少女には夢や目標と呼べるものが無かった。
10年前、当時7歳だった黛桐華は全てを失った。
燃え盛る炎の中で、少女の周囲だけがまるで聖域のように青々とした芝を残していた。
「奇跡だ……」
現場に駆け付けた救急隊員たちは、口々にそうはやし立てた。
――富士山爆発災害。
関東全域で10万人を超す被災者を出し、富士五湖が富士一湖になったほどの激甚災害である。
一部の専門家の間では、怪人同士の抗争による局地的人的災害であるとの見方もある日本災害史に残る大事件だ。
桐華は爆心地に程近い場所で発見された、その地域でただひとりの生き残りであった。
行方不明となった両親に代わり、父方の祖父母に預けられた桐華は空虚な日々を過ごしていた。
ほとんど口もきかず、黙って瞳と同じ色の空を見上げてばかりいた。
見かねた祖父が桐華を知人の運営する剣術道場に通わせたところ、小学校を卒業するころには師範を完封で打ち負かすほどにまで上達した。
他人には一切興味を抱かず、言われたことをただやるだけの人形のような少女だったが、才能だけは有り余っていた。
義務教育課程を卒業してすぐにヒーロー学校への編入を決めたのも、ただ“それが得意”だったからに過ぎない。
「さすが桐華様!」
「桐華様は日本の宝です!」
「わーい! 桐華様ばんざーい!」
「…………そうですか」
気づけばヒーロー学校の歴代記録をことごとく塗り替え、稀代の天才と持てはやされ崇め奉られていた。
上級生といさかいに引っ張り出される頻度が日に日に増えていった。
「やっちゃってください桐華様!」
「桐華様さえいれば上級生に絶対勝てるんだもん!」
「てめーら上級生だからって調子乗ってんなよ! こっちには桐華様がいるんだぜ!?」
「…………そうですね」
どうやら喧嘩に“勝つ”ということは彼らの中では特別なことらしい。
桐華にとって勝利とは、月が昇って沈むようにごく当たり前のことだった。
だから夢や目標を聞かれてもピンと来ない。
何故ならそれらは全て、桐華にとってはいずれ通る道すがらでしかないからだ。
そうして多くの人が求めてやまないものを全て手にしても、桐華自身は常に何かが足りないと感じていた。
そんな折、あの男に出会った。
「ほう、お前さんが噂の黛桐華か」
「…………そうですが」
上級生にヤバいやつがいると聞いて少しは期待していたが、桐華は肩を落とした。
それは見るからに才能も運も無さそうな優男であったからだ。
下級生との喧嘩を治めるために出張ってきたというが、拳で語るようなタイプにも見えない。
緑のジャージに眼鏡というもっさりした出で立ちからは、何のオーラも感じなかった。
「俺は上級生の取りまとめをやらせてもらってる栗山林太郎だ。ひとつよろしく」
その男は下手くそな笑顔で、腰を折って握手を求めてきた。
媚びへつらうような男は正直苦手だったが、ここで無下に断って上級生と下級生の関係を悪化させるのは得策ではない。
「……どうも、黛です」
桐華は心底つまらなさそうに、差し出された手を握った。
トゥクン……!
手を握った瞬間、桐華の心臓に電流が走った。
乙女の恋とは、まさに雷に打たれたような衝撃だと級友が言っていたのを思い出した。
それは桐華にとって初めて感じる胸の高鳴りであった。
(まさか……私が? こんな男に……?)
というか本当に電流が流れていた。
バリバリバリバリバリバリバリバリッッッ!!!
「あばばばばばばばばばばばばばばッッッ!!!!!」
「はっはっはぁーっ! ちょっと迂闊すぎやしませんかねえ黛ちゃぁん! 手のひらサイズに改良した超高圧スタンガンの味はいかがかな? 痺れるほどにスパイシーだろう?」
「ぐっ……このぉ……ッ!!」
桐華はいやらしく笑う林太郎の腰に手を回した。
必然、ふたりは抱き合うような形になる。
当然のことながら林太郎の仕掛けた電流は、桐華の身体を伝い林太郎を襲う。
「おいやめっ、待っ、あっぎゃあああああああああああッ!!!」
ふたりの心臓は、生体反応により今までになく高鳴った。
それが桐華と林太郎との出会いであった。
…………。
――そして現在。
「きゃあああああああッッッ!!!」
「はっはっはぁーーーっ! いい格好だなあ黛ぃぃぃぃぃ!! 楽しそうでなによりだ! あーーーっはっはっはァーーーっ!!!」
ビクトブラックこと桐華は、足に絡みついたロープに引っ張られ地上40メートルの逆バンジーを体験していた。
高層ビルの上で頑張ってロープを引っ張るのはザコ戦闘員たちである。
「「「おーウィす! おーウィす!」」」
デスグリーンの頭に、タイマンを張るという言葉はない。
強力な怪人たちをヒーロー本部に向かわせる代わりに、ザコ戦闘員たちをありったけ借り受けていた。
「ひゃはははは!! ほうら、楽しいときは笑えよ黛ぃ! 写真でも撮ってやろうかーっ!?」
「じ、実に楽しいアトラクションですよ、遊園地みたいで……フッ!」
桐華は空中でロープを切断すると、地上に向かって大量の小さな黒い玉をまき散らした。
パパパパパパパパパパパパン!!!
