桐華は人っ子ひとりいない国道で、林太郎の姿をしたデスグリーンと対峙していた。
サングラスに黒のロングコート姿という奇抜な出で立ちの林太郎は、まるで桐華を見下すように下卑た笑みを浮かべる。
「覚悟しろよ黛ぃ、お尻ぺんぺんじゃ済まねえぞー?」
「……よく……気づきましたね」
「そりゃ、あれだけ派手に暴れてくれたらな。どこに拠点を出すかってのは、本来アークドミニオンの上層部しか知らない情報だ。内通者がいると考えるのが道理だろうよ」
林太郎はサングラスを外すと、それを指でくるくるともてあそんだ。
「それがまさか、この“俺”だとは思わなかったけどな」
林太郎はここ数日、行く先々でビクトレンジャーによる襲撃を受けた。
最初は狭山湖、その次は大宮郊外にある極秘の闇診療所。
そしてザゾーマとの会談のため、秘密裏にセッティングした調布の植物園。
これらの場所は他ならぬ、林太郎しか知らない情報である。
更に畳みかけるようなビクトブラックによる各拠点の襲撃。
これらも遊撃部隊として各拠点の援護を任されている林太郎であれば。
否、全軍のバックアップを行うという立場の林太郎以外は、けして知り得ない情報であった。
もちろん林太郎自身は情報の横流しなど行っていない。
ではビクトレンジャーは、いったい林太郎の何から情報を得ていたのか。
林太郎が最初に違和感を覚えたのは、関東制圧大作戦が発令される直前。
暗黒議事堂でタガラックと会話したときのことである。
『林太郎、ゆうべはお楽しみじゃったのう。おぬしがソードミナスと朝チュンしたと話題になっとるぞ。うけけけ……』
『ちょっと待って、なんでそんな噂が広まってるんですか?』
『そりゃークリスマスの朝っぱらにおぬしの部屋から一緒に出てきたら噂も立つじゃろ。しかもお互いに寝不足で、ソードミナスはおぬしの服を着ておったそうではないか。しかも尻をさすっておったらしいのーう。いったいなにをしたのかのーう?』
『そこまで噂が広まってるんですか!? いったいどこから見られてたんだ……油断の隙もありゃしない……』
まるで見ていたかのように正確に言い当てたタガラック。
だがよくよく考えればその日の朝の出来事が、わずか数十分後に上層部の耳にまで届いているというのも不思議な話である。
考えられる可能性はひとつ。
タガラックは林太郎の行動を“見ていた”のである。
そしてその方法について、タガラックには前科がある。
かつてビクトレンジャーを救った大貫元司令官の告発動画。
それを撮影したのは、林太郎の眼鏡のフレームに仕込まれた超小型カメラであった。
ビクトレンジャーはなんらかの手段でそれをハッキングし、襲撃計画を立てていたのだ。
すなわち、林太郎の“目”から全ての情報を得ていたのである。
「だから俺がいるって情報を流せば、こうやって餌に食いついたバカを一本釣りできるってわけだ。いいか黛、敵から与えられた情報を信じるヤツは、秒で足下をすくわれるんだぞ」
余裕たっぷりに講釈を垂れる林太郎に、桐華は食って掛かった。
「そのバカに、あなたは駆逐されるんですよ! 司令部応答せよ、例のバックアップを出動させてください!」
『こちら司令部、了解しました』
自身が仕掛けたハッキングを逆に利用され静かに拳を震わせていた朝霞は、急いで司令用のコンソールに切り替えた。
いざという時のために、もはや数少なくなってしまったが動けるヒーローをバックアップ要員として待機させていた。
というのも、デスグリーンに随伴して多くの怪人がさいたま新都心に集結しているという情報を得ていたからである。
それを一網打尽にすべく、今回の作戦を実行に移したのだ。
ヒーロー本部総力を挙げての大捕り物である。
……だが考えてもみてほしい、その情報源がどこにあったのかを。
神保町のヒーロー本部庁舎。
その一室にあるビクトレンジャー秘密基地から、朝霞は埼玉郊外に控える全部隊への連絡を試みていた。
コンソールに彼らへの出動要請用のコマンドを打ちこむと、エンターキーを叩く。
その瞬間、パソコンの画面にかわいらしい金髪碧眼の少女のイラストが映し出された。
「なっ……!?」
『はろはろー。カワイイわしが見れてラッキーじゃのー、ほほーい』
