初夢に富士、鷹、なすびを見ると縁起がいいそうな。
実はこれには続きがあって、扇、煙草、座頭と続く。
何が言いたいかというと、ひとたび終わったと思っていたものでも実は続きがあるということで。
焚火の消し忘れであったり、ガスの元栓のしめ忘れであったり。
ホラー映画なんかだと殺人鬼から逃げ切って一息ついた瞬間であったり。
それらは往々にしてロクな結果を招かないものである。
正月一日の夜、林太郎はふわふわとした夢の中で遠い過去の記憶をリプレイしていた。
それはちょうど1年前。
勝利戦隊ビクトレンジャーへの内定が決まり、ヒーロー学校規定の実地研修に赴こうとした矢先の出来事である。
いつものように絡んでくる後輩を適当にあしらっていたときのことだ。
そこそこ歳が離れていることもあり浮ついた話をするような仲ではなかったが、一度だけ好みの異性の話題になったことがある。
「センパイ、私は強い人が好きなんです」
「へえ、ひょっとして俺のこと口説いてる?」
「埋めます」
「そんな雑な返し方ある?」
それ以来、ふたりの間で恋愛話は禁句となった。
懐かしき在りし日の思い出であった。
だが夢はそこで終わらなかった。
いつの間にかグルグル巻きに縛られた林太郎の目に入ったのは、遠くに見える富士山であった。
ぴーひょろろと鷹が飛び、口には乱暴になすびが突っ込まれる。
「むぐっ、むぐぐーーーっ!!!」
そのまま深さ3メートルほどの穴に乱暴に放り込まれた。
見上げると白銀の髪の少女が、そのスカイブルーの瞳で冷たく林太郎の顔を覗き込んでいた。
「…………埋めてやる、デスグリーン……」
桐華は呪詛のようにそう呟くと、手に持った雪かき用スコップで林太郎の身体の上にわっせわっせと土をかけ始める。
「もごもごーっ! やめてーーっ! 後生だから埋めないでーーーッ!!」
必死の嘆願もむなしく顔にまで土をかけられ次第に呼吸ができなくなる。
林太郎はついに頭の先まで埋められ、青木ヶ原樹海の土とひとつになったのだった。
ああ、土って意外といい匂いがするんだなあ……。
………………。
…………。
……。
「ふぐっ……! ふぐぐぐぅーーーーーッッ!!!」
あまりの息苦しさに目を覚ますと、目の前が真っ暗だった。
ふかふかのキングサイズベッドの上で、林太郎は己の顔にべったりとへばりついた少女を引き剥がした。
「あっプハァァァァァーーーーーッッッ!!!!!」
肩で荒く呼吸をし、血中のヘモグロビンにこれでもかと酸素を送り込む。
冷え切った末端にじんわりと血が巡り、酸欠でくらくらする頭が徐々に覚醒する。
「ほにゃむ……あ、アニキおはよッス……」
「おはようサメっち。お願いだからアニキの顔面を抱き枕にするのはやめようね」
「ッスぅ? いい初夢見れたッスか?」
「ああ、最高だね。危うくこのまま夢の住人になるところだったよ」
はたして富士山からなすびまでコンプリートして、ここまでありがたくないものだろうか。
もう少しご利益というものがあってもいいものである。
林太郎はシャワーを浴びて髪を乾かし、再びベッドにダイブする。
怪人に正月休みというものがあるかどうかは知らないが、今日は一日のんびりしていたい、そんな気分であった。
「アァーーニィーーキィーー!!」
そんな休日のパパみたいにグダついている林太郎の背中で、構ってほしい娘のようにサメっちがバインボヨンと飛び跳ねる。
「ぐぇっ! ぐぇっ! 待ってサメっち、アニキの腰が死んじゃう」
「アニキ今日は買い物に連れて行ってくれるって約束したッス!」
サメっちは昨日集めに集めたポチ袋を、トランプのように拡げてみせた。
そしてどうだと言わんばかりに鼻息をフンスフンスと荒くする。
「買い物……? あ、今日行くって言ってたっけ……?」
「言ってたッスゥ!!!」
昨夜新年会でもみくちゃにされて後半の記憶が曖昧なのだが、思い返してみるとそんな約束をしたような気がする。
林太郎は馬乗りになったサメっちに急かされ、のんびりと出かける準備を整えた。
…………。
一方その頃、阿佐ヶ谷のヒーロー仮設本部では急ピッチで再編成の作業が進められていた。
守國長官自ら陣頭指揮を執り、職員たちは大晦日も正月もなく働きづめである。
勝利戦隊ビクトレンジャーの鮫島朝霞司令官も、自ら志願して肉体労働に励んでいた。
