東京近海、八丈島沖。
海中深くをすべるように進む巨大な魚影があった。
たいやきのような形をしているが驚くなかれ、これは魚にあらず。
ずんぐりむっくりな魚を模した、“高速潜水艦”なのである。
「まさか潜水艦を操縦することになるとは……しかもこれ、今にも壊れそうなぐらい錆び錆びのボロボロなんですけど」
『なんじゃい林太郎。わしの可愛い実験潜水艦“たいやきくん改八号”になんぞ文句でもあるんかい。嫌なら降りて泳げばええじゃろが』
「おいタガラックよお! このボロ船本当に大丈夫なんだろうなあ!? さっきからミシミシいってやがるぜおぉい!!」
『仕方なかろうて。わしの部下たちは謎のハッキングでまだまともに動けんからのう。マニュアル操縦できて大人数を乗せられる潜水艦はそれしかないんじゃて』
一刻を争う緊急出動とはいえ、もう少しマシな乗り物はなかったのかと林太郎は思う。
だいたい“たいやきくん改八号”なんていう名前からして、七十年代に建造された骨董品であることだけは間違いない。
改修といえば聞こえはいいが、ようするにツギハギ補修を繰り返したジャンク品なのだ。
『たしかにほんのちょっぴり傷んではおるが、こう見えてなんと最新鋭の超伝導電磁推進装置も搭載しておるのじゃぞ! ただし絶対にスイッチは押すでないぞ、確実に自壊するからの』
「自爆スイッチまでついてるなんて至れり尽くせりじゃあないですか。申し訳なさすぎてクーリングオフしたいぐらいですよ」
水圧にさらされギシコギシコと不穏な音を響かせる潜水艦内は、おもいのほか広々としていた。
というのも乗組員は林太郎をはじめとする極悪軍団の四名と、百獣軍団から選抜された六名の計十名だけなのである。
今回、海上怪人収容施設・通称“村”を強襲するにあたって、帰路では救出した怪人たちを乗せるスペースが必要となるため実働部隊は少人数に絞らざるをえなかったのだ。
その精鋭たち、ほぼ全員が真っ青な顔をしていた。
それもそうだろう、安全装置の外れたジェットコースターのほうがまだ安全なのだから。
『んまァー、往復せいぜい六百キロぐらいじゃし、今日一日もてばええじゃろ』
「自分が乗らないからって楽観的すぎやしませんかね。往路すらもちそうにないんですが」
『通常航行するぶんには問題なかろうて。補修点検もしとるし……十年前に』
「そりゃあ安心安全ですね。どうりでなにも操作してないのに沈んだわけだ」
しかし実際問題、ヒーロー本部が所有する洋上プラットフォームに気づかれず接近する方法はこれしかないわけで。
乗組員一同いまはただ作戦の成否よりも、目的地に無事到着できることを祈るばかりであった。
そんな中、ちょうどたいやきくんの目にあたる部分。
耐圧ガラスがはめ込まれた窓際の特等席では、ウサニー大佐ちゃんがらしくないアンニュイなため息をついていた。
「…………はぁ……」
「あっ! なんか大きい魚いたッス!」
「……………………はぁ……」
彼女の膝の上にちょこんと座ったサメっちは、窓から見える海中の景色にべったりであった。
しかしウサニー大佐ちゃんの赤い瞳に映るのは、ガラスに映った自分の情けない顔ばかりである。
ウサニー大佐ちゃんが抱く憂鬱の原因とは、まさに今回の“救助対象”に他ならない。
“熊田 晴香”
人間態ではそう名乗っていたそうだが、彼女もまた怪人だという。
百獣将軍ベアリオンこと、熊田巌の家族、そして彼にとって特別な人。
今回アークドミニオン一同が目指す晴香奪還作戦の成功とは、すなわち。
百獣将軍ベアリオンの隣に、伴侶たるべき者が現れることを意味していた。
「……………………はぁぁ……」
またひとつ大きなため息が漏れ、丸いガラスが白く曇る。
今となっては隠しようもないのだが。
ウサニー大佐ちゃんにとって、上司ベアリオンへの想いはとっくの昔に敬愛の域を超えていた。
