三月、暖かい風が吹く芽吹きの季節。
ヒーローや怪人にとっては、人員や組織が一新される特別なシーズンである。
毎年ヒーロー学校では、三月頭の卒業式と同時に全国各地のチームへの配属が行われる。
新入りにいいところを見せたいヒーローたちは、なんとか二月までに担当の怪人組織を壊滅させようと躍起になるのだ。
だから三月はヒーローおよび怪人の両陣営とも、必然的に入れ替わりが激しくなる。
それを思えば、悪の秘密結社アークドミニオンの新年度は穏やかなものであった。
「えー、今年も無事に春を迎えられたことを祝して、乾杯である!!!」
「「「「「かんぱーい!!」」」」」
サメっちの虫歯騒ぎに端を発するヒノスメラ騒動も一応の収まりをみせ、アークドミニオン秘密基地はいつもの賑わいを取り戻していた。
“決算期到来アークドミニオン今期もお疲れさまでした会”の会場には多くの怪人たちが、今日も今日とて和気あいあいとひしめき合っている。
組織の無事を涙を流しながら喜ぶ犬男。
目にも留まらぬ速さで配膳をするメイドと執事。
怖い顔に似合わず優雅にバイオリンを奏でるカミキリムシ。
しかしなにより目を引いたのが――。
「オラウィーッ! お前たち今のうちに食えるだけ食うオラウィーッ!!」
「ちゃんとタッパーも持ってきたウィッ! ぬかりないウィーッ!」
「がつがつがつ! むしゃむしゃ!! んがっぐぐウィッ!?」
ザコ戦闘員たちの一部がいつもの豪華な料理を前に我を失っていた。
みんなチキンを口いっぱいに頬張りながら、タッパーに唐揚げを詰め込んでいる。
「コラーーーッ!! 貴様らマナーを守れーーーーーッ!!」
「やべっ、ウサニー大佐ちゃんだウィ! みんな散れッ! 散れウィーッ!」
教導軍団長ウサニー大佐ちゃんの一喝により、ザコ戦闘員たちはクモの子を散らすように逃げ出した。
メイドと執事がすぐさま乱れた料理テーブルを整え、30秒もしないうちに次の料理が運ばれてくる。
「なにやってんだアイツら……?」
慌ただしい会場の様子を遠巻きに見つめる澱んだ瞳があった。
ザコ戦闘員たちのいやしさに呆れかえっているのは、極悪軍団を率いる我らがデスグリーン・栗山林太郎である。
「お腹減ってるんッスかねえ?」
林太郎に寄り添うように、青いパーカーの少女が呟く。
牙の並んだ口からは、エビの尻尾がはみ出していた。
それを見て、林太郎は自分の皿からエビフライが一本減っていることに気づく。
「サメっち、俺のエビフライ食べた?」
「……知らないッス。ひゅひゅー、ひゅぅー」
「頬っぺにタルタルソースついてるよ」
「はわっ! しまったッスぅ!」
慌てて逃げ出そうとするサメっちを、林太郎は逃すまいとがっしり捕まえる。
林太郎はサメっちの亜麻色の髪に手を添えると、力いっぱいなで回した。
「悪い子だなあサメっちはァーーーッ!」
「はうううごめんなさいッスぅぅぅ!!」
彼らの姿は傍から見ると、団長と団員というよりも仲睦まじい兄妹のようである。
一時期は随分とへこんでいたサメっちだったが、周囲の大人たちの励ましもあっていつもの元気を取り戻していた。
「おうどうしたサメっちい! つまみ食いかあ!? こいつはいけねえなあ!」
「ほぉん? どうやらわしが開発した“お仕置き用コチョコチョ椅子マーク4”の出番のようじゃな。こいつはすごいんじゃぞ。今回は72時間耐久モード搭載じゃぞ」
「蛹孵りて蒼き翅は銀光に浴する。剣は舞いて翼を喰らい、夜が放つ杭は聖なる騎士の盾を貫く。滅びの淵に堕ちし死の指先が、赤き血潮に触れし折、儚き蝶はまさに幽月の影を屠らん」
「ザゾーマ様は『悪い子は蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにして、テルテル坊主を作ろう』と仰っています」
「ぎゃわわわわーーーんッスぅ!!」
宴会好きな怪人たちは賑やかに夜は更けていく。
“決算期到来アークドミニオン今期もお疲れさまでした会”は深夜まで続いた。
林太郎は怪人かくし芸大会で得意のマジックを披露し、ビンゴ大会で温水洗浄便座(施工付き)をもらった。
「ああ、今日は飲みすぎた……ふふふっ……」
これまで数々の戦いを潜り抜けてきた林太郎は、束の間の平和を満喫していた。
林太郎は先の一件で負った怪我が治りきっていないこともあり、今月いっぱいは静養にあてる腹づもりであった。
怪人としての活動も、しばらくはお休みというやつだ。
耐久消費財に囲まれた自室で、林太郎は安らかな眠りにつく。
それが林太郎にとっての、今月最後の安眠であるとも知らずに。
…………。