今朝関西の支部から届いたばかりの機材を仕分ける作業に従事していると、白銀の髪が目に入った。
「黛さん、もう動いて大丈夫なのですか?」
「…………はい」
黛桐華は目を伏せながら、短くそう応えた。
弱々しい返事からは、彼女が現役最強のヒーローであるなどとは想像もつかない。
先日、極悪怪人デスグリーンに完全敗北を喫したことが相当こたえているようだ。
幸いにも外傷は軽微なものであったが、彼女にとっては心の傷の方が問題だろう。
「そのふらついた足取りで、どこへ行こうというのですか?」
「少し、外の空気を吸いに……」
桐華の青い目が泳ぐのを、朝霞は見逃さなかった。
「ビクトリー変身ギアを紛失した今、規定に則りあなたに怪人との交戦は認められていません」
「…………ッ!!」
「特に黛さんは有名人ですから、怪人側から接触してくる可能性も大いに考えられます。上官という立場から申し上げさせていただければ、現段階におけるあなたの外出は看過できかねます」
朝霞は冷たく言い放った。
別に桐華をいじめたくて言っているわけではない。
桐華の身の安全を考えれば当然の判断である。
だが――――。
「しかしながら私には職務上、黛さん一個人の行動を制限する権限は与えられていません。ただどうしても外に出たいというのであれば、これを肌身離さず持っていてください」
「……これは?」
朝霞司令官は桐華に手のひら大の機械を手渡した。
スピーカーとランプのついた簡素なものだが、何に使う装置なのかさっぱりわからない。
「京都支部で大学と共同開発していたものです。名付けて無線式小型携行後天性局地的人的災害特異転遷受容因子空間情報検知器です」
「むせ……え? ごめんなさい、まったくわかりません」
名付けるにしたってもう少しあっただろうに。
なぜヒーロー本部の連中はこうも長ったらしい名前を付けたがるのか。
「長いので私は“怪人センサー”と呼んでいます。半径10メートル以内に怪人細胞の反応を検知すると音が鳴ります。といっても試作機なので誤作動も多いようですが」
「……怪人センサー、ですか」
「将来的には全公安職員の標準装備となる予定です。……5年後ぐらいに。それと帽子を被っていくことをおすすめします」
朝霞はそう言うと黒いキャップを桐華の頭に被せた。
「額の“肉”は隠しておくべきでしょう」
「……わかりました」
油性ペンで書かれたせいで、桐華の額には未だに肉の文字が錦の御旗よろしく燦然と輝いていた。
桐華には額に肉と書かれる意味がまるでわからなかったが、どうやら恥ずかしいことらしい。
怪人センサーを上着のポケットにしまうと、桐華は阿佐ヶ谷仮設本部を出た。
特にどこへ行こうというわけではなかったのだが、ふらふらと人の多い方へ足の赴くまま、気づけば中野まで来てしまっていた。
大型商業施設の自動ドアを潜り抜けると、暖房がよく効いており少し汗ばむほどだった。
桐華はそこでペットショップのショーウィンドウ越しに犬を眺めて怯えられたり。
自動販売機で缶コーヒーを買って飲んでみたりした。
しかし何をしたところで桐華の心が晴れることはなかった。
「ねえキミかわいいじゃーん、モデルとか興味ない系? ちょうど隣のビルで撮影会やってるんだよねえ」
「…………」
「あれあれあれー? もしかして聞こえてない系? 俺ひょっとして無視されちゃってる系ー? いやほんとちょっと写真とビデオ撮るだけだからさあ。いいお小遣い稼ぎだと思って……」
桐華は黙って手に持ったコーヒーの缶を“縦に”握りつぶした。
ナンパ男はヒェーーーッと悲鳴をあげながら逃げ去っていった。
いっそ応じてやってもよかったかもしれない。
ビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨビヨ!
そのとき、桐華の上着のポケットから気の抜けたビープ音が鳴り響いた。
桐華が周囲を見回すまでもなく、目の前を歳の離れた兄妹らしきふたりが通り過ぎる。
「アニキぃ、サメっちおトイレ行きたいッスぅ」
「あんなにがぶがぶジュース飲むからだよ、もう仕方ないなあ」
すれ違いざまその男の横顔を見た瞬間、桐華は己の目を疑った。
それは紛れもなく、桐華が無意識のうちに探し求めていた男であった。
「デス……グリーン……!?」
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