「なんですかこれは……?」
『わしのサーバーにハッキングを仕掛けるとは、おぬし相当の手練れよのー。まっ、わしのほうが一枚上手じゃったがのー! そいじゃー美少女のわしがタイムリミットをお知らせするぞい。さーん、にー、いーち、ほいや!』
カウントがゼロになるのと同時に、パソコンがボンッと爆発しヒーロー本部庁舎全ての電源が落ちた。
真っ暗な部屋に差し込む外の灯りが、小刻みに揺れる。
ズシン……ズシン……。
地鳴りのような音が徐々に近づいてくる。
朝霞がおそるおそるブラインドの隙間から外を見ると、巨大な丸い瞳と目が合った。
「さ……サメ……?」
「あっ、お姉ちゃぁぁん。さっさと逃げた方がいいッスよぉぉぉ」
東京千代田区神保町のヒーロー本部庁舎は、数えきれないほどの巨大化した怪人に囲まれていた。
虎の子のヒーローチームはみな埼玉郊外に出払っている。
現在本部を守るヒーローはおらず、稼働できるロボもない。
「ガハハハハ! おーいお前ら、ブロック崩しやろーぜえ!」
「では不肖私めが一番槍をつけさせていただきます。フルパワードロップ蹴兎!」
直後、ヒーロー本部庁舎が大きく揺れた。
…………。
「司令室!? 応答せよ! 司令室ッ!!」
『…………』
桐華がいくら呼びかけても、インカムからの返答はない。
突如司令室との連絡が取れなくなったのはけして偶発的なトラブルではないと、桐華は確信した。
「残念だったねえ、ここにいるのは“俺ひとり”だよ。やられた分はちゃんとやり返しておかないとねえ。神保町はそろそろ更地になっているころかな?」
「デスグリーン! 正義の中枢にこんなことをして、ただで済むと思っているんですか!?」
「おおこわ。黛の言う正義ってのは、虫にホウ酸団子食べさせることなんだねえ。ヒーローやめて害虫駆除業者にでもなったらどうだ? あっはっはっは……」
林太郎は笑いながら両手を拡げ、夜空を仰いだ。
桐華は極悪怪人デスグリーンという男を見誤っていた。
そもそも彼は最強のヒーロー・黛桐華ひとりなんかに照準を定めてはいなかったのだ。
桐華本人ではなく、母体であるヒーロー本部を木っ端みじんに打ち砕けば、いくら最強のヒーローとて活動を継続できなくなる。
ヒーロー本部に偽の情報を掴ませ、桐華をはじめとするヒーローを郊外に集結させる。
それによって空になったヒーロー本部を数の暴力で襲撃するという実にシンプルな作戦であった。
「いいか黛、潰しやすい敵から潰すのは兵法の基礎だ。肝に銘じておけ」
「ぐっ……ぐぬぬ……っ!」
桐華はマスクの下で唇を噛んだ。
こんな男に栗山林太郎は敗れ、命まで奪われたのか。
そう考えるほど、己の中にたぎる血を抑えきれなくなる。
「無月一刀流、紫燕!」
桐華が“クロアゲハ”を真横に振るうと、真空の刃がすさまじい速さで林太郎を強襲した。
そして林太郎の身体を真っぷたつに分断した、かに見えた。
斬り裂かれたコートがはらりとアスファルトの上に落ちる。
だがそこに林太郎の姿はない。
カンッという乾いた鉄の足音と共に、緑のスーツを身にまとった人影が歩道橋の欄干に降り立った。
マントをたなびかせ、竜を彷彿させるその異形のマスクが月光を照り返す。
極悪怪人デスグリーンと化した林太郎がそこにいた。
「80点といったところだな黛。そうだ、相手の話にわざわざ乗ってやる必要はない。ちゃんと予習復習してきたようで先生は嬉しいです」
「ほざくな! あなたの首はこの私が頂戴します……!」
桐華はスゥと小さく息を吸い込むと“クロアゲハ”を八相に構え直した。
その真っ黒な刀身は月さえも映さず、ただ鋭く仇敵の首筋を狙い澄ます。
対するデスグリーンも、桐華を見下ろしながら緑色に毒々しく輝く剣“ニンジャポイズンソード”を抜き放つ。
最強のヒーローと最凶の怪人による最終決戦の火蓋が切られようとしていた。
「闇を斬り裂く黒き光、ビクトブラック。正義の名のもとに、我が敵を斬る」
「“平和”を愛する緑の光、デスグリーン。俺の平和のためにくたばれ」
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