超満員のグリーンドーム前橋は熱狂に包まれていた。
押し寄せた観客たちを突き動かすものは、血沸き肉躍る興奮と怖いもの見たさである。
開演時刻が迫り、会場のボルテージは最高潮に達していた。
「ついにグリーンデストロイヤー栗山のお披露目興行か……いったいどれほど極悪なヤツなんだ……!」
「今日の俺は死人が出ることも覚悟してるぜ。なにせ女子プロレス界の凶悪超新星“ナイトメアセイバー”の師匠らしいからな……!」
「噂ではつい先日刑務所から脱獄してきたばかりらしい。シャバで何人やったかまでは誰も教えてくれなかったぜ……!」
もちろん林太郎は塀の向こうで臭い飯を食ったこともなければ、弟子をとった覚えもないない。
「なんだよナイトメアセイバーって……」
「さ、さあ、なんのことだろう。私にはさっぱりわからないな……」
何故か目を合わせようとしない湊から、林太郎は緑色のマスクを受け取った。
毒々しい意匠が凝らされたペラペラの布製マスクは、デスグリーンスーツと比べてずいぶんと心許ない。
「……ははっ」
いざ被ってみたはいいものの、林太郎は鏡を見るなり思わず乾いた笑いを漏らした。
安っぽいマスクもさることながら、身体にぴったりと張りついたタイツのような緑のスーツがなんとも情けないではないか。
なまじフィット感が強いだけに、林太郎の細マッチョな身体のラインが無駄に際立っている。
林太郎もそれなりに鍛えているとはいえ、君飾らざれば臣敬わずというものだ。
悪役レスラーというよりは、目出し帽を被った銀行強盗である。
「その……なんというか……えっと、似合ってるぞ林太郎」
「ああ、フォローしてくれてありがとう湊、まったく嬉しくないよ。それよりサメっちと黛はどこに行ったんだ?」
「ふたりなら、今日は観客席から応援してるって言ってたぞ」
「呑気なもんだな、こっちは骨にヒビが入ってるっていうのに」
林太郎はそう言うと、己の脇腹を押さえて苦い顔をした。
本来、激しい運動は避けるべき怪我人だ、ましてやプロレスなどご法度の身体である。
「ずっと気になっていたんだが、やっぱり林太郎は傷の治りがやけに遅いな。骨折ぐらいなら再生力の低い怪人でもそろそろ治ってる頃なのに」
「……それだけ俺は怪人の血が薄いってことなんだろうね」
湊の言葉を、林太郎はぎこちなく否定した。
それもそのはず、人間である林太郎には怪人特有の超再生力などありはしない。
アークドミニオンで唯一医療の知識を持ち、多くの怪人を診察してきた湊だからこそ思い至った疑問なのだろう。
だがその違和感が確信に変わってしまうと、今度は林太郎の身が危ないのだ。
「なあに、治りが遅いのも個性だよ」
「うーん、それにしても遅いと思うんだ……。なあ林太郎、今度血液検査をしてみないか?」
「そりゃあよくないね。俺は注射器恐怖症だから、針の先っぽを見るだけで失神しちゃうよ」
「でも一度ぐらいは……」
なおも食い下がる湊であったが、ちょうど彼女の言葉を遮るように会場の照明が落とされた。
ざわめいていた場内が、緊張感でしんと静まり返る。
『今世紀最大にして最悪の夜が来た……白いリングに緑の悪夢が降臨する――“ザ・ニュービースト・ジェネレーション”今宵ついに開幕だーーーッ!!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!」」」」」
司会進行役が観客を煽り、割れんばかりの歓声が客席から返ってくる。
超最強日本プロレス、その装飾過多な名に相応しい盛り上がりであった。
『まずは赤コーナー! 我らが超最強日本プロレスの若きホープ、マックススピード地井田ーーーッ!!!』
善玉サイドの赤いゲートをくぐり、筋肉質ながらも細身の男が現れる。
体格だけを見ればプロレスラーというより、ライト級ボクサーのようだ。
しかし彼の少しタレ目がちな顔は、いかにも異性にモテますと言わんばかりの自信に満ちあふれていた。
「チータくん頑張ってーーー!!」
「キャーーーッ! チータくんイケメーーーン!!」
「手ぇ振って! こっちに手ぇ振ってぇーーーっ!!」
観客席の女の子たちから黄色い声援が飛んだ。
マックススピード地井田こと、駿足怪人チータイガーはまるで吹き抜ける風のようにリングに上がる。
そしてマイクを受け取ると、ファンに向かって白い歯を見せて笑ってみせた。
