ここはアークドミニオン地下秘密基地のトレーニングルーム。
百獣軍団のメンバー以外はあまり利用しないため、ほとんど彼らの専用空間と化している。
そこではむくつけき獣たちが、さわやかに汗を流していた。
「オラァアア腹筋1000回よく頑張ったあ!! あと100回だあ!!!」
「も……ぎ、ギブ、ニャン……さっきも、あと100回って……」
「つらい、ワン……腹筋、とれちゃう、ワン……」
「ガハハハハ! まだまだ余裕でおしゃべりってかあ!? そら1001ぃい!!」
百獣将軍ベアリオンの掛け声に合わせ、獣たちは悲鳴をあげながら必死に上体を起こす。
倒れた者にはベアリオンの檄が飛び、苛酷なトレーニングから解放されることはない。
だが頑張れと尻を叩かれるだけならば、百獣軍団のトレーニングとしてはまだ生温い部類だ。
「腹筋チームにおくれを取るな! 腕立て1000回もうワンセット始めぇ!!」
「ひぃぃ、もう勘弁してくれよぉ、ウサニーのアネゴぉ……」
「大佐とちゃんを忘れるなこのマヌケッ!!」
ビシイイイイイイン!!!
「アッギャアアアアアア!!!」
ウサニー大佐ちゃん率いる腕立てチームで飛び交うのは叱咤激励ではなく、電撃流れるムチである。
全身に電流を浴びたチーター風の優男は、白目を剥いてぐったりと横になった。
そしてネコミミを生やした戦闘員が、黒焦げになった男を担架で運んでいく。
鬼軍曹ウサニー大佐ちゃんのもとでは、生半可なリタイアは許されない。
やり遂げるか、電撃ビリビリムチかである。
「貴様らは一人前の百獣軍団員か! それともタダ飯食らいの豚か! そらどうした! 爺さんのラジオ体操のほうがまだキレがあるぞ!!」
自身も腕立て伏せをしながら叫ぶウサニー大佐ちゃんの視界に、青くて小さな影が入った。
サメパーカーを着た少女は目が合うやいなや、ぶんぶんと両手を振る。
「ウサニー大佐ちゃーん!」
「むっ? おお、サメっち二等兵ではないか。総員、小休止!」
その言葉と同時に、他の団員たちはドサッと床に倒れ伏した。
小さな来訪者はトテトテと鬼軍曹に駆け寄る。
「おジャマだったッスか?」
「いや、構わない。まだ始めたところだ」
ウサニー大佐ちゃん自身も1000回の腕立て伏せを終えた直後であったが、ぐるんと肩を回すと事もなげに言う。
しかしいつものなんちゃって軍服には、少しばかり汗がにじんでいた。
その様子を見て、ベアリオンの腹筋チームもトレーニングを切り上げる。
「おうサメっちい、ちょっと待ってろよお! ようしお前ら休んでいいぞお!!」
「た、助かったニャンな……! サメっちありがとニャン、腹筋バグるかと思ったニャンな……!」
「苦しいワン……息できないワン……感謝ワン……」
タオルで豪快に汗をふくベアリオンをよそに、団員たちがゾンビのように這いながらサメっちに群がってくる。
屍のような彼らに、サメっちはいい笑顔を向けて親指を立てる。
「お疲れッス。差し入れに食堂で甘ァいものをもらってきたッスよ。サメっちは気の利くいい女ッス」
「「「やったーっ!」」」
サメっちが団員たちに差し出したのは、大きなバウムクーヘンであった。
「いっぱいもらってきたから、エンリョなく食べていいッスよ」
「ありがとニャンな……ンッフ、ンガッフ……口の中がパッサパサニャン……」
「食べにく……ンエッフ……口惜しいワン……」
口内の水分を奪われながらも、団員たちは笑顔でサメっちを歓迎した。
それもそのはず、百獣軍団はサメっちの古巣である。
サメっちが独り立ちするまで面倒を見ていたのは彼ら百獣軍団だ。
彼らにとってサメっちは、可愛い娘や妹のようなものである。
「ガハハハハ! 美味えじゃねえかあ! 食った分トレーニングを増やさねえとなあ!」
「オジキぃ、実はサメっち聞きたいことがあって来たッスよ」
「ああ、なんだあ? なんでも言ってみろお。ガハハハハ!」
ベアリオンはそう言って豪快に笑いながら、みっつめのバウムクーヘンを口に運ぶ。
「“気持ち”ってなんッスかね?」
「ンガッ?!」
思いがけない質問に、ベアリオンはバウムクーヘンを喉に詰まらせた。
ベアリオンだけでなく、ウサニー大佐ちゃんや周りの団員たちもハッと息を呑む。
それもそのはず、これまでサメっちから受けてきた質問といったら――。
『空はどうして青いッスか?』とか。
『地球はどうして丸いッスか?』とか。
