光の消えた街並みに、赤い火花がほとばしる。
月光に照らされた黒い刀と緑の剣が激しくぶつかり合う。
戦局は拮抗……かと思いきや、緑が一方的に押されていた。
「やっぱり正攻法じゃ分が悪いか……っ!」
激しさを増す攻撃をいなしながら、林太郎は顔を歪ませた。
相手は生身でもデスグリーンに対抗しうる黛桐華である。
彼女がビクトリースーツを着用すれば、その戦闘力はあらゆる怪人を凌駕する。
だが今回のデスグリーンはこれまでとは一味違う。
ありとあらゆる手を、これでもかと用意してきたのだ。
「無月一刀流、大一文字!」
防戦一方で逃げ回るデスグリーンを追い、ついに桐華は林太郎にトドメを刺したかに見えた。
しかし真っぷたつに両断されたそれはデスグリーンの等身大パネルであった。
直後、桐華の背後から緑の凶刃が襲い掛かる。
「隙ありゃァッ!」
「そんなことだろうと思いましたよッ!」
「ぐえーーーッ!!」
桐華は振り向きざまに“クロアゲハ”を斬り上げた。
カウンターが見事に決まり、林太郎は20メートル近く吹っ飛ばされる。
「ちくしょう、なんでだーッ!?」
「あなたがどれだけ策を弄そうと、私には通用しません」
通算3度目となる桐華と林太郎の直接対決には、これまでの戦闘と比べて大きな違いがあった。
それは“場所”である。
これまではヒーロー側が怪人を奇襲する立場にあり、怪人側は無策に迎撃を行うしかなかった。
しかし今回のさいたま新都心市街地は“怪人側から仕掛けた”という点において、地の利は怪人側にある。
つまりこのフィールドには、林太郎によるありとあらゆる卑劣な罠が仕掛けられているのだ。
しかし林太郎が次々と繰り出す卑劣な策は、桐華によってことごとく看破されていた。
「まるで手の内が全部読まれているみたいだ……」
「あなたの考えなんて、すべてお見通しなんですよ」
まさにその言葉通り、桐華にはデスグリーンが何を仕掛けてくるかある程度予測することができた。
(ゴム板と釘はスパイクストリップ……ワイヤーネットは電流トラップ……)
林太郎たちは立川のホームセンターで、これら罠に使う材料の買い出しを行っていた。
その情報を公安当局が見逃すはずもなく、既に購入物品リストはヒーロー本部の手中にあったのだ。
(ベニヤ板と塗料はデコイ……全部、お見通し……)
桐華はそれらのリストを一目見ただけで、デスグリーンが何をしようとしているのか手に取るようにわかるのだ。
それは在りし日、林太郎が桐華と共に考案したお手軽ブービートラップの数々であった。
思い出されるのは訓練教官を相手にあらゆる悪戯を仕掛けた日々。
毎回見つかって雷を落とされるのは桐華の役目であった。
思い返せば一緒に考案したというのは桐華の記憶が美化されているだけで、実際には体よく捨て駒に利用されていただけのようにも思えるが。
だがそれらの記憶が血肉となり、今こうして仇敵たる極悪怪人デスグリーンを追い詰めているのは紛れもない事実だ。
「ぜえ……っ、ぜえ……っ、なぜ俺の策が通用しないんだーーッ!?」
「今の私は“ひとりじゃない”んですよ!」
「おのれビクトブラックぅーーーーーッッッ!!」
林太郎は距離を取ると地面に赤い玉を投げつけた。
一瞬にしてお互いの視界が大量の赤い煙に包まれる。
煙に巻かれた一瞬の隙を突いて、桐華めがけて塗料がぶちまけられた。
「うははははーーーッ! これでもはや何も見えないだろう!」
ヒーロースーツがオレンジ色に染まり、マスクの視界も完全に遮られる。
特殊な塗料であり、ぬぐったところで落ちはしない。
(大量に購入していた花火は煙幕……そして防犯用カラーボールによる目つぶし……)
それもすべて、桐華にとっては想定の範囲内であった。
「変身解除!」
並のヒーローであれば視界を封じられた時点で詰みであろう。
しかしいざという時はスーツさえも捨てる、この思い切りの良さが桐華の強みである。
かの蹴兎怪人ウサニー大佐ちゃんとの戦いにおいても、電撃ビリビリムチから逃れる際にこの戦法を取っている。
そして彼女の目論見通り、煙の中で視界は悪いとはいえ桐華の目はデスグリーンのシルエットを捉えた。
「言ったはずです。あなたの考えることは、すべてお見通しだと」
「な、なにぃーーーッ!? そんなバカなーーーッ!?」
「無月一刀流奥義、高嶺孔雀!!!」
桐華にとってこれが最後の一撃だ!
あの人の仇を、ここで討つ!
「いっけぇーーーーーッッッ!!!」
「そんなバカな……バカな、バカな……バカなァァァァァッッッ!!?」
漆黒の一閃が、極悪怪人デスグリーンに迫る!
