フレッシュな男たちは走った、それはもう手足が千切れんばかりに。
彼らの背後からは、巨大な黒い太陽がゆっくりと迫る。
「なぜだぁ!? ヒノスメラは水に濡れて力が出せないんじゃなかったのかぁ!?」
「せやから、おおきに言うてるやないの」
ヒーロー本部からもたらされる情報は真贋入り混じってはいるものの。
こと怪人の特性については、職員の生死を分けるということもあり比較的確度が高い。
“ヒノスメラは水に弱く、濡れると力を発揮できない”というのもそのひとつだ。
しかし通気性と吸水性に優れたフレッシュ麻袋にくるまれていたこと。
そしてフレッシュ号の荷台に設置された暖房器具の数々は、ヒノスメラが息を吹き返すには十分すぎるお膳立てであった。
「あわわわわ……! 俺たちはただ自分の仕事をしただけで……!」
「そうだそうだ! それに僕は反対したんだよヒノスメラさん!」
「てめえカリンオレンジ! なにひとりだけ助かろうとしてるんだよ!」
絶体絶命の窮地に追い込まれたフレッシュメンは、ついには醜い仲間割れを始めた。
彼らの姿を冷たい目で見つめながら、ヒノスメラは静かに腕を振り下ろした。
腕の動きに合わせて、黒い太陽が加速する。
「……所詮、これが怪人や。奪い奪われる地獄からは逃れられへん。それが怪人の業なんよ」
ヒノスメラの必殺奥義・人工太陽“むすめふさほせ”の威力は絶大である。
たとえヒーロースーツをまとっていようとも、太陽に匹敵する摂氏六千度の炎はスーツもろとも魂までも焼き尽くすだろう。
しかしヒーローたちの死を目前にしてなお、ヒノスメラにはなんのためらいも良心も湧いては来なかった。
彼女の心を埋め尽くすのは深い失望と、太陽よりもなお猛り狂う無尽蔵の怒りだけだ。
「いやだーーーっ! 助けてぇーーーーーッ!」
「討ち死ぬ覚悟もあらへんのやったら、最初からしゃしゃり出てくんなや!」
あまりにも情けないヒーローたちに向かって、ヒノスメラは叫んだ。
己の命を賭ける覚悟もなく、サメっちの命を自分たちの手柄にしようとしたその愚かさに抑えきれない怒りが爆発する。
怪人としてなにもかもを憎み、恨み、嫌い、悪意の迷宮を彷徨っていたヒノスメラに。
同じ怪人の少女、サメっちはその真っ白な心で光を示してくれた。
嫌いになるのも、好きになるのも、全部自分が決めること。
心の中の黒いものは、全部白く塗り替えてしまえばいい。
それでも黒いところが漏れ出てしまうのならば、拾い集めて白く染め直せばいい。
そう教えてくれた彼女の眼は、あまりにも真っすぐで純粋だった。
きっと世界の誰もが、彼女のように誰かを愛せたならば。
人間も怪人もヒーローも、怒りや恨みなどとは無縁な穏やかな心を胸に抱いて生きられるのだろう。
だが、そうはならなかった。
私利私欲のために力なき者を利用する連中が、この世界には蔓延っている。
「あんたらみたいなヤツがおるから!」
怒りと憎しみと恨みと、苦しみと悲しみと痛みに染まった炎がヒーローたちに迫る。
黒い太陽は、ヒノスメラの爆発的な怒りを象徴するかのようであった。
――暗黒の炎がフレッシュメンを飲み込もうとした。その瞬間。
ギャギャギャギャギャ!!!