『新築の庭にはどうしてタケノコ植えちゃいけないんッスか?』といった、良くも悪くも子供らしい疑問がほとんどだ。
そんなサメっちが突然“気持ち”ときたものだ。
ひょっとすると思春期というやつなのかもしれない。
ならば真剣に向き合ってやるのが、大人の務めというものである。
「いいかあ、よく聞けよおサメっちい」
ベアリオンは改めてサメっちの大きな目を見た。
そして岩のような拳で、ドンと自身の分厚い毛むくじゃらの胸板を叩く。
「“気持ち”ってえのはつまり心……ハートってやつだぜえ! 最後にはハートの強えヤツが生き残る、それが弱肉強食ってもんだあ!」
百獣の王はどや顔で牙を剥き、ニッと笑ってみせた。
しかし――。
「ハートもちょっとサメっち困るッス!」
「えっ、困るってなんだぜえ? オレサマなんか変なこと言ったかあ?」
「もっと具体的に教えてほしいッスぅ!」
「ンググ……そう言われてもなあ」
サメっちに迫られ言葉に詰まるベアリオンであった。
しかし将軍のピンチに、団員たちがすかさず助け舟を出す。
「そりゃハートといったらもちろん、“愛”ニャンよ。……ゴホッ、ウェッホ!」
「愛がほしいワン……切ないワン……ンフッ、ゲホッ!」
猫又怪人ニャンゾ、そして負犬怪人ネガドッグ。
戦闘は不得手だがシノギで軍団の経済面を支える古参の団員たちだ。
ふたりはパッサパサになった喉に水を流し込みながら、どや顔でニッと笑ってみせた。
しかし――。
「ぜんぜんわかんないッス! 愛はお店で買えないからダメッスぅ!」
「ンニャッ! ニャンですと!?」
「愛を……買う……ワン……?」
サメっちの言葉を聞いて、百獣団員たちは言葉を詰まらせた。
そして皆一様に、幼くして怪人覚醒という宿命を背負った少女に目を潤ませる。
「さ、サメっちい、お前え……」
いつもは豪放磊落なベアリオンでさえも、受けた衝撃に口元をおさえた。
サメっちが怪人覚醒し、アークドミニオンに拾われたのはちょうど三年前。
当時まだわずか八歳という若さで負うには、あまりにも重すぎる十字架であった。
家族と離れ離れになった少女は誰よりも家族の“愛”を欲していたのだ。
それこそ金で愛を求めるほどに。
充分に理解していたつもりであったが、改めてその事実を突きつけられ百獣軍団の誰もが涙する。
もちろん“彼女”も例外ではない。
「……サメっち二等兵……いや、サメっち……!」
「はわわッス! ウサニー大佐ちゃん!?」
サメっちの小さな身体が、優しく抱きしめられる。
眼帯の隙間から涙を流すウサミミ軍服女子。
蹴兎怪人ウサニー大佐ちゃんは、百獣軍団時代のサメっちのおもり役であった。
ことあるごとに自分の後ろをついて回ってきた幼女が、今“愛”を金で買おうとしている。
それを思うと、ウサニー大佐ちゃんは胸が張り裂けるような思いがした。
ウサニー大佐ちゃんはサメっちを抱く腕にぎゅっと力を込める。
「どどど、どうしたッスか急に!?」
「……サメっち、わかるか。これが“愛”だ。愛は店で買えるようなものじゃない」
困惑するサメっちに、ウサニー大佐ちゃんは優しく、それでいて力強く語り掛ける。
「立場は変われど、私たちはいつまでもサメっちの家族だ。それをけして忘れるな」
「ウサニー大佐ちゃん……!」
強く抱きしめ、思いの丈をぶつける。
それは鬼軍曹が不意に垣間見せた、不器用な愛情表現であった。
「ウオオオン! サメっちいいい!!」
「サメっちは家族ニャアン!!」
「ワン……!」
感極まったベアリオンや団員たちもそれに続く。
サメっちはひとつとなった百獣軍団の中心にいた。
「いつでも百獣軍団を訪ねてこい! どんなときでも、私たちが全力で抱きしめてやる!」
「ムギュゥゥゥ……苦しいッス……」
…………。
サメっちが百獣軍団から解放され林太郎の部屋に戻ったのは、およそ二時間後のことであった。
「ただいまッス」
「おかえりサメっち、ずいぶん遅かったな。それで、湊が欲しがっているもののことは聞いてきてくれたか?」
「万事おっけーッス。サメっちはちゃんとリサーチしてきたッスよ」
――湊が欲しがっているものを調べる――。
それが林太郎がサメっちに課した任務である。
サメっちはどや顔でニッと笑ってみせると、ミッションコンプリートと言わんばかりに親指を立てた。
「抱いてほしいらしいッス!」
「……マぁジでぇ?」
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