「なあんてバカなんだろうねえ、黛ちゃんは」
緑のマスクの内側で、林太郎は元ヒーローとは思えないほど邪悪な“いい笑顔”を見せた。
直後、桐華の“目”に突き刺すような激痛が走った。
「いっ、いっ……いったああああああああッッッ!!!!!」
「この期に及んでただの煙幕だと思ったかい? 花火をたくさん買ってたから? あはははははははははは!! ひーっ、腹いてえ!!」
林太郎は懐から真っ黒なスプレー缶を取り出した。
“超強力催涙スプレー『地獄のストーカーころり』死人が出たのでアメリカでは発売禁止!!”
林太郎が用いたのは、当然のことながらただの煙幕ではない。
このご禁制の品を更に魔改造して面制圧を可能にしたバイオテロ兵器であった。
オレオレジン・カプシカムガス、ようするに猛獣撃退用の超激辛トウガラシスプレーガスである。
ヒグマ相手でも半日もだえ苦しませる凶悪な刺激物が、煙と一緒に薄く霧状にひろがっていたのだ。
そんな地獄の瘴気の中で身を守るビクトリースーツを脱ごうものなら、どうなるかは火を見るより明らかである。
つまるところ林太郎の策は“どうやってビクトリースーツを剥ぎ取るか?”の一点にのみ焦点を当て、積み上げられていたのだ。
林太郎の繰り出す小手先の技を見て全て読み切ったつもりでいた桐華であった。
しかし読み切ることまで含めすべて、林太郎によって“読み切られていた”のである。
「みぎゃーーーーーーーッッッ!!!」
「俺は言ったはずだぞ黛、敵から与えられた情報を鵜呑みにするなってさ。お前さんは情報を掴んだんじゃない、掴まされていただけだ。俺が何も考えずにあんな恰好で街をうろつくはずないだろうが」
「はうっ、はうぅぅ…………ッ!!!!!」
林太郎の言葉も、悶絶しながら涙をボロボロ流す桐華にはほとんど届かない。
それはそうだろう、サボテンに吹きかければ2日で枯れるほど凶悪な激辛ガスを全身に浴びたのだ。
顔を押さえて膝をつく桐華に近づくと、林太郎はしゃがみ込んで顔を近づけた。
「すべてお見通しって言ってたっけ? なぁーんにも見えてなかったねえ! 俺を追い詰めたと思ったかい? 影の先っちょにすら触れてなかったんだよねえ! あっはっはっはっは!」
林太郎は痛みに悶える桐華にも聞こえるように、これでもかと笑い飛ばした。
メンタルのオーバーキルは基本である。
林太郎は一通り笑いきると、小さな針を取り出した。
その先端からは“ニンジャポイズンソード”に塗られているものと同じ神経毒がしたた
り落ちている。
「さあて、夢の国の舞踏会は充分楽しめただろう? それじゃあそろそろ現実に戻ろうかシンデレラ」
「うぐっ……うぐぅぅぅぅぅ……ッッッ!!!!!」
桐華の首すじにチクリとかすかな痛みが走る。
それは催涙ガスの痛みに比べればごくわずかなものであったが、小さな痺れはあっという間に全身に拡がり桐華の四肢から自由を完全に奪い取った。
「あっ……ひぐ……うぁ……」
「さあて、どうしてくれようかあ……」
林太郎が下衆な笑みを浮かべていると、遠くからその名を呼ぶ声が聞こえた。
「おーい林太郎、大変だ! 敵の援軍がこっちに向かってる!」
ぜいぜい息を切らしながら長身の美女が走ってくる。
ソードミナスは肩で息をしながら、林太郎の足元に転がっている白銀の髪の少女に目をやった。
「思ったより早いな。まあいい、ちょうどこっちも終わったところだ」
「林太郎、この子は?」
「ビクトブラックだよ」
「ビクッ……ひぃぃぃぃぃぃッッッ!!!」
ソードミナスはその名を聞いただけで震え上がった。
コートの裾からボロンボロンと西洋剣をバラまきながら、ササッと林太郎の陰に隠れる。
林太郎は怯えるソードミナスから冷やしたタオルを受け取り、トウガラシエキスまみれになった桐華の顔を拭いてやった。
「ヒーローにも情けをかけるのか……林太郎は変わったヤツだな。私はてっきり首でも刎ねるのかと思ったよ」
「俺は殺しはやらない平和主義者だよ? それはそうと知ってるかソードミナス、催涙スプレーの主成分は油なんだ」
林太郎はそう言うとポケットから黒いサインペンを取り出した。
「だからこうして拭いてやらないとさ、油性じゃ書きづらいんだよね」
「林太郎おまえ……ひどいヤツだな!」
「極悪怪人だからね。はい総員撤収!!!」
廃墟と化したさいたま新都心にヒーローの援軍が到着したのは、それからわずか数分後のことだった。
大量の剣が墓標のように立ち並ぶ中、彼らが目にしたものは――――。
完膚なきまでに叩きのめされ、完全敗北を喫したヒーロー本部の矜持。
額に“肉”と書かれた黛桐華の無惨な姿であった。
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