習志野にある総合病院には多くのヒーローが運び込まれていた。
なにせ怪人の襲撃により一晩で二百名以上という未曽有の被害が出たのは、羽田決戦以来の大惨事だ。
たくさんの救急車がひっきりなしに、現場である習志野支部と県内のあらゆる病院を往復した。
被害者全員を収容できたのは、日が昇ってから随分経ってのことであった。
なにより驚くべきは、その誰も彼もが一刀両断に斬り伏せられたという被害状況である。
「まったく、戦国時代の合戦じゃないんだぞ。それで患者の容体は!?」
「左肩から右脇腹にかけて剣で斬られたそうです。ヒーロースーツの上からバッサリと」
「それなんで生きてるの!? 出血の具合は!?」
救急隊からの報告が事実なら、時は一刻を争う。
だが医者の問いかけに、助手を務める看護師は青い顔でこたえた。
「それが先生、出血……ありません!」
「なにを馬鹿なことを言ってるんだ!?」
救急車が到着すると、医者と看護師はストレッチャーで患者を運びながらその不思議な傷痕に首を捻った。
「うぅ……痛いよぉ……!」
「どういうことだいったい……傷はどこへいったんだ……?」
ヒーロースーツは間違いなく胸元から袈裟懸けに斬り裂かれている。
しかしながら、晒された肉体にはどこにも傷などついていないのである。
訓練を受けたヒーローでさえも立ち上がれないほどの痛みだけを残し、その傷は綺麗さっぱりと消えていたのだった。
…………。
ウサニー大佐ちゃんにボコボコに殴られた林太郎は簡単な治療を受けていた。
生身の人間が怪人の本気のパンチを何度も受けた結果、アザだらけになった顔は今や包帯でぐるぐる巻きにされている。
生気のない目と合わさって、今の林太郎はまるで推理小説に出てくる猟奇殺人犯のようだ。
「本当にすまなかった、デスグリーン大尉……」
「いや、うん。今回に関しては俺も確認するべきだったよ、うん」
「すまない林太郎、ウサニー大佐ちゃん……もとはといえば私の責任だ」
「いやそこは猫犬コンビに責任取らせたほうがいいと思うよ俺は」
林太郎は包帯の上から眼鏡をかけなおすと、誤魔化すように下手くそな笑みを浮かべてみせた。
全身を覆う倦怠感や殴られた顔の痛みもさることながら、林太郎の目はズキズキと鈍い痛みを残す左腕に注がれる。
昨夜の戦闘で確かに銃撃を受けた箇所には、傷ひとつついてはいなかった。
熾烈を極めた戦闘からわずか一日での完治、それは人間の肉体であれば到底ありえないことだ。
林太郎の身に起こった驚異的な再生力を説明できるものは、ただひとつしかない。
「……怪人細胞……」
怪人の肉体は程度の差こそあれ、極めて強靭かつ高い再生力を誇る。
それらは怪人覚醒した者の体内にのみ存在する“怪人細胞”の働きによるものだ。
しかしながら林太郎が怪人覚醒したというのであれば、説明のつかない事象がある。
林太郎はふたりに気づかれないよう、そっと包帯の上から頬の傷をなぞった。
これも治っていなければおかしいのだ。
「林太郎?」
不意に声をかけられ、林太郎はハッと我に返った。
「あ、ああ。どうしたんだ湊? 急に改まって」
「なんだ、やっぱり聞こえてなかったのか? 私は迷惑かけたみんなに謝ってくるから」
湊は死亡説の誤解を自ら解いて回るという。
「そりゃあ……なんというか、律儀だな」
「林太郎も謝る準備、しておいたほうがいいと思うぞ……サメっちとキリカに」
「そうだな、なにか考えておくよ」
湊やウサニー大佐ちゃんと別れた直後、林太郎はザコ戦闘員から伝言を受け取った。
その伝言を送った相手というのが、他ならぬ我らが総帥・ドラギウス三世であったとくれば、怪我を理由に断るわけにもいかない。
『剣のことで話があるのである』
ことづての内容はとても短かったが、林太郎がドラギウスの意を汲むのにさしたる時間はかからなかった。
…………。
見上げてもどこにあるかわからないほど高い天井。
