。
悪でもなければ善でもない。
林太郎は総帥の言葉に、かつての自分の影を見る。
そして己を待つであろう一番舎弟の顔を思い浮かべた。
煉獄怪人ヒノスメラによって奪われたサメっちを、必ず取り戻すと誓い固く拳を握る。
「林太郎よ。これは我輩の勘であるが、此度の一件において鍵となるのはおぬしを置いて他にない。……サメっちを、ヒノスメラを救ってやってくれ」
林太郎は黙って小さくうなずくと、ドラギウスの顔を見返した。
その顔は悪の総帥というより、まるで孫を思いやる優しい老翁のようであった。
…………。
ところかわって、東京駅では早朝から蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
まだ夜明け前ということもあり、避難指示を伝えようにも人手が足りないのだ。
新幹線は始発から全面運休となり、東京駅構内では人々が戸惑いながらも警察の指示に従っていた。
警察が避難誘導を行ういっぽう、怪人に対抗できる唯一の抑止力であるヒーローたちは、防衛線の内側でやきもきしていた。
「くそっ! このままじゃ銀座がまるごと廃墟になっちまう! どうしてこっちから討って出ちゃいけないんだよ!」
「はやるな新入り、国民の生命を守ることが最優先だ。守りに徹すれば連携に劣る俺たちにだって勝機はある」
東京駅前の防衛陣地には、傷を負いながらも正義のために立ち上がる無数の戦士たち、そして全国から集めた複数体の巨大ロボットがずらりと並んで壁を作っていた。
このところ頻発していた怪人による闇討ち事件であったが、彼らはその“補填”として全国から集められた選りすぐりのヒーローたちである。
「敵はたったの一体って話じゃないか。これだけのヒーロー相手に突っ込んで来るとは思えん」
「ああ、死にに来るようなもんだ。正常な判断ができるなら手前で引き返すだろうよ」
彼らの言葉をあざ笑うかのように、防衛線の一部で巨大な黒い火柱が上がる。
直後に衝撃と轟音が響き、凄まじい熱波がヒーローたちを包み込んだ。
「ぎゃーーーッ! 突っ込んできたーーーッ!!?」
「話が違うじゃないか! 守りを固めろ! 穴が空いたところを埋めるんだ!」
パニックに陥る防衛線に、煉獄怪人ヒノスメラは堂々と、そしてゆっくりと歩み寄る。
「みなさんごきげんうるわしゅう、ちょいと通らしてもらいます」
「総員守れ! 俺たちの背後にはまだ一般市民がいるんだ、一歩たりとも通すな!」
「構え! 構えーーーっ!!」
ヒーローたちは腰から引き抜いた銃を、巨大なバズーカを、ロボットの砲門を一斉に襲撃者へと向ける。
だがヒノスメラは焦る様子もなく、手のひらを天に向かって伸ばした。
「“むすめふさほせ”」
手のひらの先で黒い炎が渦となり、今までに見たことがないほど大きな球体と化す。
巨大な火球はまるで、闇に染まった太陽であった。
「やばいぞアレは……退避、退避ーーーッ!」
「バカ野郎、退くな! 市民を守れ!」
「いや無理ですってあんなの! 受け止めきれるわけないでしょ!」
ヒノスメラが手を軽く振ると、黒き太陽はゆっくりと、ジョギングでもするかのようなスピードでヒーローたちに向かって移動を始める。
明らかに今までの報告とは比べ物にならない破壊が、戦士たちの目前に迫っていた。
「「「たすけてーッ! おかあさァーーーん!!」」」
「“バァァァーニングヒィィィートグロォォォーブ”!!!!!」
直後、横薙ぎに撃ち出された真っ赤な火炎光線が、黒い太陽の中心を穿ち抜いた。
泣き叫ぶヒーローたちの目に、赤いスーツを身にまとったひとりの男の背中が映る。
「心がたぎる赤き光――ビクトレッド!! よかった、なんとか間に合ったみたいだな!!」
赤いマスク、そして胸に光り輝くVサイン。
東京本部所属、ヒーローの中のヒーロー、暮内烈人ことビクトレッドは煉獄怪人ヒノスメラに向かい合った。
