『ごめん……なさい……?』
“悪の怪人”ヒノスメラは、戸惑ったようにサメっちの言葉を復唱した。
人が怪人として覚醒する理由は多々あれど、そのほとんどは過度のストレスや絶望といった後ろ向きな理由からだ。
そして世界は、いかなる事情があれども怪人たちの存在をけして許容しない。
だからこそ怒りや憎しみ、悲しみや恨みといった感情は他者へと向けられる。
それが怪人という存在の性であり、怪人が背負う業だ。
彼女が知る限り、己を省みて非を認めるその一言は。
許されざる存在である“悪の怪人”がおおよそ自発的に口にする言葉ではなかった。
『ごめんなさい……って、言うんか? ……うちが?』
「そッス! 誰かに迷惑や心配をかけたときは“ごめんなさい”するッス」
少女の真っすぐな瞳は、姿が見えないはずのヒノスメラを確かに正面から見据えていた。
地獄に堕ちるのはまだはやいと。
――あのとき。
10年前ドラギウスに追い詰められたヒノスメラが、もしその一言を口に出来ていたならば。
あるいは無限とも思える怨恨の渦中にあって、そのたった一言に出会うことができていたならば。
『……うちは、壊すしかでけへん女や。怒りも恨みも多分一生捨てられん……それでもか……?』
「なんでそれ捨てちゃうッスか?」
キョトンとした顔で答えるサメっちに、ヒノスメラは再び戸惑った。
こんな子供に心を乱されている自分自身に驚きながら、探し続けていた答えを求める。
『うちはアークドミニオンを……サメっちの家族を手にかけたんよ?』
「……ここだけの話ッスよ。サメっちだって酸いも甘いも噛み分けた大人のレディーッスから、嫌だなって思うこともいっぱいあるッス」
ヒノスメラの必死の問いかけに、サメっちは腕を組み目を閉じて、うんうんと頷きながら答える。
「ベアリオンのオジキはたまに耳が痛くなるぐらい声が大きいッス。ザゾーマは紅茶飲みすぎっス。くららちゃんは若作りに無理があると思うし、ウサニー大佐ちゃんは怒ると怖いッス。あと竜ちゃんは近寄るとちょっと臭いッス」
サメっちの口から、いかにも子供らしい忌憚のない意見がぺらぺらとあふれ出してくる。
特にドラギウスなどは、直接耳にしようものなら卒倒して寝込みかねない。
なおもサメっちは続ける。
「キリカはいじわるだし、ミナトは泣き虫だし、アニキは女の子にデレデレしすぎッス。それと、ヒノちゃんは訛りがきつくてたまに何言ってるかわかんないッス」
全部言い切ると、サメっちは再びその大きな目を開き、ニカッと笑ってみせた。
「でもサメっちはみんな大好きッス。誰かの嫌なところはいっぱいあるッスけど、嫌いよりも好きな気持ちのほうがずっと大きいから、サメっちはみんなのことが大好きッス」
笑った口には、“悪の怪人”の証たる鋭い牙がずらりと並んでいた。
「好きじゃない人に“ごめんなさい”はできないッスよ、ヒノちゃん」
『サメっち……あんた大物やな』
「むふふーっ、サメっちこれでも極悪軍団のナンバー2ッスもん! アークドミニオンの準幹部ッスよ!」
ヒノスメラの呟きさえも誉め言葉としてストレートに受け止めたサメっちは、鼻息を荒くしながら胸をドンと張ってみせた。
なぜアークドミニオンの怪人たちがサメっちをとても大事にしているか、ヒノスメラはようやくわかった気がした。
わずか11歳の少女の言葉であったが、ヒノスメラはまるで全身を強い光で照らされるような不思議な感覚を覚えた。
この先何年かかるかはわからない、しかし。
己の抱える深い闇も、いつかは光で満たされるのだろうかと。
『サメっち……あのな、うちも……』
ヒノスメラが何かを伝えようとした、まさにそのとき。
「対象を発見! 確保だァ!」
サメっちの小さな身体が乱暴に持ち上げられた。
「はわーーーッス!?」
「間違いない、ヒノスメラだ! あれっ? でもなんか小さくないか?」
「気にするなよ、それよりこいつは大手柄だ! ついに俺たちも東京本部所属のエリートになれるかな!?」
「ああ、もちろんさ! 地上で戦ってる仲間たちには悪いが、僕らが今日のMVPだ!」
彼らは地方から寄せ集められたヒーローチームのひとつ。
その名も果実戦隊フレッシュメン、山形支部所属の身も心もフレッシュな元イケメン三人組であった。
サメっちとヒノスメラはお互い言葉を交わすことに夢中で、ヒーローの接近に気づくのが遅れたのだ。
『しもた! サメっち、振りほどくんや!』
ヒノスメラの叫びも虚しく、体格の良い黄色いスーツの男がサメっちの腕を掴んで引っ張る。
「ほら何も怖くないぞ。さあフレッシュなお兄さんたちと一緒に来るんだ」
「放せッスぅぅぅ!! サメっちは知らないおじさんにはついていかないッスぅ!」
「おじさんじゃない!! よく見てごらんよフレッシュだろう!? まだアラフォーだよ!」
囚われの身となったサメっちは、手足をばたつかせて脱出を試みる。