青い炎に照らされた、暗黒密教の聖堂を思わせる地下空間。
およそ半年前、林太郎がアークドミニオンに連れてこられたその日と同じ場所に、悪の総帥は座っていた。
「クックック……林太郎よ、随分男前になったではないか」
「ウサニー大佐ちゃんにしこたま殴られましたからね」
「傷の具合はどうであるかな?」
「ご覧の有様ですよ。包帯をとってご覧に入れましょうか?」
「顔のことではない」
そう言うとドラギウスは枯れ枝のような手をひらひらとあおいだ。
やはりこの老人は林太郎の身体に何が起こったのか、すべて知っているのだ。
「怪人覚醒を遂げたのであれば何故『腕の傷よりも後に受けた顔の傷が治っていない』のか。……フハハハハ、疑問としては至極当然であるな」
「それについてはわしから説明するのじゃ!」
暗黒聖堂の扉を開き突然会話に割り込んできたのは、歯車だらけの車椅子に乗ったタガラックであった。
林太郎の視線はそんなタガラックの後方、ひとりでに動く車椅子に引きずられた大きな棺に注がれる。
「クックック、グッドタイミングであるな」
「なんですかタガラック将軍、そのけったいな代物は」
「いいからおぬしらもちっとは運ぶのを手伝わんか。非力で可憐な美少女じゃぞわし」
怪我人と老人ふたりは力を合わせて棺を玉座の前まで運ぶと、せーのという掛け声と共に重い蓋を開いた。
「これは……」
「おぬしと一緒に回収しておいたのじゃ。まーちっとだけ分析させてもらったわい」
そこに横たわっていたのは、一本の剣であった。
まるで光の存在など意に介さぬとばかりに黒々と闇を塗りたくったような刀身に、ひと筋の緑色が走っている。
瀕死の湊から林太郎へ贈られた、緑の炎を宿す魔剣だ。
林太郎はおそるおそる魔剣へと手を伸ばすと、昨夜のように再びその柄を握りしめた。
「触らんほうがよいぞ」
「へっ?」
直後、林太郎の全身をまるで高圧電流を浴びせかけられたような衝撃が駆け巡った。
柄を握る手のひらから拡がり、頭のてっぺんから足の指先に至るまで全ての細胞が灼鉄のように熱く脈打つ。
「ほあッぎゃああああああああアアアアッッッ!!!!!」
不意打ちにしてはあまりに大きすぎるショックに、林太郎は思わず剣を放り出して絨毯の上をゴロゴロと転がった。
血は出ていないようだが、包帯にくるまれた顔に針山を押し当てられたような痛みが走る。
「いだだだだだだだ! なんなんですかコレェ!?」
「まったく若いもんはせっかちでいかんのー」
「危険があるなら先に言っておいてくださいよ!」
「わしちゃんと言ったもんね! 聞く前に触ったのおぬしじゃもんね! わし悪くないもんね!」
ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねながら、金髪幼女は己の無罪を主張した。
いっぽうの林太郎はただ柄を手に取っただけの自分の身になにが起こったのか、まるで理解できない。
床に這いつくばる林太郎の前に、いつも通りタキシードを纏い紳士然としたドラギウスが音もなく立った。
老翁はなにかを言ったり手を差し伸べるのではなく、ただ黙って林太郎の目の前に小さな手鏡を置く。
鏡に映った自分の顔を見て、林太郎は息を呑んだ。
乱れほどけた包帯の隙間から覗くのは、26年間見慣れた己の傷ひとつない顔である。
「そんなばかな、だって今朝あんなに……まさか。剣のことで話があるってのは、このことだっていうんですか?」
「クックック。さすがは林太郎、察しが良いのである」
ドラギウスは剣のような鋭い目を細めてニッと笑うと、林太郎に手を差し出した。
その枯れ枝のようなしわだらけの手をとって、林太郎はよろよろと起き上がる。
「この魔剣は一時的にではあるが、所有者……つまりおぬしの肉体を怪人細胞に作り替えるのである」
それがドラギウスとタガラックの出した結論であった。
昨夜林太郎が体験した怪人覚醒は、この魔剣によってもたらされていたというのだ。