翌朝、林太郎は腹の上でびょんびょん跳ねるサメっちによって叩き起こされた。
「アニキっ! アニキィーっ!!」
「ぐえっ、ぐふっ! サメっち、アニキの肋骨はまだくっついてないんだよ……!」
「きんきゅーじたいッスぅ!!!」
林太郎はむくりと起き上がると、寝癖もそのままに眼鏡を探した。
昨夜はずいぶん飲まされたこともあり、まだぼーっとする頭で林太郎は興奮するサメっちをたしなめる。
「いったいどうしたんだいサメっち」
「極悪軍団のお金が無くなっちゃったッス」
「…………はい? なにそれ? 泥棒にでも入られたの?」
寝ぼけた林太郎の頭にクエスチョンマークが浮かぶのと同時に、部屋の扉がバーンと開かれた。
「センパイ、極悪軍団の活動資金が底を尽きました」
開口一番そんなことを口走ったのは、白銀の髪の美少女・黛桐華である。
しかし彼女のスカイブルーの瞳は、刃のように真剣な光を帯びていた。
桐華の背後からパジャマ姿の長身黒髪乙女、剣持湊がひょっこりと顔を出す。
「……おはよう……林太郎……」
林太郎と同じように叩き起こされたのだろう。
湊はかなりの低血圧らしく、見るからにぐったりとしている。
十数分後――。
眠気覚ましのシャワーを浴びた林太郎を待っていたのは、三者三様に落ち着きのない三人の団員であった。
おろおろして部屋の中を歩き回っているサメっち。
両手で頭を抱えたまま微動だにしない桐華。
そして相変わらずパジャマ姿のまま、顔を真っ青にした湊。
「それで、詳しく話を聞かせてもらおうか」
林太郎はひとり掛け用のソファに腰かけると、テーブルを挟んで三人と向かい合った。
口を開いたのは、いつになく険しい顔をした桐華である。
「はい。先ほども申し上げましたが、極悪軍団として活動するための資金がもうありません。いわゆる財政難です」
「待て待て、アークドミニオンの活動資金はタガデンが出してるんじゃないのか?」
「それはそうなんですが、実際に使える資金は軍団ごとに毎月上限が定められています。支出に際限がなくなると軍団のパワーバランスが崩れるとかで」
言われてみれば確かにそれはそうだと、林太郎はひとりで納得する。
タガデンの資金が本当に使い放題ならば、アークドミニオンはとっくの昔に日本を征服しているだろう。
それか奇蟲軍団あたりがここぞとばかりに力をつけて、クーデターでも起こしかねない。
「なるほど、言ってることは理に適ってるな。それはそれとして、俺そんなこと聞いてないんだけど?」
林太郎が三人に視線を送ると、サメっちが露骨に目をそらした。
「……まさかサメっち?」
「サメっち難しいことはわかんないッス……」
「経理は副官の業務だそうです。そしてこれがテキトーにハンコを押された書類の山です」
そう言うと桐華は、テーブルの上に取り出した書類の束をドサドサとひろげた。
見出しにはシンプルに“精算書”とだけ書かれてある。
なんとそれらの書類すべてに、死神のエンブレムを象ったハンコが押されていた。
「今までセンパイはどの軍団にも所属していませんでしたからね。あろうことかそのぶんの精算を一気にやっちゃったせいで、今月と来月の活動資金がいっぺんに蒸発しました」
「さ、サメっちはちゃんとやったッス! ウサニー大佐ちゃんに聞きながらハンコ押したッスぅ!」
「なるほどねえ、間違いなくそれが原因だねえ、あのポンコツウサギめえ」
口調はなるべく穏やかに、しかし林太郎の言葉には隠しきれない怒気が含まれていた。
そもそも子供に経理をやらせるなと林太郎は心の中で毒づく。
むしろそんな調子で百獣軍団の金回りは大丈夫なのだろうかと、逆に心配になるほどだ。
「けれど林太郎がアークドミニオンに来てから、まだ三ヶ月ぐらいだろう? こんな短期間でそんなに無駄遣いをしたのか……?」
湊が訝しそうな顔で、書類の束をぺらぺらとめくる。
そして精算書に記載されている項目を、声に出して読み上げていく。
「えっと人件費に、車の修理代……まあ妥当だな。あと飛び抜けて高いのが……スーツの修繕費用? なんだこれ?」
「わーーーーーーーッ!!!!!」
その瞬間の林太郎の動きは、まさに獲物目掛けて急降下するハヤブサであった。
目にも留まらぬ速さで、湊の手から書類の束が奪い取られる。
林太郎は書類をそっとクローゼットにしまい込むと、んんっと咳ばらいをして三人の軍団員に向き直った。
「いいかみんな、俺たち極悪軍団は今存亡の危機に瀕している。当面は力を合わせて金を稼ごうじゃないか!」
その瞳はいつもに増して澱みきっていた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!