小気味良い破裂音と共に、地上は煙で満たされる。
林太郎と部下のザコ戦闘員たちの視界は一瞬で真っ白になった。
「くそっ、また煙幕か! 小癪な!」
「デスグリーンさん! これ煙幕じゃな……」
桐華は黒いマスクの下でニヤリと悪い笑みを浮かべ、バイクのリモコンキーを取り出す。
「遊園地には花火がつきものでしょう?」
駐車してあった黒いバイクのエンジンに、ブルンッと火が入る。
次の瞬間一面を満たす粉塵に火がつき、地上は紅蓮の炎に包まれた。
アスファルトがめくれ上がるほどの大規模な粉塵爆発で、周囲一帯のビルの窓ガラスは粉々に砕け散る。
巻き込まれた戦闘員はもはや使い物にならないだろう。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁん…………!」
あとついでに倒れ伏していたレッドも巻き込まれてどこかへと飛ばされていった。
それについては桐華も林太郎も特に気にしないことにした。
あの男のことなので死んではいないだろう。
「やってくれるじゃないの! よおし狙撃班、目にものを見せてやれ!」
林太郎の合図で、道を挟むビルの屋上に待機していたザコ戦闘員たちが一斉に銃を構える。
彼らの手に握られているのはザコに似つかわしくないほどゴツい自動小銃である。
それらが一斉に火を噴き、銃声がビルの合間で優しさゼロの交響曲を奏でた。
「猪口才な……っ!」
これでもかと撃ち下ろされる弾丸の雨を、桐華は超人的な脚力でもって苦も無く回避する。
そして狙撃兵がいるビルの1階に向かって黒い箱を投げ入れた。
ドウウウウウウウンッ!!!
身体の芯にズシンと響く轟音と共に、商業ビルが丸ごとひとつ崩れ落ちた。
「なんでそんなエグい爆弾持ってるんだよ!」
「ヒーローのたしなみですよ……」
深夜の市街地で、お互い一切容赦のない目まぐるしい応酬が繰り広げられる。
あまりの泥仕合っぷりに、ザコ戦闘員たちはドン引きしていた。
視界いっぱいに土煙が立ち込める中、桐華の目の前に突如として光る目玉が現れる。
それはザコ戦闘員が運転する、道幅いっぱいに並走したトレーラーであった。
視界ゼロの状況ではさすがに回避が間に合わず、桐華の全身を衝撃が襲う。
「くっ……!?」
トレーラーのフロントにはネズミ捕り用の接着剤がべっとりと塗りたくられており、桐華の身体をとらえて放さない。
「ほんっっっとうに賢しいですね!!」
桐華の背中に、激しい衝撃と共にコンクリートが叩きつけられる。
トレーラーは桐華を張り付けたまま雑居ビルに突っ込んだ。
「よぉし!」
林太郎は少年野球でヒットが出たときの監督ばりにガッツポーズを取った。
トレーラーの運転席から、ザコ戦闘員が慌てて飛び降り退避する。
ザコ戦闘員が地面に伏せたのを確認すると、林太郎は持っていた起爆スイッチを押した。
「地獄でヒーローごっこやってなベイビー!!」
トレーラーに満載された爆薬、しめて6トンが一斉に炸裂し街の区画が丸ごと一つ消し飛んだ。
「さすがに死んだでウィ……?」
「どうだろウィ……?」
ザコ戦闘員たちが心配そうに見守る中、瓦礫がガラリと崩れ落ちる。
「ひゃあああ! まだ生きてたウィーーーっ!」
「ば、ばけものだウィーーーっ!!」
あれだけの爆発に巻き込まれてなお瓦礫の山に燦然と立つビクトブラックの姿を見て、ザコ戦闘員たちは恐怖のあまり逃げまどった。
たださすがに無傷とはいかなかったのか、マスクにはヒビが入っている。
「っはーーーっ……っはーーーっ……」
「おいおい冗談だろ……まだ動けるのか……?」
「昔から……身体は丈夫なほうなんですよ……」
「お前さん、さっさとクリプトン星に帰ったほうがいいよ」
デスグリーンのマスクの下で、汗がつぅーと流れ落ちる。
本作戦における林太郎の目的は時間稼ぎである。
ここで無理せずとも、神保町のヒーロー本部庁舎を破壊できればこちらの勝利だ。
しかしこの黛桐華は、林太郎を正面からねじ伏せ突破しかねない勢いであった。
ザコ戦闘員はもはや使い物にならない。
とはいえ充分にダメージは負わせた、勝機がないわけではない。
「それじゃあ仕方ねえ、第2ラウンドといこうか」
「最終ラウンドにして差し上げますよ」
廃墟と化した街に、激しい剣戟が響き渡った。
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