透き通るような白い肌、流れる白銀の髪、心まで見通しそうなスカイブルーの瞳。
個性的な怪人が集まるアークドミニオン地下秘密基地においてなお、その少女ほど目立つ者はいなかった。
しかしすれ違う誰も彼も、少女の姿を気にも留めない。
彼女はまるで影のように音もなく、他人の目の前を通りすぎる。
風のような身のこなしは、かつて彼女が学び舎で体得した“意識の隙間を縫う技術”によるものであった。
少女は誰にも認知されることなく、目的である固く閉ざされた扉の前に立つ。
コン、ココン、コン。
不思議なリズムでノックをすると、中からくぐもった男の声が聞こえた。
「誰だ」
「あなたの愛する妻です」
「…………」
返事はなかった、少女は急いで訂正する。
「“月曜日が来た”…………。“月曜日が来た”!! ……謝りますから開けてくださいセンパイ!」
「……よし入れ」
合言葉を確認すると同時に鍵穴が回り、天岩戸が開かれる。
扉の隙間からは暗い冷気と男のすすり泣く声が漏れ出している。
少女は周囲に誰もいないことを確認してから、部屋の中へと身体を滑り込ませた。
「思ったよりも遅かったな」
部屋の主、栗山林太郎はそう言うと、オーディオの電源を切った。
するとシクシクと鳴り響いていた泣き声がピタリと止む。
「……ここまでする必要あります?」
白銀の髪の少女、黛桐華はいぶかしげに眉を寄せる。
林太郎が行っていたのは、意図的な人払いであった。
「これぐらいはやっておかないと、スーツの破損は俺にとっちゃ致命傷だからな。……あの洋画かぶれどもに同じ手が通じるとも思えないし、今出動命令が下ったらオシマイだ」
「なるほど! 先日のアレも作戦のうちだったんですね、さすがセンパイ!」
「まっ、ままままま、まあね。誰も好きで脱いだりはしないさ」
「私はてっきりスーツの破損を失念していて、大事故を起こしたものだとばかり……」
「黛、その話はもうやめよう」
林太郎は1週間もの間、部屋にこもりきって誰とも顔を合わせなかった。
その理由は言わずもがな、破損したデスグリーンスーツを修復するまでの時間稼ぎである。
心に大きな傷を負ったことは確かだが、その目は泣き腫らして真っ赤になっていたりはしない、いつもと同じ闇の色だ。
「……それで黛、例のブツは持ってきてくれたんだろうな」
「ちゃんとタガラック将軍から預かってきましたよ。もう、そんなに焦らないでください。まずは報酬を頂戴してからです。ん~~~~~」
林太郎は目を瞑って唇を突き出す桐華の頭を、ぽんぽんとなでた。
「満足したか」
「……まあ、これはこれでよしとしましょう」
桐華はスカートの裾を少しまくると、太腿のホルスターから小さな機械を取り出す。
緑色の本体にVのエンブレムが輝くそれは、まぎれもなく“デスグリーン変身ギア”であった。
このギアに内蔵されるスーツが、林太郎を“極悪怪人デスグリーン”たらしめている。
林太郎は緊張の糸が切れたように、安堵の溜め息を吐き出した。
これでようやく、デスグリーンとしての活動を再開できるというものだ。
みんなには余計な心配をかけてしまう結果となったが、こればかりは事情を知る者にしか相談できない問題であった。
現在その事情を知るのは、アークドミニオン内部では3人だけである。
ギアを魔改造した総帥ドラギウス三世と絡繰将軍タガラック、そしてヒーロー学校時代の後輩であるこの黛桐華だ。
「ありがとう……しかしよく直せたもんだな」
「ビクトリースーツ用の特殊繊維が足りなかったので、私のスーツから調達したと聞きました」
「それじゃあブラックのスーツは……いいのか?」
「ええ、私にはもう必要ないものなので」
「そうか、悪いな黛」
林太郎は改めてデスグリーン変身ギアを構える。
やはり1年近くの付き合いだけあって、よく手に馴染んだ。
強いて言うならば少し重くなったような気がしたが、引きこもっていたせいで鈍ったのだろうと林太郎は結論づけた。
…………。
一方その頃、林太郎のあずかり知らぬところで、嘆き色のしずくが床を濡らしていた。
誰よりも栗山林太郎の役に立ちたい、そう願ってきたソードミナスであったが。
林太郎の足を引っ張り、あまつさえその心と名誉を深く傷つけた原因が自分にあると知るや否や、ボロボロと大粒の涙を流し立ち上がれずにいた。
「うっ……うっ……うわぁぁぁぁん……」
「よしよしッス、つらかったッスねぇ」
「ふぐっ、ふぐぅぅぅぅぅ……」
「だーいじょぶッス、サメっちがここにいるッスよ」
成人男性でも見上げるほどの長身を誇るソードミナスが、自分よりも遥かに小さなサメっちに抱きかかえられるようにして泣いている。
林太郎の“狂言”を真に受けたソードミナスは、原因が自分にあると愚直に信じていた。
静かな嗚咽と秒針の音だけが、その空間を埋める。
極悪軍団に入るなどという希望はおろか、このままでは彼に合わせる顔すらない。
すべては自分の弱さのせいであると、ソードミナスは悔しさに身を震わせた。
「私が弱いから……林太郎に迷惑がかかるんだ……」
「そんなことないッスよ。アニキもきっと違うって言ってくれるッス」
サメっちの言うことは正しい。
彼ならばソードミナスのネガティブ思考を優しく溶かしてくれるだろう。
林太郎は敵には修羅の如く厳しいが、身内には親馬鹿のように甘い、そういう男だ。
だが時に優しさは、鋭く研ぎ澄まされた剣よりも深く相手を傷つける。
心に突き立つ濡れた刃が、身の丈を知れと魂を苛む。
「私は、もっと……強く……強くなりたいよぉーっ!!」
ババーーーンッ!!!
