タガラックがそれに気づいたのは、つい数時間前のことだ。
絡繰将軍タガラックはアークドミニオン地下秘密基地の管理を一任されている。
彼女がその立場を悪用し、基地内の盗撮盗聴を行っていることはもはや公然の秘密であった。
いつものようにタガラックが壁一面のモニターを眺めていると、ひとつの画面に目が吸い寄せられる。
「むむっ? あー、これは……いかん、いかんのー……」
流れているのは医務室に併設された薬品保管庫の映像だ。
今やそこはアークドミニオン唯一の医療従事者である、剣持湊の私的な研究室と化している。
室内は薄暗かったが、最新型のカメラは湊の手元をはっきりと映していた。
怪人細胞の試験薬、林太郎の血液サンプル、そして半泣きの湊。
たとえタガラックでなくとも、“それ”がなにを意味するかは理解できたことだろう。
“剣持湊は栗山林太郎が怪人ではないことを知った”
それは同じく林太郎の秘密を知るタガラックにとって、悩みの種がひとつ増えたことを意味していた。
「気になる相手のことは、知らずともよいことまで知りたくなるものよのー。青い、青いのー、甘酸っぱいのー」
おじさんくさい独り言をつぶやきながら、タガラックはさてどうしたものかとモニターを見つめていた。
………………。
…………。
……。
そして今、タガラックは林太郎にカマをかけたわけだが、その反応は予想以上であった。
「みっ、湊の……こと、ですか?」
一見平静を装ってはいたが、林太郎はタガラックの口から出た名前に驚きを隠しきれないでいた。
澱んだ瞳はマグロもかくやというほどの速さで泳ぎ、舌はしきりに唇をなめている。
まるで重大な秘密がバレたというより、浮気の証拠写真でも突きつけられたかのようだ。
「いや、それはその……タガラック将軍、どこでそれを? また覗きですか?」
「その様子じゃと、おぬしまだなにも手を打てておらんようじゃな」
「ぐっ……! ……仰る通りです」
林太郎は苦い顔をしながらも、諦めたように小さく両手をあげた。
タガラックが基地内に目を光らせると称してプライバシーの侵害を繰り返りしていることは、林太郎も把握している。
ならば下手に隠さず、いっそ相談してしまったほうが良いだろうと思い至ったのだ。
湊から抱いてほしいと求愛されたことを。
(タガラック将軍ってのが不安だけど、他に相談できるような人もいないしなあ……。無駄に怪人生経験豊富そうだし、ここはバカにされるの覚悟で頼ってみるか……)
会長室の高級なソファに腰を沈めると、林太郎は足を組み努めて冷静に口を開いた。
「ええまあ、そうなんですよ。ふふ、困ったもんですよまったく」
そう言って林太郎は眼鏡の位置を指先で直し、レンズをキラリと光らせる。
林太郎とてそれなりに、波乱万丈の人生経験を積み重ねてきた猛者である。
たとえ魅力的な肢体を誇る部下から濃密なボディコンタクトを含む“対話”を求められたところで、動揺を悟らせるようなヘマはしないと心得ていた。
「俺としてはね、そうがっつくつもりはないんですよ。あくまでも理性を保って対応するつもりです。ふふ」
だが鼻の下を伸ばし切った面には、あきらかによこしまな下心が見て取れた。
林太郎の邪悪な頭の中は、今や湊のことでいっぱいだ。
長く艶やかな黒髪、涼しげな目元、嗜虐心をあおる濡れた唇、そしてモデルもかくやの長身と、コートや白衣では隠しきれない暴力的なまでの魅力を放つ身体のライン。
彼女に迫られようものなら、健全な男であれば誰でも理性のタガが外れるというものだ。
それは林太郎とて例外ではないという証左が、彼の身振り手振りの端々からにじみ出していた。
「上手くやるつもりですよ。ことを荒立てたりせず、穏便に。そう、穏便に。ときに優しく紳士的に、ときに激しく情熱的にね。ふふ」
「それならよいが、おぬし覚悟はできておるのじゃろうな?」
「覚悟?」
「うむ……おぬしは上に立つ者として、決断を下さねばならんのじゃ」
妙に達観した様子の林太郎に負けじと、タガラックも会長の椅子からなにやら真剣なオーラを放つ。
タガラックとて事が事だけに、今回に限っては軽んじるつもりはない。
そしてたっぷり溜めたあと、鋭い視線を林太郎の顔に向けた。
「こうなってしまった以上、取るべき行動はふたつにひとつしかあるまい。抱き込むか、始末するかじゃ」
「始末ですか!? 抱き込むってのはともかく!? いや、もっとこうやんわり受け流すとかあると思うんですけど……」
「バカたれー! そういう煮え切らん態度はかかわった者すべてを不幸にするんじゃぞ!」
タガラックは声を荒げると、目の前の大きな会長机を叩いた。
他人の色事には嬉々として首を突っ込んでくるであろうタガラックの予想外の剣幕に、林太郎も思わずたじろぐ。
だが林太郎とてのぼせ上っているばかりではない、当然のように反論する。
「かかわるったって、俺と湊のことじゃないですか。いったい誰に迷惑がかかるっていうんです?」
