極悪怪人デスグリーン

~最凶ヒーロー、悪の組織で大歓迎される~
今井三太郎
今井三太郎

第六十三話「汝、聖域を侵すなかれ」

公開日時: 2020年9月7日(月) 18:03
文字数:4,226

 中野タイムズスクエアと名付けられたそのショッピングモールは、正月二日の人出でごった返していた。

 様々な商店が立ち並ぶ中、林太郎たちはトイレを探していた。


「あったあった。アニキも済ませてくるからさっさと行っておいで」

「アニキぃぃぃ~」

「そんな顔しても一緒には入れないの! アニキがそっちに入っちゃったらちょっとした騒ぎになるからね」


 女子トイレと違い、男子トイレは空いていた。

 林太郎は特に並ぶこともなく、ズボンのジッパーをおろし小便器の前でふぅーと一息つく。


 誰しもこの瞬間は無防備になるものである。

 そう、誰でも――。


 リラックス全開の林太郎の首筋に、ひたりと冷たいものがあてがわれた。

 それは銀色に輝く抜き身のナイフであった。


「“不意打ちを行うならば最適な瞬間を狙え”……少しでも動いたら頸動脈を斬ります」

「マジかよ……」


 それは男子の花園ではまず耳にすることがないであろう、氷のように冷たく透き通った女の声であった。


 なにより林太郎はその声に、嫌というほど聞き覚えがあった。

 振り向くまでもない、林太郎の天敵・黛桐華がそこにいる。


「私は公安です。振り向かずにゆっくりと両手を上げてください」

「いや待って待って……! 今ちょっと手が放せないんだって……」

「そうやって時間を稼ごうったって無駄です! 今すぐにその凶器から手を放しなさいデスグリーン!」


 そう叫ぶや否や、桐華は林太郎の手元でもてあそばれている“凶器”を握りしめた。



 ぎゅむむぅっ!! ギュウウウウウウウウウウッ!!!!