一台のスポーツカーが後輪を滑らせながら黒い太陽の前に躍り出る。
そしてほとんど減速しないまま猛スピードで、フレッシュメンの三人を次々とはねた。
「「「わああああああーーーーーッ!!!」」」
フレッシュな男たちは、轢かれた衝撃でピンボールのように弾き飛ばされる。
彼らは橋の欄干を乗り越え、叫び声をあげながら50メートル下の海面へと落ちていった。
黒い太陽が炸裂するのと、スポーツカーからひとりの男が飛び降りたのはほぼ同時であった。
6000度の炎に焼かれ、巻き込まれたスポーツカーはおろか一帯の欄干やアスファルトまでもが真っ赤に溶ける。
「あああ車が! って、おあああ!? マントに火がッ!?」
男は己のマントについた火を消そうと、尻尾を追いかける犬のようにその場でぐるぐると回った。
やっとの思いで鎮火すると、「んんっ」とひとつ咳ばらいをしてヒノスメラと向かい合う。
「獲物を横取りしちゃって悪いね。節操がないもんでさ」
どこかヒーローっぽい毒々しい緑色のスーツに、禍々しい竜を彷彿させるマスク。
いびつに継ぎ接ぎされ、胸で鈍く輝く勝利のVサイン。
少し焦げたマントを彩る、死神を象ったその紋章。
それはアークドミニオン四幹部がひとり、極悪怪人デスグリーンのエンブレムである。
「あんた、サメっちのお兄ちゃん……デスグリーン?」
「ようこそヒノスメラ、覚えていてくれて嬉しいよ。刺されかけた甲斐があったってもんだ」
極悪怪人デスグリーン、栗山林太郎は胸に手をあて仰々しくお辞儀をしてみせた。
彼がまとう空気は、秘密基地や地下鉄のホームでサメっちを介して見た優しいアニキとも、厳しいアニキとも違う。
流れるように他人の神経を逆なでする立ち居振る舞い。
飄々とした言葉とは裏腹に、腹の底に抱えた感情をおくびにも出さない冷淡さ。
なにより一切の容赦なくヒーローたちを50メートルの高さから突き落とした残虐性。
林太郎の堂々とした怪人っぷりは、十年前のヒノスメラならば是が非でも部下に加えようとしたことだろう。
しかしそれ以上に、そもそも林太郎がこの場に現れたことがヒノスメラにとっては驚きであった。
同時に怒りの矛先を失ったヒノスメラは、冷静を装って極悪怪人デスグリーンと対峙する。
「……なんでここに? あんた地下でサメっちに巻かれたはずやろ」
「可愛い妹分のためならばお兄ちゃんは空だって飛べるし、首都高を時速300キロで走ることだってできるんだよ」
ピピッと無線機代わりのデスグリーン変身ギアが、緑色に点滅する。
『こちら斥候ワンだワン。予定通り対象をRポイントまで誘導成功だワン』
『こちら斥候ツーだニャン。目標コンプリートニャンなぁ。誘導追跡任務を終了するニャン!』
「よくやった犬猫コンビ、けどタイミングは最悪だ。こういうときはかっこよくキメさせてくれよ」
『ごめんだニャーン』
漏れ聞こえる通信に、ヒノスメラが目を見開く。
「…………誘、導……?」
「ああでも、サメっちにしてやられたのは想定外だったよ。あそこで詰みのはずだったんだけどねえ。保険で色々手を回しておいたのは正解だな」
「ヒーローに拉致られたのも想定内やって言うんか?」
「いやさすがにそこまでは。でもおかげさまで誘導しやすくて助かったよ。車は逆立ちしたって道の上しか走らないからね」
誘導したと、この男は確かにそう言った。
ヒノスメラは改めて周囲を見渡す。
今いる場所はレインボーブリッジのほぼ中央、東京湾にかかる全長800メートルもの巨大吊り橋の真ん中である。
水に弱い煉獄怪人ヒノスメラを追い詰めるには、確かにこれ以上ない終着点であった。
「あれ、疑ってるわけ? 俺ちゃんと言ったろ? “ようこそ”って」
「あんた、うちを狙ってここまで導いたっていうんか……? アホ言いなや、どこに逃げるかもわからんっちゅーのに」
「ああ、だけどあんたは死地に足を踏み入れた。ヒーローどもに拉致されていようがなかろうが、結果は全て同じだ。戦闘を避けて逃げ回るならいずれは隅田川にかかる橋のどれかか、このレインボーブリッジを通るしかない」
「ハッタリも上手なんやねえ。ほんならなんで、わざわざ銀座からこんな遠回りするなんて予想できるんよ?」
言葉こそ穏やかであったが、ヒノスメラの心中では黒い炎が燻っていた。
今のヒノスメラの心を満たすのは焦りと屈辱である。
どうせすべて偶然だ、口から出まかせに決まっている。
こちらを動揺させるための揺さぶりだ。
「いいやヒノスメラ、あんたはこのレインボーブリッジを選んださ。他の橋は全部落としたからね」
林太郎は悪びれる様子もなく、こともなげにそう言った。
「……は? 全部……?」
林太郎の言葉に偽りはなく、中央区にかかる10本近い渡河橋はひとつ残らず落とされていた。
それどころか首都高もところどころ寸断され、ヒノスメラを乗せたフレッシュ号は結果として大幅な遠回りを強いられることになったのだ。
林太郎の言う通りたとえアクシデントが無かったとしても、この雨の中で正面切っての連戦を避けたいヒノスメラは同じ決断をしただろう。
「言ったでしょうが。お兄ちゃんは可愛い妹分のためならば空も飛べるし、交通インフラを江戸時代まで戻すことも厭わないんだよ」
「く……ふふ……さよか。あんた雨もヒーローも全部計算に入れとったっちゅーわけや……」
「格上相手に手を抜くほど、俺はお人好しじゃないんでね」
目的のためならば手段を選ばず、こと“怪人狩り”に関しては他の追随を許さない。
煉獄怪人ヒノスメラが現役幹部だった十年前、こんな男はヒーローはおろか怪人にだっていやしなかった。
ヒノスメラはサメっちと触れ合う中で薄々感じていた。
自分のような純然たる悪の魂を浄化するのは、きっとサメっちのように純粋で真っ白な心の持ち主なのだと。
だが今は、まったく逆のことを考えている。
「さあ、今度こそ詰みだヒノスメラ。サメっちの身体は返してもらうぞ」
悪を滅ぼすのは善ではない。
より悪辣な悪であると。
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