しかし子供の抵抗など、鍛え上げられたヒーローたちからしてみれば文字通り児戯に等しい。
サメっちが暴れるたびに、薄いパジャマ一枚に守られた膝小僧や湿った肩が硬い壁や点字タイルにぶつかった。
「ぐぬっ、これ以上暴れられたら怪我負わせてしまうぞ。チェリーレッド、例のものを!」
「了解だヨウナシイエロー! くらえ、フレッシュ麻袋!!」
チェリーレッドと呼ばれたリーダー格の男は、取り出した大きな袋をサメっちの頭から被せる。
サメっちの全身は頭の先からつま先まで、すっぽりと麻袋の中に収まってしまった。
「ふぎゃーーーんッス!! もごもごーっ!」
「これでよし! フレッシュに収穫完了だ!」
「さあ急ごう、上に僕らのフレッシュ号を待たせてある!」
「さすがはカリンオレンジ! 俺たちフレッシュメンの頭脳だ!」
袋詰めにされたサメっちは肩に担がれ、荷物のように運ばれていった。
さわやかに女児を拉致した男たちは戦闘中の味方や怪人たちに見つからないよう、こっそりと地上に出る。
そしてサメっちを詰め込んだ麻袋を、フレッシュ号とは名ばかりの軽トラに運び込んだ。
幌付きの荷台は移動型の基地になっており、暖房器具まで設置された快適な居住空間が整えられていた。
カリンオレンジが運転を担当する間、残りのふたりは悠々とソファに腰かけながら袋の見張りである。
「はっはっは! 東京に俺たち果実戦隊フレッシュメンの名を轟かせるときがきたな!」
「おい待てヨウナシイエロー、何か聞こえないか?」
彼らは果実酒で乾杯する手を止め、息を飲んで耳を澄ました。
「…………ね」
荷台の幌にバタバタと降り注ぐ雨音やエンジン音で聞き取りづらいが、確かに声らしきものが聞こえるではないか。
チェリーレッドが改めて耳を傾けると、麻袋の中から微かに少女の声がした。
「…………ね」
「どうしたお嬢ちゃん、息苦しいのかい? すまないが少しの間我慢してくれ」
「…………いね」
「稲? お腹でも減ってるのかい? フレッシュなフルーツならいくらでもあるけど……」
「『往ね言うとるんやドサンピン。小娘いたぶっていきっとんちゃうぞ』」
叫び声と同時に、布製の袋が真っ黒に燃え上がった。
まるで地獄の穴から噴き出してきたかのような業火とともに、フレッシュ号の荷台が炎に包まれる。
「グワァーーーッ! 俺たちのフレッシュ号がーーーッ!!」
あまりの高熱に荷台はおろか車軸まで溶け、フレッシュ号が広い道の真ん中で横転する。
フレッシュな男たちは、黒焦げになった果物たちと一緒に投げ出された。
そこは避難命令により封鎖された首都高速台場線、東京港連絡橋――。
またの名を“レインボーブリッジ”と呼ばれる東京湾にかかる巨大な橋の上であった。
一番遠くまで投げ出されたチェリーレッドは、橋の欄干に辛うじてしがみつきながら悔しさに叫んだ。
「ちくしょーっ! 俺たちの手柄がぁーっ! あひっ、雨で滑っ……落ちるぅ!」
海面からの高さはゆうに50メートル超、ヒーロースーツをまとっていようが落ちて失神しようものなら命の保証はない。
チェリーレッドは雨で滑る欄干を必死に乗り越え、アスファルトの上にべちゃりと身体を投げ出した。
しかし、海に落ちていた方がまだマシだったと、すぐに後悔することになる。
「あわっ、あわわわわっ、違うんだ俺たちはただ君を助けようと……!」
「はなはな、話し合おうじゃないか。そうだ、フレッシュな果物を毎年送るよ……だから……」
大事故を起こし既にボロボロのヒーローたちを、炎の中から大きな眼がギロリと睨みつける。
あまりの迫力に、フレッシュな男たちは思わずヒッと小さな声をあげた。
炎から現れたシルエットは先ほど捕まえた少女のものとは明らかに違う。
亜麻色の髪は腰まで伸び、すらりと長く白い手足は子供丈のパジャマから大きくはみ出している。
上着のボタンは全てはじけ飛び、形の良い胸元が薄い布地を持ち上げていた。
「ブランクある言うてもうちかて元幹部やさかいに、怪我で帰れる思わんといてな。それに今のうちやったら誰にも負ける気がせえへんのよ」
透き通った声で話す女の全身から、黒い炎が湧き上がった。
あまりの高温に降り注ぐ雨粒さえも一瞬で蒸発し、周囲一帯は濃霧のような水蒸気に覆われる。
ぼやける視界の中で、フレッシュな男たちは怒り狂っているであろう女の笑顔を目にした。
「おおきになあ。うち、あんたらのこともちょっと好きになれそうや。お礼言うたらなんやけど、一番大きいのんもろといてんか。……“むすめふさほせ”」
真っ黒な太陽がレインボーブリッジの真ん中で炸裂した。
今日の更新はここまで。
明日は一気に5話更新で5章完結予定だよ。お楽しみに!
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