出会った当初は、ただの“強い怪人”への憧れだったのかもしれない。
彼女は彼の隣に立つに相応しい怪人となるべく、一心不乱に身体を鍛え、技を磨いた。
それが特別な感情へと変わったのは、いったいいつのことだろうか。
どれほど長い間この溢れそうな気持ちを、忠誠という硬い箱の中に閉じ込め続けてきたのだろうか。
しかしその秘めたる想いが表出しなかったのはひとえに、百獣軍団の副官としてウサニー大佐ちゃんが抱く強い責任感と、鋼の忠誠心ゆえのことである。
だが晴香の存在が、固く閉ざされた心の箱にヒビを入れた。
かの者を奪還せしのち、果たしてウサニー大佐ちゃんは今までと同じように、ベアリオンの隣で彼を支え続けることができるだろうか。
サメっちには『悪女になれ』『忠を尽くせ』などと偉そうに宣ったものの。
ウサニー大佐ちゃんの心は、淡い恋と忠誠の間で揺れ続けていた。
「あっタコ! ウサニー大佐ちゃん、タコッスよ!」
「…………私は、弱いな……」
「ッス? ウサニー大佐ちゃんはめちゃ強ッスよ?」
「……なんでもない。忘れてくれ、サメっち二等兵」
ウサニー大佐ちゃんはサメっちの頭をなでながらフッと自嘲的な笑みをこぼすと、ふたたび窓の外へと目を向けた。
「んーーー……むむむッスぅ……」
どうにも調子の出ないウサニー大佐ちゃんに業を煮やしたのか。
サメっちは彼女の膝からおりると、険しい顔で計器を眺める林太郎のもとへと駆け寄った。
「アニキ、アニキ!」
「ん? どうしたんだいサメっち。席に戻りな、もうすぐ大きく揺れるからね」
「ウサニー大佐ちゃんが元気ないッス。いまならたぶんアニキがおっぱい揉んでも怒らないッスよ!」
「火の気がないからってガソリンを撒いて遊ぶのはよくないことだと、アニキは思っているよ」
やれやれとばかりに、林太郎は艦長席にサメっちを座らせた。
いまの林太郎はサメっちに構ってあげられる状況ではない。
潜水艦の操縦は本来複数人による連携作業だ。
それをいま林太郎は、桐華とたったふたりで行っていた。
「センパイ、そろそろ目的地です」
「よし、浮上準備だ。黛、メインバラストタンクに圧縮空気を注入してくれ。トリムコントロールはこっちでやる」
「了解しました。ベント閉鎖を確認、圧力正常。たいやきくん、浮上します」
ビゴーン! ビゴーン! ビゴーン!
潜水艦内に浮上を報せるけたたましい警報音が鳴り響いた。
赤色灯が回転し、艦内が真っ赤に染まる。
「これ壊れねえだろうな……頼むぞたいやきくん……」
林太郎は操作盤のスイッチをパチパチといじりながら神に祈った。
「センパイ、この後のことですが……」
冷や汗が青い顔をつたう林太郎とは対照的に、林太郎に声をかけた桐華は冷静そのものであった。
棺桶じみたスクラップに乗せられても動じないこの後輩の豪胆さは、自分も見習いたいものだと林太郎は感心しながら言葉を返した。
「浮上したら船員2名を残して小型艇でプラットフォーム脚部を目指す。潜入後は……成り行き次第だな」
「いえ、男の子なら桐太郎。女の子なら林華って名前がいいと思うんですけど、センパイ的にはアリですか?」
「いま遠い将来設計の話はしてないんだよね。なんか黙ってるなと思ってたらそんなこと考えながら潜水艦操縦してたの君? 危機の距離感バグってない?」
「楽しいことを考えていたほうが気がまぎれるかと思いまして」
そうこうしているうちに、耐圧ガラスの外の景色が明るいブルーに染まっていく。
たいやきくんは洋上プラットフォーム“村”の、ちょうど真下に浮上した。
第五章、第百二十六話「恐怖の甘い人海戦術」に
新しい表紙が追加されました!!!
要チェックだ!!!
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