極悪怪人デスグリーン

~最凶ヒーロー、悪の組織で大歓迎される~
今井三太郎
今井三太郎

第七十三話「サンドイッチインクレバス」

公開日時: 2020年9月9日(水) 20:03
文字数:3,445

 南極の真っ白な大地が生クリームケーキだとすると、それを彩るのは色とりどりのフルーツである。

 赤いイチゴに、緑のメロン、黄色いパインに、桃色のピーチ。


「ケーキというよりフリカケみたいッス!」


 雪の上にはカラフルな残骸が、数キロメートルに渡って散らばっていた。


 林太郎は1万キロ以上も共に旅をしてきた“キングビクトリーだったもの”に黙って手を合わせた。

 無理を言ってタガラック将軍のコレクションから借り受けた手前、どんな文句を言われるかわかったものではない。


「さて帰りの足がなくなったわけだけど」


 キングビクトリーの墓でも建ててやりたいところだが、このままでは己の墓が建ちかねない。

 なにせここは南極、摂氏マイナス30度の生き地獄である。


「食料もテントも防寒グッズも、全部燃えちゃったッスねえ」

「……ごめんなさい、ヒーロー本部だと思って」

「じゃあお詫びのしるしにコートを返してもらおうか」

「それは嫌ですっ! 南極で女の子を裸に剥くつもりですかッ!?」


 桐華はコートの胸元をギュウッと抑え、いやいやと首を横に振った。


 林太郎としては今更コート一枚返してもらったところで、もはや焼け石に水なのだが。

 エネルギーが内側からあふれ続けている桐華や怪人としても破格の再生力を誇るサメっちならばともかく、人間である林太郎にとってこの寒さは死活問題であった。


「私が抱えて飛んで帰るというのはどうでしょう?」

「遮蔽物のない海上を休みなく飛び続けるとしたら、南極圏を抜ける前に俺が凍死するだろうね」


 もはや完全に、自力による帰還の道は断たれていた。

 林太郎たちは速やかにアークドミニオンへ救助の連絡を入れる他なかった。


 しかし救助隊の到着まで耐え抜けるだけの装備は、ことごとく燃え尽きてしまっている。


「無事だったのは寝袋ひとつか……サメっち、今からだと救助はいつになる?」

「今はヒーロー本部も厳戒態勢ッスから、安全を考えると早くても5日はかかるッス」

「そっかぁー、5日かぁー、そっかぁー……ふふっ……」


 林太郎はその場で糸が切れたように、バッターンと倒れ込んだ。

 1時間も立っていられないような極寒地獄に、100時間以上も放置されて生きて帰ることができようものか。


「アニキィーーッ!」

「センパイ! しっかりしてください!」


 絶望的な状況に、林太郎の意識はだんだん遠くなっていった。




 …………。




 林太郎たちが南極で難局を迎えていたころ、ヒーロー本部職員の鮫島朝霞は久々に自宅である下高井戸のマンションに帰ってきていた。

 かつてはひとり暮らしであったが、最近は玄関を開くと胃を刺激するいい香りが漂ってくるようになった。


「おかえり朝霞さん! 今日は帰って来られるって聞いたから晩御飯作っておきましたよ!」

「またエビチリですか?」

「大正解!!」


 朝霞としては作ってもらっている身で文句を言うのもはばかられるが、烈人が作る料理はエビチリのみである。

 そのため年明け以降、朝霞は着々とエビが嫌いになりつつあった。


 このところずっとヒーロー本部に泊まり込みであったため、久々にジャンクフードを口にしたときはその美味しさに感動すら覚えたほどだ。


「今日は味付けを変えてみたんですけど、どうですか!?」

「辛いですね」

「なるほど、じゃあ明日はもう少し辛さを抑えてみますね!」


 辛さのレベルではなく、そもそもメニューを変えてもらいたいのだが。

 鼻歌を唄いながら中華鍋を洗うその背中を眺めながら、朝霞は烈人に尋ねた。


「ところで暮内さん、寒いところは得意ですか?」

「ははっ、まさか朝霞さん、本気で南極に行けって言うつもりですか? やだなーもう!」

「その通りですけど」

「マぁジでぇ?」


 眼鏡越しの朝霞の瞳は、冗談など欠片も感じさせないほどに冷徹であった。




 …………。




「……ん? ……ここは……?」


 林太郎が目を覚ますと、空が切り取られていた。


 意識が少しずつ覚醒してくると、徐々に自分の置かれた状況が把握できてくる。

 林太郎は自分がひとり用の寝袋に詰め込まれて、クレバスの下にいるということを理解した。


 クレバスとは氷の大地にできた裂け目である。

 状況からして落ちたわけではなく、彼女たちに“置かれた”のであろう。


