所沢ムッチーランドは、日本でも有数の敷地面積を誇るテーマパークである。
ランド内には色とりどりのアトラクションが、まるで宝石のように散りばめられている。
はじめて訪れたゲストは、そのボリュームに圧倒されることだろう。
100万平米という圧倒的な敷地は、当然1日で周り切れるはずもない。
次はいったいどれに乗ろうかと悩むのも、ムッチーランドの楽しみのひとつだ。
「「「ムッチー!」」」
『はーい! 長谷川さん、また柿盗まれたんですか?』
みんなもおいでよ所沢ムッチーランド!
そんなムッチーランドを、両手に花ならぬ美少女たちをはべらせ満喫する男がいた。
栗山林太郎、26歳、15年ぶりの遊園地であった。
「アニキぃ、次はジェットコースター乗るッスよ!」
「センパイ、その次はジェットコースターに乗りましょう」
「君たち、三半規管と資産家の息子はいじめちゃダメだって、学校で先生に教わらなかったの?」
林太郎がそんな軽口を叩いていられたのも、最初の5回目までであった。
12回目のジェットコースターで頭と胃が音を上げた林太郎は、げっそりとした顔でベンチに崩れ落ちた。
「おおお……あったま痛ぇぇぇ……!」
激しすぎるGの変化は三半規管へのダメージのみに留まらず、血圧の急変動をもたらす。
2、3回なら楽しいジェットコースターも、2桁回数となるともはや宇宙飛行士の訓練に相当する。
サメっちと桐華はそんな林太郎をよそに、ケロッとした顔で通算13回目の絶叫マシンに挑みにいくというのだから驚きだ。
「先にギブアップしたほうが負けッスよ!」
「望むところです。では勝った方がセンパイをいただくということで、いいですね?」
「はわっ! 急に負けられなくなったッスぅ!」
「いいかい君たちよく聞いてくれ。人を勝手に景品にしちゃあいけない。アニキとの約束だぞ」
ふたりの少女はわかっているぜと言わんばかりに親指を立てると、意気揚々と駆けて行った。
これが怪人と生身の人間の差なのか、はたまた彼女たちが特別タフなのか。
屍の如く横たわる林太郎は生気なく手を振りながら、その元気ハツラツなふたつの背中を見送った。
林太郎は静かに目を閉じると、1月も終わろうかという真冬のベンチに頬を預ける。
「ああぁ……ひんやりして気持ちいい……このまま寝ちゃいたい……」
「おい林太郎、さすがにそれは風邪をひくと思うぞ」
頭上から聞こえる女の声が、眠りの淵に旅立ちかけた林太郎を寒空の下へと引き戻した。
林太郎が目を開くと、コートの裾が視界に入る。
見上げるとソードミナス・剣持湊が、心配そうな目で林太郎を見下ろしていた。
彼女の手には500ミリペットボトルの水が握られている。
「即席の氷嚢……というわけにはいかないが、こいつをこめかみに当てておけ。冷やせば少しは楽になる」
「ありがとう……んぁぁぁ……気持ちいい……」
「まったく、あんまり無茶するなよ。脳の血管が切れてからじゃ遅いんだからな」
ソードミナスは呆れたように息を吐くと、林太郎の隣に腰かけた。
最近はもっぱらアークドミニオンにおいて、医務室の主と化しているソードミナスである。
具合の悪い患者を放っておけないのは、医師としての性でもあった。
しかし――。
「ああ、悪いなソードミナス。助かるよ……それじゃご厚意に甘えて……」
「はひゅっ!?」
林太郎は差し出された太腿に、躊躇いながらも頭を預けた。
ソードミナスのふとももにノシッとした感触が伝わり、彼女は思わず声を上げる。
不意を突かれたソードミナスは、飛び出しかけた凶刃を押し留めるのに精いっぱいであった。
最近頻度は減ったとはいえ、緊張すると刃物が飛び出す体質は未だ健在である。
「ななななな、林太郎お前なにを……!?」
言うまでもなく、誰がどう見てもそれは膝枕なのであった。
そう、ソードミナスはつい先ほど酸欠に陥り、林太郎に膝枕をしてもらったばかりである。
彼女は気づく、自身の行動がまるごと林太郎のトレースであったと。
林太郎からしてみればお返しを受け取ったにすぎず、誘われたと勘違いするのも無理からぬ話である。
(これではまるで……私が破廉恥にも膝枕に誘ったみたいじゃないか!)