…………。
まだ薄暗い明け方の品川に、複数のエンジン音が鳴り響く。
タガデンタワーのダンジョンと称される巨大地下駐車場から、バンやトレーラーなど計三十台が次々と発進していく。
各車両に取り付けられた無線機から、ドラギウス総帥の檄が飛ぶ。
『総員、対象はサメっち、もとい煉獄怪人ヒノスメラである! 必ずやヒーロー本部よりも先にヤツの身柄を確保するのである!』
『一号車タガラック、了解じゃっ!』
『二号車ベアリオン、了解だあ! 腕が鳴るぜえ!』
『人智を用いて狂乱の宴を催せし同胞よ、北極星は友誼に遭いて彼の地を指し示さんと……』
『四号車デスグリーン、了解しました』
各軍団長からの応答を以て四幹部体制となってからは初となる、アークドミニオン四軍団総出撃“煉獄怪人ヒノスメラwithサメっち包囲網大作戦”は実行に移された。
相変わらずのネーミングセンスは、我らが総帥ドラギウス三世によるものである。
既に百獣軍団所属の先行部隊がヒノスメラを追跡しており、各隊に斥候からの一斉通信が入る。
『こちら斥候ワンだワン。一定距離を保ちつつ追跡中だワン。対象は東京駅手前でヒーローたちと交戦中だワン』
『こちら斥候ツーだニャンなぁ。ヒーロー側の戦力はビクトレッドほか、いっぱいニャンな。たぶん三十人ぐらいニャン、ロボもいるニャンぞ』
「ワンワンニャンニャンやかましいですね。人選ミスなんじゃないですか?」
「それは否めないけど、鮮度の高い情報は重要な武器だ。黛、マッピングを怠るなよ」
バンの後部座席でぼやく桐華に、林太郎がフォローを入れる。
助手席に座る湊はカーナビをテレビモードに切り替え、中継映像からサメっちの位置を探っていた。
「林太郎、ヒーローたちは皇居と東京駅の防衛に戦力の大半を割いてるみたいだ」
「……防衛線を張って南に押し返すつもりだな。ヒーロー本部のくせに、なかなか優秀じゃないか」
本作戦の要は2点、ひとつはヒーローたちがヒノスメラ……サメっちを“処分”してしまう前にその身柄を確保すること。
そしてもうひとつが、サメっちに取り憑いたヒノスメラの無力化である。
前者を阻止すべくヒノスメラの逃走直後から斥候兼護衛を放ってはいるが、今のところヒーローたちはヒノスメラの炎にまるで歯が立たないようであった。
しかしビクトレッドが出ているという情報もあるので油断は禁物だ。
「センパイ、このままお互いにやりあってもらって、消耗したところを狙えばいいんじゃないですか?」
「いや、サメっちの身体である以上、万が一にもヒーロー側が勝つという状況は避けなきゃいけない。サメっちを無事に取り戻すことが俺たちの絶対条件だ」
そのためにも後者の問題、ヒノスメラをサメっちの身体から引き剥がさねばならないという難問もある。
「ヒーロー本部の動きに同調して、上手く東京湾までおびき寄せることができれば……」
林太郎は頭に東京の地図を描きながら、高速で思考を巡らせる。
少なくとも煉獄怪人ヒノスメラの弱点は“水”であると、林太郎は確信していた。
火は水に弱いというのは安直な考えかもしれないが、サメっちが力を得た時期とカナヅチになってしまった時期は一致する。
また実際に対峙した際にも、ヒノスメラはスプリンクラーの水を恐れて逃走をはかった。
死にはしないにせよ、ヒノスメラにとって水は十分に弱点たりえるのだ。
そのとき、車両のフロントガラスにぽつりと当たるものがあった。
「しめた! 湊、天気予報に切り替えられるか?」
「ああ、少し待ってくれ。……林太郎! そうか、これなら……」
本日の天気を伝える画面上には、関東一円を覆い尽くす白く巨大な雲が表示される。
林太郎がフロントガラスから見上げると、どんよりとした灰色の雲が早朝の空を覆っていた。
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