「ヒィヤアアアアアアアアァァァッッッ!!!」



 絹を裂くような林太郎の悲鳴が、平和な正月のショッピングモールに轟いた。

 隣のおじさんたちが唖然と見守る中、林太郎は男子トイレで年下の女の子に生殺与奪の権利を文字通り握られた。


 抵抗する暇すら与えられず便器からグイッと引き剥がされ、“凶器を握られたまま”床に組み伏せられた。

 桐華は太ももを林太郎の腹に乗せてガッチリ動きを封じると、手のひら大の謎の装置を印籠のごとく突き付ける。


「観念しなさい極悪怪人デスグリーン! いくら人間に化けたからといっても私の目は誤魔化せませんよ! この怪人センサーがビヨビヨ鳴っているのが何よりの証拠です!」

「ななな、鳴ってないじゃん!」

「…………あれっ?」


 桐華の顔がみるみるうちに、耳まで真っ赤に染まっていった。




 …………。




 数分後、駆け付けた警備員たちにより、桐華と林太郎は守衛室に連行された。


「いくら公安の方だからってねえ、新年早々ナイフ振り回して誤認逮捕ってのはちょっと……」

「申し訳ありませんでした……」


 桐華は塩をかけられたナメクジのように、シュンと小さくなっていた。

 その隣では26歳の男が、両手で顔を覆ってしくしく泣いていた。


 とはいえ悪の秘密結社に籍を置く林太郎としても、事を大きくして他のヒーローや警官に駆け付けてこられるのは厄介である。

 新年早々心に傷を負った上で、泣き寝入りするしかないのであった。


「もうこんなことしちゃダメだよ!」

「……はい、ご迷惑をおかけいたしました……」


 林太郎がその場で和解を申し入れたことで、ふたりはあっという間に解放された。


「本当に申し訳ございませんでした……」

「い、いいんですよー、そんな気にしなくてもー。それにこうしてすぐ解放していただけたことですしー、やっぱり公安さんは強いなー」


 深々と頭を下げる桐華に対し、林太郎は引きつった笑顔で応えた。

 林太郎としては、一刻も早くこの場を去りたい気持ちでいっぱいである。


「私の知人によく似ていたもので……つい、大事なものまで」

「そのことはお互いに忘れましょうねえー、悪い夢でも見ていたんですよー」


 あまりに衝撃的過ぎて、林太郎自身もう思い出したくない。

 あといくら知人だからって、いきなり握るのはやめたほうがいい。


 それよりも林太郎はさっさと話を切り上げて逃げ出したいのである。


「じゃあ僕はここらへんで失礼しますねー、学業頑張ってくださいねー」

「はい……あ、ちょっと待ってください。ひとつだけお伺いしたいことが」


 この期に及んで、桐華は林太郎に食い下がった。

 林太郎は焦りつつも冷静に状況を分析する。


(ここで走って逃げるべきか? いやそんなことしたら逆に怪しまれるし、桐華相手に逃げ切れる保証もない。ここは話を合わせるべきか……)


 少し考えたのち、林太郎は桐華の問いかけに応じることにした。


「ええ、なんです? 僕にお答えできることであれば何なりと」

「私は公安だと名乗ったはずですが……なぜ今、学業と?」


 空気がカチンと凍りついた。

 林太郎のこめかみを大量の汗が流れ落ちる。


「確かに私はヒーロー学校に在籍し、今は実地研修中の身ですが……なぜアナタはそのことを?」


 いやいやいや、ここで焦ってはいけない。

 黛桐華は一部界隈では有名人である、まだ挽回は可能だ。


「ほら、有名人じゃないですか、黛桐華さんでしょ、ビクトレンジャーの? はは、叙勲とかされてるじゃないですか、ニュースとかでたまに、ねえ? ねえ!?」

「今、ビクトレンジャーと仰いましたか? 私が勝利戦隊ビクトレンジャーに所属するメンバーだということは、まだ一般には公開されていない機密情報です。アナタはそれをどこでそれを知ったのですか?」


 ダメだ! 取り繕おうとすればするほどにボロが出てしまう!

 このままでは芋づる式に正体がバレてしまう!


 林太郎はまるで不倫の証拠を握られた夫のようであった。


 ここで『栗山林太郎です』と正体を明かした場合、今まで他人のふりをしていたことに言及されるのは想像に難くない。

 そうなれば当然、嘘を吐いていた理由を問い詰められジ・エンドである。


 それに今更正義の味方に戻ろうというのはあまりにも虫の良い話だ。

 林太郎は目の前にいる黛桐華に対してのみならず、あまりに悪行を重ねすぎた。


 かといって『デスグリーンです』と名乗り出るのは論外である。

 そんなことをしたら今すぐこの首を刎ね飛ばされる。


 林太郎の邪悪な脳に設置された、言い訳の引き出しが次々と開かれていく。

 あくまでも第三者を貫くための方便、林太郎が行きついたのはあるひとりの人物であった。


「あー、えっと、栗山林太郎は僕の兄なんですよー。あははー、僕は森次郎しんじろうといいますー。内定の話とかほら、兄から色々伺ってたんですよねーあははー、ではそういうことでサヨウナラー」