『応援ありがとう、今日もオレの試合を楽しんでってくれよな!』
「「「ズキュウウウウウン!!! チータくぅぅぅん!!!」」」
林太郎とセコンドの湊は、そんな様子を青コーナーの入場口から眺めていた。
「おい林太郎、そろそろ出番だぞ」
「本当にこのまま行っていいのか……? 俺はプロレスの技なんてひとつも知らないぞ」
「まあ……打ち合わせ通りにやれば、たぶん大丈夫なんじゃないか……?」
打ち合わせ、という単語に林太郎は耳を疑った。
「……打ち合わせなんてしてないんだけど」
会場内の喧噪など嘘のような沈黙が、ふたりの間に流れる。
「えっ?」
「えっ?」
そもそもプロレスというものは、ただ相手を打ちのめすだけのスポーツではない。
技の美しさや過激さ、そしてそれらを正面から受け止める肉体の強靭さを競い合うものだ。
つまり格闘技というよりも、むしろショーとしての趣が強い。
特に経験の浅い新人の顔見世興行では、万が一の大怪我に備えて綿密な打ち合わせは必須である。
しかし林太郎がベアリオンから言い渡されたのは。
「ガハハハハ! いつも通り“本気”で勝ちにいけよお!!」
という一言のみである。
試合展開や見せ場の作りかた、使用禁止技から凶器の有無までなにひとつ示し合わせていない。
「おいちょっと待て、リングに立った後はどうすりゃいいんだ!?」
「おちおちおち、落ち着け! とりあえず相手を倒すか時間になったら終わるから!!」
『続きまして青コーナー! 遅れてきた世紀末の大魔王、グリーンデストロイヤー栗山ァーーーーーッッッ!!!!!』
無情にも入場のコールが轟く。
会場中の視線が青い入場ゲートに注がれる。
「ちくしょう! もうどうにでもなれ!」
林太郎はやぶれかぶれで花道へと飛び出した。
その異様な立ち姿は、観客たちの目を一瞬にして釘づけにする。
「あいつが噂の……! なんだ、急に背筋が……!」
「この異様なまでのプレッシャーはいったい……!?」
「くくっ、本能的に震えていやがるぜ、俺の身体がよぉ……!」
緑色の角つきマスクに緑色のマントをまとう姿は、まさに緑の地獄から現れた悪鬼のごとし。
そしてなにより、彼の手にははやくもパイプ椅子が握られているではないか。
「最初から壊す気たぁ……恐れ入った……!」
「こりゃあ若手のチータには荷が重いんじゃねえか……!?」
観客の視線を一身に浴びて、林太郎はいたたまれない気持ちになった。
そして早く終わってくれと言わんばかりに、ダッシュでリングへと上がる。
「うおおおお! チータの“疾風リングイン”をいきなりパクりやがった!!」
会場から湧き上がるブーイングを背に、林太郎はチータイガーと向かい合う。
「いやあ、なかなかやってくれるじゃないですか旦那ぁ」
「えっとごめん、誰だっけ……?」
「もう役に入りきってら! さすがはデスグリーンの旦那ですぜ!」
チータイガーはニッと男前な笑みを浮かべると、脚に力を込めて軽やかにステップを踏んでみせた。
スピードを活かすタイプの戦士らしく、細身ながらもしなやかな筋肉がおどる。
「へへっ、もうお気づきかとは思いますがね。オレたち超最強日本プロレスは、台本なしのガチマッチが売りなんでさあ!」
「そういうことは先に言えよな……。けど、そんなので怪我でもしたらどうするんだ」
「怪人はこの程度じゃ怪我なんかしませんぜ。まさに天職ってやつでさあ!」
なるほどと、林太郎はひとり納得する。
ルール無用のガチンコデスマッチ。
頑丈な怪人ならではの過激な興行というわけだ。
「ヒャッホウ! それじゃあ準備はいいですかい!?」
百獣軍団でもあまりパッとしないチータイガーは、林太郎と手合わせできることがよほど嬉しいらしい。
あわよくば林太郎を打ちのめし、名声を得るチャンスだとでも思っているのだろう。
「オジキにも胸を借りるつもりで本気でやれって言われてましてね。覚悟してくださいよ旦那ァ!」
「胸を借りたいのは俺のほうだよ。こちとらルールも知らないんだぞ」
「ゴングが鳴ったら相手をぶちのめす! それだけです、シンプルでしょう?」
「なるほど、そいつはわかりやすい」
黄色い声援が飛び交い、会場は興奮のるつぼと化す。
『さあ運命の一戦だッ! 超最強日本プロレス史に残る戦いの火蓋が切られるーーーッ!』
カーン!!
