林太郎が振り返ると、そこにはまったく同じ顔をした執事とメイドが並んで立っていた。
燕尾服に身を包み、胸に手を当てながら頭を下げるのは執事怪人バトラム。
メイド服の裾を掴んで腰を落とすのは給仕怪人メイディである。
彼女たちは絡繰将軍タガラックに仕えるふたりの側近であった。
見た目は完全に人間である従者たちだが、機械的な所作からは今にもモーター音が聞こえてきそうだ。
「かぼちゃの馬車にしては随分行き届いたサービスだな」
「お褒めに預かり光栄です。ソードミナス様もお連れするよう、タガラック様より承っております」
「あー、それなんだけど。シンデレラは舞踏会に行くのが恥ずかしいらしくてね」
林太郎はそう言うと固く閉ざされた扉に目をやる。
その視線を追うように、バトラムとメイディは上半身を全く動かすことなく首だけを扉に向けた。
「かしこまりました。わたくしどもにお任せください」
ふたりの従者は一糸乱れぬ動作で、同時に扉の前へと歩み出る。
「生体センサーの使用を申請」
「生体センサーの使用を許可」
「反応あり。ターゲットの在宅を確認。開錠を申請」
「開錠を許可」
扉の鍵がひとりでにガチャリと音を立てた。
続けてメイディがドアノブに手をかけ、扉を開こうとする。
しかし――。
「わああ!! 入ってくるなあああッ!!!」
「障害物を検知」
湊もただでやられるわけにはいかない。
へっぴり腰になりながらも、棚や椅子を扉の前にバリケードよろしく積み上げていた。
バトラムとメイディはふたりで顔を見合わせる。
「発破を申請」
「発破を許可」
「おい、ちょっ、待て待て待て待て! 湊ォ! 扉から離れろーーーッ!!」
「「デストロイ砲、ファイア」」
林太郎が止めに入る間もなく、湊の部屋の扉は木っ端微塵に吹き飛ばされた。
従者たちは悪びれもせず、ずかずかと部屋に上がり込んでいく。
湊はベッドの上でシーツに丸まってガクガクブルブルと震えていた。
「「おはようございます」」
「うわァーーーーーン!!!」
ふたりの従者が息ぴったりの動作でシーツを引き剥がすと、湊の身体はヨーヨーのように回転しながらベッドに放り出された。
「おいおい、なにもそんな手荒な……」
部屋の中から聞こえた湊の絶叫に、外で待っていた林太郎が中の様子を覗き込もうとする。
するとバトラムが凄まじい速さで走り寄ってくるなり、林太郎の頭を両手で掴んだ。
「ご覧になってはいけません」
ゴキッ。
そのまま万力のようなパワーで林太郎の首を90度横にひねる。
「ッアーーーイ!! ッアーーーッ!!!」
「申し訳ございません。殿方のお目にかけるべきではないと判断いたしました」
首を押さえながら廊下をのたうち回る林太郎に、バトラムは一礼した。
「ソードミナス様はベッドの上で下着を汚してしまわれたようですので。もう少し詳細にお伝えしましょうか?」
「いや結構、結構だ。……そうかなるほど……なるほどね」
林太郎はその言葉を聞いた瞬間、冷静さを取り戻した。
それこそ首の痛みも忘れるほどに。
邪悪な頭脳がここそとばかりにフル回転する。
いじらしくも“抱いてほしい”などとのたまう美女が。
ベッドの上で下着を汚すようなことをしていたというわけだ。
そこから導き出される答えはただひとつである。
どうりで扉を開けてくれなかったわけであると、林太郎はひとりで勝手に納得した。
「もう我慢できないということだな湊。安心しろ、今日の俺は最後までいくぞ!」
爆発音を耳にした野次馬が群がる中、部屋から閉め出された林太郎はひとりで目を血走らせブツブツと物騒なことを呟いていた。
…………2時間後。
バトラムとメイディによって“お色直し”させられた湊は、流されるがままにリムジンに詰め込まれた。
連れてこられたのは、幕張の海沿いに建てられた超高級ホテルのレストランである。
地上50階、『Salle de danse du vent』――。
“風の踊り場”などという洒落た名前のレストランには、林太郎と湊以外の客はいない。
それどころかこのホテル一棟が丸々貸し切り状態であった。
やはりというべきか、ホテルの従業員は全て絡繰軍団の団員だという。
加えて目の前には、めかしこんだスーツ姿の林太郎が座っていた。
つまり湊にとっては、もうどこにも逃げ場はないということだ。
(さ、ささささ、最期の晩餐だ……)