マントを翻し高笑いをきめる悪の総帥をよそに、林太郎は真っ黒な剣を改めてまじまじと見つめた。
ただならぬ雰囲気を放つ剣ではあるが、そのような力が秘められているとは到底信じられない。
だが己の身に起こったことを説明するには、否応なしに信じる他なかった。
「ようするに、この剣が俺を怪人に変えちまうってことですか?」
「んまあー、そう簡単な話であればよかったんじゃがのー……」
林太郎の言葉に、タガラックが難しい顔で腕を組む。
その手にはいつの間にやら計測器のようなものが握られていた。
「怪人細胞というのはガン細胞のようなものでのう、言ってしまえば細胞のバグじゃ。こいつは怪人の肉体のうちだいたい20%ほどを占めておる。じゃが……ううむ……」
計測器に示された数値に軽く頭を抱えながら、タガラックはちらりとドラギウスのほうに目をやる。
語るべきかどうか迷うタガラックの問いに応えるように、ドラギウスは首を縦に振った。
総帥の許可を受け、タガラックはいつになく重々しく言葉を続ける。
「その魔剣はのう……おぬしの体を100%、余すことなくすべて怪人細胞へと変換しておる。使い続ければどんなことが起こるか想像もつかん。はっきり言わせてもらうと、呪いの武器じゃな」
肉体の全細胞の怪人細胞化、それが林太郎の全身を襲った痛みの正体であった。
文字通り身体中を破壊し修復したのだ、それは当然肉体に凄まじい負荷となって表れる。
怪人特有の超再生が100%という濃度で全身を襲うのだ、無理もない。
そしてそれはなにも、林太郎自身の肉体のみに影響を及ぼすものではない。
「昨夜はたしかにこの剣で何人も……確かニュースでも死者はいなかったって」
「おぬしはあれで己を制御できていたとでも言うつもりか? そりゃーちと無理があると思うがのう」
そう言われると、なにも言い返す言葉がない。
記憶が曖昧になどという都合の良いこともなく、林太郎は昨夜自分がしでかしたことを鮮明に覚えている。
怒りに任せて振るった剣の勢いはすさまじく、ヒーローたちのうち何人かは助かる見込みのない致命傷を受けたはずだ。
林太郎は今朝のニュースで、怪人が“組織的に”習志野支部を襲撃したとの報道を目にした。
怪我人は232名。
さしものヒーロー本部も、これがたったひとりの怪人によって為された事件だと公表することは避けたかったらしい。
しかしながら、おびただしい被害者数とは裏腹に、死者はなんとゼロであった。
この魔剣が、人を斬り裂いたそばから再生していたとすれば説明がつく。
「林太郎よ、この剣はおぬしを呪い殺すやもしれん。だが、おぬしが持つべきである」
そう言いながらドラギウスは己のマントの端を破ると、魔剣の柄に巻き付けた。
「受け取るがよい。おぬしにはその資格がある。否、この剣を持つ資格はおぬしにしかないのである」
「ドラギウス総帥……」
「クックック、安心せよ。我が外套は怪人細胞の働きを遮断する特殊繊維である」
林太郎はおそるおそるドラギウスから魔剣を受け取る。
ドラギウスの言う通り、マントの切れ端で包まれた柄が林太郎に痛みを与えることはなかった。
「最後に林太郎、おぬしにもっとも重要なことを伝えるのである。心して聞くように!」
いつになく真剣なまなざしを向けるドラギウスに、林太郎は息を呑んだ。
人を怪人に変える魔剣、それを所持する責任を、林太郎は改めて重く受け止める。
「覚悟は……できました」
「うむ、良い返事である。では……」
悪の総帥はニッと口角を上げると、破れて少し短くなったマントを翻した。
「この魔剣に銘を打つのである!!!」
総帥によりアークドミニオン全域に非常呼集がかかり、怪人総出での魔剣命名会議は明け方まで続いた。
その間、林太郎は心を殺して皆の意見を却下し続けた。
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