両者は向かい合い、ついに試合開始のゴングが鳴り響いた。
「いきますぜ旦那! オレのスピードについてこれますかい!?」
「ほらよ」
林太郎はマントの下から取り出したマキビシを、颯爽と走り出したチータイガーの目の前にばらまいた。
「ミギャアアアアアアアアアッッッ!!!」
「アシから潰すのは戦略の基本だ、悪く思うなよ」
続いて林太郎がマントの下から取り出したのは、サブマシンガンであった。
ドパパパパパパパパパパパパパ!!!!!
林太郎がためらいなくトリガーを引くと、銃口から次々と実弾が放たれる。
チータイガーの全身は一瞬にして、無数の火花に包まれた。
「ウギャアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」
「や、やりやがった! あいつやりやがった!!」
どよめく観客たちはおろか、相手のセコンドや湊ですら絶句していた。
「……ぐふっ……」
「念のためトドメをさしておこう」
「ストップ、ストォップ! 林太郎ーーッ!」
『あーっと! ここでタオルが投げ込まれた! まさかのセルフTKOだーーーッ!』
カンカンカン!
開始数秒で試合終了のゴングが鳴り響き、林太郎のTKO負けが確定した。
「あれっ? 俺負けたの? なんで?」
「なんでじゃないよぉ! 私が止めたんだ!」
「悪役は凶器の持ち込みアリだって聞いてたんだけど?」
「得物にもよると思うぞ!」
まさかの実銃発砲に、会場内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
グリーンデストロイヤー栗山の邪悪な気にあてられ、失禁者が続出する。
「ほっ、本当に死人が出るなんて……!」
「ひいいい、いっ、命ばかりはどうかお助けを……!」
しかしそのとき、照明が落とされ会場内は暗闇に包まれた。
すぐさま観客席の一角が、スポットライトで照らし出される。
青いマントに身を包んだ小さな影が、ライトを全身に浴びながらリング上のグリーンデストロイヤー栗山を睨みつけた。
「そこまでッス、グリーンデストロイヤー栗山!!」
おもいのほか聞き慣れた声が林太郎の耳に届いた。
おそらく興行的にツッコんではいけないのだろうと判断した林太郎は、わざとらしく叫んでみせる。
「貴様ぁ! いったい何者だぁ!」
「弱い者の味方! フカヒレマスク見参ッス!!」
「フカヒレマスクぅ?」
「ふっふっふ、チータはしょせん前座ッス」
自称フカヒレマスクは、両手を上げて身体を屈めたかと思うと――。
「とうッス!!」
「なにーッ!? 飛んだァーーーッ!?」
観客席からリングの上まで、十数メートルはあろうかという距離を一気に跳躍したではないか。
フカヒレマスクはまるで天井から吊られているかのような動きで、ふんわりとコーナーポストの上へと降り立つ。
「チータのかたき、覚悟するッス!」
「今さっき自分で前座とか言ってなかったか?」
「細かいことは気にしちゃダメッス! ……あ、あれッス!? ワイヤーが外れないッスぅ!?」
林太郎は宙ぶらりんになったサメっち、もといフカヒレマスクをそっとリングに下ろしてあげた。
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