否、これはれっきとした医療行為である。
自分自身にそう言い聞かせ、ソードミナスは冷静に努めようとした。
「りーりりり、林太郎、頭痛はマシになったか? 気分はどうだ?」
「かなり楽になってきたよ……ああ、冷たいの気持ちいい……」
「そうかそうか、それはよかったナァ」
冷静を装ってはいたが、ソードミナスの声は上ずっていた。
閑散としているとはいえ、日本有数のテーマパークだけあって他の客もそれなりにいる。
ランド内を行く家族連れと目が合うたびに微笑み返され、ソードミナスは恥ずかしさのあまり耳まで真っ赤になっていた。
「うう、いまあのふたりが戻ってきたらどうしよう……」
「しばらくは帰ってこないと思うよ。サメっちも楽しんでるみたいだし、ああ見えて黛は面倒見がいいからな。ああしてると仲の良い姉妹みたいだ」
「そういうことじゃないんだけど……」
ソードミナスが抱いているのは羞恥だけではない。
むしろ罪悪感のほうが大きいぐらいであった。
一見して俗人と大差ないこの栗山林太郎だが、その正体は今や関東圏において名声をほしいままにする大怪人・デスグリーンである。
驚くべき勢いで功績を積み重ね、2ヶ月足らずで関東最大の怪人組織『アークドミニオン』の幹部にまで上り詰めた男だ。
サメっちや桐華のみならず、アークドミニオン内部には極悪怪人デスグリーンを慕う女怪人が大勢いる。
ソードミナスは職務柄、彼女たちの相談に乗ることも多い。
しかしそのたびに、彼女自身が林太郎と馴れ馴れしく触れ合うことへの背徳感にさいなまれていった。
大腿から伝わる重みや熱い血の鼓動を感じながら、ソードミナスは“彼女たち”に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
(どうして林太郎は、私なんかに優しくしてくれるんだろう……。戦力にもならない、ただ迷惑なだけの私に……)
膝枕の主が思いのほか黙りこくってしまったので、林太郎は沈黙に耐えかねて口を開いた。
「なぁソードミナス。さっきからプルプル震えてるけど、脚しびれてないか?」
「ふぁい! なんっあ!? 大丈夫だ何も問題はない!」
ソードミナスの肩がビクンと跳ねた。
思わず変な声が出てしまったソードミナスは、慌てて取り繕った。
「そうか? ちょっと疲れてるんじゃないかと思ってな。ソードミナスもさっきまで酸欠でぶっ倒れてたんだから、無理はするなよ」
「ハッ……そうだよな、怖いもんな。私の膝枕なんか、いつ首を斬られるかわからないもんな……」
「いやいや、そんなことないぞ! ソードミナスの膝枕なら毎日してもらいたいぐらいだ!」
林太郎はネガティブスイッチの入ったソードミナスを力強く肯定するが、それが裏目に出た。
ソードミナスは顔を真っ赤にしてたじろいだ。
そのセリフはまさしく『俺のために毎日お味噌汁作ってくれ』的なアレではないか!
「いきなり、なんっ、何を言い出すんだお前はーーーッ!!!」
まさに顔から火が出る勢いであった。
否、彼女の場合は“刃物”が飛び出す。
ヒュバッ!!!
銀のナイフがきらめいたかと思うと、林太郎の顔をかすめた。
ふたりがアッと思ったときにはもう遅い。
こめかみに当てていたペットボトルは盛大にその中身をまき散らし、林太郎の頭とソードミナスの下半身にバッシャと降り注いだ。
「あーっ! ソードミナスがおもらししてるッス!」
「センパイ、そういうのがイイんですか!?」
折悪く戻ってきたサメっちと桐華が、惨状を目にして叫んだ。
さらに彼女たちの叫び声を聞いて、周りの客が遠巻きにざわつき始める。
「うそでしょ……こんなところで……?」
「すげぇ美人になにやらせてんだあの男……」
「ねぇママァー、どうしてあのお兄さんはびしょびしょなの?」
冷たい風に乗って、ヒソヒソ声が林太郎の耳にも届く。
「すまない林太郎……私が我慢できなかったばっかりに……」
「ソードミナス、君はどうしてそういつもいつも人の傷に塩を塗り込むんだい」
林太郎たちを取り囲むギャラリーの目は、1月の北風よりもずっと冷たかった。
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