――翌早朝。
「……納得いかねえ」
始発を待つ駅の改札に、眼鏡を曇らせた一人の男がいた。
泥のような目をした男の名は栗山林太郎、仲間たちからはクリリンと呼ばれている。
本人はその事実を昨日知ったばかりである。
年末年始ぐらいは休暇をとって旅行にでも行こうかと、先月買ったばかりのキャリーバッグには愛用の生活用品一式がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
旅行の日程が早まった上に長期滞在になったと思えば少しは気が晴れるかと思ったが。
当然のようにそんなことはなく、林太郎の心は網走の空がごとき猛吹雪の只中にあった。
これから今日一日電車に揺られ続ければ心だけでなく身も網走の空の下である。
(ああ、このややこしい路線図や過密ダイヤともお別れか……寂しいなあ)
林太郎が腹いせに他のメンバーのロッカーを木工用ボンドでガチガチに封印したことを思い出していると、不意に声をかけられた。
「あ、いたいた。もう探したッスよぅ」
最初に目に入ったのは牙の模様が入った青いパーカーフード。
それをすっぽりと頭から被った少女がそこに立っていた。
亜麻色の髪から覗く、少し欠けた月のような大きな目。
尻尾を振る仔犬のような人懐っこい笑顔。
そして林太郎よりも頭ふたつ低い背丈。
「こ……子供?」
林太郎は思わず周囲を見渡したが、保護者らしき大人の姿はない。
だがこの目の前にいる少女はどうサバを読んでも中学生ぐらい、むしろ小学生にしか見えなかった。
彼に声をかけてくることからしてヒーロー関係者であることは間違いないにしても、かなり若い部類に入る。
「んじゃついてくるッス」
そう言うと青いパーカーの少女は林太郎の返事も待たずにトットコ歩き出した。
林太郎は重いキャリーバッグを引きながら、案内されるがままに少女の後を追う。
「迎えが来るなんて聞いてないぞ」
「およ? おかしいッスね。ま、いいッス」
肝心な連絡が本人に行き届かないとは。
ヒーロー本部の情報伝達能力が低いのか、それとも林太郎がそれほどまでに嫌われているのか。
未来の無い二択が脳裏をよぎったところで林太郎は考えるのをやめた。
「サメっちは鮫島冴夜ッス。サメっちと呼んで欲しいッス」
「俺は栗山だ、栗山林太郎」
「わあ、略したらクリリンさんッスね」
「二度とその名で俺を呼ばないでね」
そんなやりとりをしながら、ふたりは用意された車に乗り込んだ。
「秘密基地までたのむッス」
「了解しましたウィ」
車が向かった先は都内である。
不本意ながら、林太郎は安堵した。
口ぶりやその若さから察するに、サメっちは都内の別のヒーローチームに所属するメンバーなのだろう。
ヒーローというのは職務柄、特殊車両を所有していることが多い。
航空機を借りられれば網走まではひとっ飛びな上、乗り換えもないというわけだ。
情緒は無いが15時間も電車に揺られるよりは幾分マシである。
「栗山さん外ばっかり見てるッスね」
「そうか? まあ見納めかと思うとな……寂しいもんだよ」
「おおー、ちょっとカッコいいッス。ハードボイルドッス」
ハードボイルドどころかハートブレイクなのだが。
ほどなくして車は都内で最も高いビルの地下駐車場に入った。
ピカピカに磨き抜かれた大理石のエレベーターホールには、当然のように埃一つ落ちていない。
私服の林太郎とパーカー姿のサメっちが並ぶと異様なほど浮いていた。
「圧倒されてるッスか?」
「組織格差を感じているところだよ。この絵とかいくらすんの?」
高速エレベーターに乗って地下へと潜る。
サメっちの話によると地上60階まで1分で到達するらしい。
それが下りはじめて3分ほど経とうとしていた。
このまま地獄の底まで連れて行かれるのかと思った頃、ようやくその重い扉が開いた。
暗く長い廊下を抜けると、そこには地下とは思えないほど広い空間が広がっていた。
黒を基調とした装飾に彩られた室内を照らし出すのは電灯ではない。
どういう仕組みか青い炎を湛えた燭台が並べられており、天井は見えないほど高い。
ヒーローの秘密基地というよりは暗黒密教の聖堂といった趣である。
「サメっち、帰還しましたッス」
「クックック……フハハハハ……ハァーッハッハッハッハ!!」
その聖堂の最奥から響く笑い声。
不釣り合いなほど大きな椅子に腰かける初老の男がそこにいた。
ヒーローチームの指揮を執る司令官、にしてはやけに迫力のある爺さんである。
言うなればそう……まるで悪の総帥だ。
初老の男は磨かれた剣のように鋭い目で林太郎を一瞥すると、口角を吊り上げた。
そしてマントを翻し――
「よくぞ参った、我輩はドラギウス三世! 秘密結社アークドミニオンの総帥であーるっ!」
「……はい?」
林太郎はそこでようやく自分の犯した過ちに気づいた。
そうここは、この場所は――
「ようこそ“怪人の怪人による怪人のための組織”アークドミニオンへ、ッス!」
そう言ってニカッと笑った少女の口には、鋭い牙が並んでいた。
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