 林太郎は心の中で、すまない森次郎と呟いた。

 何を隠そう林太郎の弟・栗山森次郎は実在する人物である。


 林太郎もとい森次郎は、じゃあそういうことでと全速力で逃げ出した。


 しかし相手はヒーロー学校50年の歴史を塗り替えた女である。

 すぐに追いつかれてしまいガッシリとその腕を掴まれた。


「あなたがセンパイの言ってた弟さんですね。ちょっとお話詳しく伺ってもよろしいですね」


 拒否権などというものは存在しなかった。




 …………。




 ショッピングモール内の喫茶店で、森次郎くんもとい林太郎はぎこちない笑顔を浮かべていた。

 その対面には白銀の髪をそわそわと揺らし、空色の瞳を爛々と輝かせた美女が座っている。


 強引に連れ込まれ、既に連絡先の交換まで強いられてしまった。

 傍から見ればなんとも羨ましい光景であろうが、当の本人は生きた心地がしない。

 まるで伝説の怪物に生贄として差し出される生娘のようだ。



 嘘を信じ込んでくれたのは幸いだが、そうなってくると当然のことながら今度は別の質問攻めを受ける羽目に陥った。


 林太郎は思い出せる限りの思い出話を、“又聞き”したていで桐華に語って聞かせた。

 そのたびに少女は一喜一憂し、喜びに目を輝かせたり涙を浮かべたりしている。


「はぁ……センパイ……そんなにも私のことを……」


 顔を真っ赤にした桐華は、胸に手をあて少し寂しそうに微笑んだ。

 そんな桐華の仕草を、林太郎は不覚にもちょっと可愛いと思ってしまった。


(少し話しすぎたか……。けど黛ってこんなに表情豊かなヤツだったっけ……?)


 騙していることを思うと、心がチクリと痛む。


「なるほど、ご兄弟はとても仲が良かったんですね」

「ええ、まあ……そうですね」


 林太郎は遠く離れた弟の顔を思い浮かべた。

 仲は良かったというほどでもないが、悪くもなかったように思う。

 そしてこの悪夢はいつまで続くのだろうかと、林太郎はコーヒーに口をつけた。


「森次郎さん! 私と一緒にお兄さんの仇、デスグリーンをブチ殺しましょう!」

「ンッフ!」


 林太郎は思わず鼻からコーヒーを吹き出しかけた。

 いい笑顔でなんということを言い放つのだこの娘は。


「実はもういくつか作戦は考えてあるんです。首都高を落としてその下敷にするってのはどうですか?」

「いやぁ……それは復旧が大変だから、やめたほうがいいんじゃないですかねえ……?」

「じゃあこれなんてどうですか? 潜伏予測地点の上水道に猛毒を……」

「待って待って! そもそもそんなの聞いたところで、僕には何の協力もできないんですよ!? それに言わせてもらっちゃあ悪いけど、あなたがやろうとしてることはただのテロだ!」


 林太郎が制止すると、桐華はまたシュンと肩を落としてうなだれた。


「そう、ですよね……」


 林太郎としては、桐華の極悪非道な作戦が実行に移されないことを祈るばかりである。

 やはり“肉”程度で済ませておくべきではなかったかもしれない。


 いっそ今ここで桐華の飲んでいるコーヒーに下剤でも入れようか。

 林太郎がそう考えながらコーヒーを口に運んだ、そのときであった。


『ご来場中の皆様に迷子のお知らせをいたします。品川区からお越しの鮫島冴夜ちゃんのお兄さん。冴夜ちゃんがお待ちです。1階迷子センターまでお越しください……』

「ンッフ!」


 林太郎はその放送を耳にして再び鼻からコーヒーを吹き出しかけた。

 衝撃展開の応酬のせいで、サメっちのことをすっかり忘れていたのだ。


「どうしました森次郎さん?」

「ごめんなさい! 連れを待たせてるんです! 今日はこれで失礼しますね! お代ここに置いておきますんで!!」

「あっ、待って……!」


 林太郎は追いすがる桐華を尻目に、脱兎の如く喫茶店を後にした。

 残された桐華は仕方なくコーヒーを口にして、ドッと椅子の背もたれに身体を預けた。



「そっか、弟さんか……やっぱり、センパイが生きてるわけないですよね……」



 桐華は今や唯一の形見となった林太郎のネームプレートを見つめながら、静かに目を閉じた。



 上着のポケットで、怪人センサーがビヨッと鳴った。


 これもしょせん試作機かと、桐華は大きなため息をこぼした。



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