ソードミナスが己の本心を吐露したその瞬間。
医務室の扉が勢いよく開かれた。
逆光の中に3人の男女の姿が並び立つ。
「あ……あなたたちは……!」
ソードミナスの赤く染まった目が、大きく見開かれる。
驚いたのは勢いだけではない、現れた3人の意外な顔ぶれにソードミナスは息を呑む。
「話はあ!」
「聞かせて!」
「幽玄なる深淵に咲く徒花は結実を求めず、ただその身に光のあらんことを願う」
「ザゾーマ様は『もらったぞ!』と仰っております」
剛毛に覆われた筋骨隆々の巨体を誇る牙と爪の王、百獣将軍ベアリオン。
日本の科学技術の最高峰に君臨し続ける金髪幼女、絡繰将軍タガラック。
薬毒を使役し美醜さえも意のままに支配する麗人、奇蟲将軍ザゾーマ。
東京で最も高いビル、品川タガデンタワーの地下深く、怪人うごめくアークドミニオン地下秘密基地。
この暴力うずまく悪の園で、“強さ”において彼らの右に出る者はいない。
それはアークドミニオンが誇る最高戦力・三幹部の面々であった。
あとついでにザゾーマの通訳として、片腕である切断怪人ミカリッキーも同伴していた。
「よくぞ言ったぜえソードミナス! お前には素質がある! 背も高くてスター性もバッチリだあ! リングネームはそうだなあ……ジャックナイフ剣持なんてどうだあ?」
「とりあえず両足にドリルとミサイル格納ポッドじゃな。腕には伸縮自在のロボットアームを仕込むというのはどうじゃ? 腕も6本ぐらいあった方が便利じゃろうて!」
「紅き刃は乱れ落ち、混淆となりて荒涼を断ち斬らん。冥府に惑う水先に、その白磁が如き指剣を以て死出の導標を示し給う。其の名は大罪、故に慈愛の惨たるを知らず」
「ザゾーマ様は『私が力をお貸ししましょう』と仰っております」
三幹部は目をギラつかせながら、ソードミナスにぐいぐいと迫る。
「えっ……あの……ちょっと待っ……!」
突然の無茶苦茶な申し出ラッシュに、ソードミナスは狼狽する。
そんな哀れな本人を差し置いて、三幹部の面々は強引にまくし立てた。
「とりあえず当たって砕けろだあ! いっぺん砕けてみりゃいいじゃねえかあ! 超最強日本プロレスのホームページも更新しねえとなあ、ガハハハハ!!!」
「やはり特性を活かすなら、剣でレールガンを撃てるようにしたほうがいいのう。改造がどうしても嫌と言うなら外部ユニットにしてしまおうかい。なぁに、脳に直接配線を繋げばええんじゃ」
「真の芯は死なるを以て、生の静なるを制さんとす。燎原の騎士は灼炎に焼かれ、竜は愚者に頭を垂れる。日月の交わりが如き悠久の円環に王道はなく、詭道もなし」
「ザゾーマ様は『毒も薬もたくさんあるので2、3回死んでも大丈夫です』と仰っています」
三幹部の圧力にさらされたソードミナスは、たまらず近場の少女に助けを求めた。
「たひゅっ、助けてサメっちぃぃぃぃ!!!」
「オジキ……まさか……やる気ッスね……アレを……!」
「おう、そうともよお! ソードミナスの覚悟を無駄にしちゃあいけねえ。善はダッシュで急げってなあ!」
「さすがオジキ、半端ない漢気ッス! サメっちももちろん協力させていただくッスよ!」
「やめっ、やっ……誰か助けてえええええええッッッ!!!!!」
地下深く闇の異形の楽園に、汚れなき乙女の悲鳴が響き渡る。
三幹部たちに引きずられたソードミナスは、深い闇の先へと消えていった。
乾いた涙の跡だけが残っていた。
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