 少し乱暴な気もするがテントを失った林太郎からすれば、冷たい風を凌げるだけでもありがたい限りであった。


 寝袋の中はとても暖かく、しかし指一本動かせないほど窮屈だった。


 しかし林太郎は思い出した、持ち出せた寝袋はひとつだけであったということを。

 林太郎はサメっちと桐華のふたりが、マイナス30度の中で野ざらしになっているのではないかと心配になった。


「あいつら……いったいどこに行ったんだ……?」

「ここにいるッスよぅ」

「オアァァァァッ!!?」


 寝袋にすっぽり収まっているはずの、林太郎の胸元から声がした。

 林太郎が慌てて寝袋を覗き込むと、亜麻色の髪が目に入った。


「ななな、なんでこんなところにいるのかな?」

「だって外寒いんッスもーん!」

「寒いんッスもんじゃないんだよ! どういう状況だよコレ!?」


 林太郎がぐるりと首を回すと、頭上に自分の服一式が丁寧に畳まれて置かれているのが見えた。

 その頂上に“自分のパンツ”がご丁寧に四つ折りにされているのも。


 もちろんそれらが本来あるべき場所には、今は何ひとつとして存在しない。


「ふふふ、服は着たままでよかったんじゃないかなあああ……?」

「それは邪魔だからいらないって、キリカが言ってたッス!」

「キリカ……そういや黛はどこ行ったんだ?」

「あまり動かないでくださいセンパイ。空気が入り込んで身体が冷えます」


 さんざん聞き慣れた後輩の声は、確かに林太郎の背後から聞こえた。

 狭いひとり用の寝袋が、どうりで指一本動かせないほどギュウギュウなわけである。


 お腹と背中に感じる温かな感触は、否が応にも林太郎にその状況を理解させるに至った。


「黛、まさかお前もか……?」

「緊急避難です。低体温症の初期症状では早急かつ適切な保温を求められますが、温められるものが“これ”しかなかったので……」


 桐華が何か喋るたびに、林太郎のうなじに湿り気を帯びた温かな息がかかる。

 囁くような声だというのに、静かな氷の世界においてその声はハッキリと聞こえた。


 そのたびにビクッとなる林太郎の反応を楽しんでか、桐華はわざと艶っぽさを出しながら言葉を続ける。


「ご存知ですか……? 低体温症のとき身体のどの部位を温めるべきか……」


 背後から脇の下を通して、桐華の腕がスススッと伸びてくる。

 滑らかで温かな指が、林太郎の冷たい胸板をゆっくりとなで回す。


「臓器の集まる身体の中心はもちろん、重要なのは“血液”です。心臓だったり、他にも太い血管が通っている部分だったり……」


 身を固くした林太郎の股をこじ開けるように、強引に差し込まれた細い脚が、林太郎のそれとねっとり絡まり合う。


「たとえば、太腿ふとももとか……」

「ヒィヤアアアァァァッ!!!」


 全身の90%ほどが密着したところで、林太郎は思わず悲鳴を上げた。

 身体をよじるもふたりがかりでガッチリとホールドされ、逃げ出すこともままならない。

 無論逃げ出したところで、マイナス30度の世界を生き抜く方法などありはしないのだが。


「叫んだって誰も来ませんよ……なにせここは南極ですから」

「アニキは恥ずかしがり屋さんッスねえ、なんだか新鮮ッス」

「大丈夫ですよセンパイ、あとほんの115時間もすれば救助が来ますから」

「クレバスの染みを数えてたらすぐッスよ」


 眠りに落ちかけていた林太郎の目は、今や冴えに冴えていた。

 こんな状態があと115時間も続いたら、たとえ生きて帰れたとしても間違いなく別の何かを発症してしまう。


「はわっ……はわばばばばばばばば……ッッ!!!!!」

「安心してくださいセンパイ、絶対に死なせたりしませんから」

「死んじゃう! ダメこれ死んじゃう!」


 林太郎の心臓は、未だかつてない勢いで激しいビートを奏でていた。

 全身からじっとりとしみ出した汗が、更に3人の密着度を高まらせる。

 マイナス30度の世界で、林太郎の体温は過去最高を記録していた。



 そのとき、鼓膜を震わせるほどの己の心音に混じって、聴き慣れない音が林太郎の耳に届いた。


「待て……何か聞こえる」

「ほんとッスかぁ? サメっちはアニキの心臓の音以外何も聞こえないッスぅ」

「本当に聞こえるんだって!」


 それは南極では滅多に耳にしないであろう文明の音、キィィーンというジェットのエンジン音であった。


 林太郎が空を見上げると、クレバスの隙間から空高くを飛ぶ赤い翼が見えた。




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