「はいバカ! バカちん! 極バカ怪人! これはもはやおぬしらだけの問題ではない。ことはまさに、アークドミニオンの存亡がかかっておると心得るのじゃ!」
「なんですってーーーッ!?」
幼女にドーンと人差し指をつきつけられ、衝撃で林太郎の顔から眼鏡がずり落ちる。
よもや自分と湊が閨をともにするかどうかの問題が、組織をそれほどまでに危機的な状況に陥れているとは。
「や、やっぱり、将軍とその部下が……というのはマズいってことですかね……?」
今まで散々な風評被害を受けてきたような気もするが、やはりいざそういう親密な関係を持つとなると話が変わってくるのだろうか。
そう思いながら上目遣いに尋ねる林太郎に、タガラックは腕を組んで応える。
「ふむ、難しく考えず受け入れてやるのも将たる者の器じゃ。じゃがなにぶん、わしと部下の間にそういったことは今までなかったからのー」
「その見た目ならそうでしょうね」
うんうんそれはそうだろうと林太郎はうなずく。
聞くところによると、金髪幼女ことくららちゃんボディの設定年齢は十歳らしい。
いったいいつから十歳児なのかは存じ上げないが、今のタガラックに肉体関係を求める部下というのはあまり想像したくないものだ。
「わしってばどこからどう見ても完璧な美少女じゃからのー。だーれもわしの正体に気づかんぐらいハイクオリティじゃもんね! 二の腕の質感とか見てみぃこれ、すごいんじゃぞー」
「俺は誘われても乗らないのでご心配なく」
「は? なに言っとるんじゃおぬしは?」
「んん?」
微かな違和感を覚えたものの、ふたりが致命的なすれ違いに気づくことはなかった。
タガラックはひと通り自分の身体を自慢すると、ハッと我に返りことさら真面目な顔を作る。
そして腕を組んで仁王立ちするやいなや、事態の深刻さに対して妙にうわついてている林太郎を一喝した。
「とにもかくにもじゃ! 林太郎よ、おぬしはもう後戻りできん! いさぎよく腹をくくるのじゃ!」
普段は邪心と我欲にまみれた幼女からここまで喝を入れられて、発奮しないほど林太郎は腑抜けではない。
そのよこしまな眼には、男の決意とちょっぴりの欲望が宿っていた。
「タガラック将軍にそこまで言われちゃあ、俺も引き下がれませんよ。ひとりの男として、湊のすべてを余すことなく受け入れてやろうじゃないですか! それが甲斐性ってもんでしょう!」
「ん? いや、甲斐性はいらんと思うがのう?」
「んん?」
どうにも噛み合わない会話に、林太郎の頭の中で警告ランプが灯る。
しかしここで『どういう意味ですか?』などと尋ね返すのはあまりにも野暮というものだ。
軌道を修正する最後の機会を逃したことに林太郎が気づくのは、少し先のことである。
平素ならばその邪悪な頭脳が、ふたりの間に生じた齟齬を見逃すことはなかっただろう。
だが今日の林太郎の頭の中はいやらしいことでいっぱいであり、検証に割くようなリソースはない。
覚悟を決めたのならば、あとは実行に移すのみである。
「行動を起こすなら早いほうがいい。今夜……いや、今から決行します」
「待て待て待てェい! 今からておぬし、どこで湊と落ち合うつもりじゃ」
「こういうのはシチュエーションが大事だっていうでしょう? 例えば、俺の部屋……は、サメっちがいるから、湊の部屋あたりですかね」
「いかん、いかんぞー! 自室などもってのほかじゃ、どんな横槍が入るかわかったものではないわい!」
林太郎はそれもそうかと得心する。
そして目先の目的にとらわれ大局を見失っていた自分を恥じた。
怪人組織に身を置いているという立場はあれど、お互い自立した男と女である。
ホテル代をケチろうというそこらへんの大学生とはわけが違うのだ。
「そうですね、たしかに。邪魔が入らずふたりきりになれる場所のほうがいい……か」
「秘密基地内は避けたほうが無難じゃろて。うむ、ならば場所についてはわしが用意してやろう。よいか、おぬしはなんとしても湊を連れ出すのじゃ!」
タガラックが真剣にふたりの行く末を心配しているということは、さすがの林太郎にも伝わろうというものだ。
あのタガラックがこれほどまでに、強く己の背中を押してくれている。
頼れる年長者の後押しに、林太郎は不覚にも感動を覚えた。
「ふふ、まったく。お節介な怪人もいたもんだ」
どうせ茶化されるものだとばかり思い込んでいた、数分前のひねくれた自分を穴に埋めてしまいたい。
そんなことを考えながら、タガラックに相談したのは正解だったと不器用に笑みをこぼす。
ならば林太郎は応えねばならない。
タガラックの期待に、そして湊の覚悟に。
「必ずや成し遂げてみせましょう! 男・栗山林太郎の名誉にかけて!」
かくして林太郎は一方通行の地雷原へと足を踏み出した。
すべてが片づいたのちに、タガラックはこう語る。
そのときの林太郎の姿はまるで、翼を付け忘れたまま滑走路を飛び立つ戦闘機のようであったと。
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