目の前に並ぶ豪華な料理や高そうなワインの数々を前に、普段の湊ならば委縮してしまうところである。
しかし今は完全に別の理由で委縮していた。
湊は値段や味よりも、この中のどれに毒が入っているかが気になって仕方がない。
「食べないのか?」
「いッ、いただきましゅ!」
林太郎にすすめられ、湊は目を瞑って子羊のローストを口に放り込みワインで一気に流し込んだ。
それと同時に大きく開いたドレスの背中から飛び出した青龍刀が、レストランの椅子の背もたれを刺し貫く。
体質の制御もままならないまま、湊は出された料理を黙々と口に運んだ。
もはやテーブルマナーもへったくれもあったものではないが、林太郎はガッチガチに緊張する湊をフォローする。
「やっぱりこういう店ってなんか、変に気が張るよな。はっ、はははっ……」
「ふーっ、ふーっ、そそそ、そうでふね……」
林太郎とはまるで違った意味で、湊の緊張は呂律が回らないほどのピークに達していた。
とはいったものの、ムーディーな店の雰囲気はその肩の震えさえも愛らしく演出してしまう。
黒のワンピースドレスは、湊の高い背丈と相まってそのスタイルの魅力を存分に引き出し、林太郎の視線を惹きつけて放さない。
スリットから覗く長く健康的な脚は、貸し切りでなければホール中の男を振り向かせていただろう。
地の良さを活かす薄い化粧と、華美に過ぎない控えめなアクセサリーは淑やかな内面性を強調し。
潤んだ瞳はまるで黒いダイヤモンド、濡れた唇から漏れる吐息は地中海を吹き抜ける甘い風のようであった。
ただ林太郎は気づいていないが、テーブルの下には既に果物ナイフの山ができていた。
「…………」
「…………」
こういうとき何を話せばいいのか。
お互いにわからないまま、ふたりの間に沈黙が流れる。
静寂を破ったのは林太郎、正確には林太郎が耳につけたインカムだった。
『こりゃ林太郎、何をのんびりしとるんじゃ! はよう本題に入らんか!』
インカムから聞こえてきたのは、ふたりの様子を別室から見守るタガラックの声である。
秘密を握った部下との交渉というデリケートな問題に際し、的確なアドバイスを送るべく林太郎にインカムを着けさせたのだ。
林太郎は湊に聞こえないよう、声を潜めて返答する。
「……本題に入るったって、なにをどう話しゃいいんですかこの状況で!」
『こういうときはこちらから話すよりも、相手の話を聞いてやるのがよかろう』
言われてみればそうである。
石像のように固まった湊を、まずはリラックスさせてやらねばならない。
そのためにはこちらからアプローチをかけるよりも、相手に語らせるのが正解だ。
「なるほど、さすがは年の功……頼りになる!」
『誰が年の功じゃ!』
積極的にアプローチをかけてきたとはいえ、面と向かっては主張できないのが林太郎もよく知る剣持湊という女である。
ここは笑顔で優しく受け入れる姿勢を見せるべきだろう。
林太郎は湊になるべく安心感を与えるべく、ぎこちない笑顔を繕って語りかけた。
「……なあ湊、この後どうなるかはもちろんわかってると思うけど。その前に、理由を聞いてもいいか?」
ニタァ……と林太郎は口角を吊り上げる。
それはまるで、貴様のことは何でもお見通しだと言わんばかりの悪人じみた笑みであった。
見ようによっては『この期に及んで言い逃れはできないぞ』という紛れもない強迫である。
林太郎にそういった意図がなくとも、湊の目にはそう映ったことだろう。
湊は観念したように唇を震わせながら、かろうじて言葉を紡いだ。
「うぅ、許して……、許してくれ……」
うつむいて目にいっぱいの涙を溜めながら、自分の本心を静かにさらけ出す。
「私は、知りたかっただけなんだ……林太郎のことを、もっと深く……」
それはつまり、林太郎の全てを私に教えてくれという意思表示だと林太郎は真摯に受け止める。
あの気弱な湊が、泣くほど勇気を振り絞って林太郎を求めているのだ。
それも人づての言葉ではなく、湊自身の言葉として。
「……許すも何も、俺の気持ちはもう決まってる」
林太郎は静かに立ち上がると、テーブルを回ってそっと湊の肩を抱く。
湊の身体がビクンと跳ね上がったのがわかった。
ドキドキと高鳴る心臓の音が、手のひらから伝わってくる。
あとは彼女にとびきり甘い言葉をかけてやるだけだ。
「湊。俺は今夜、お前を帰すつもりはない」
林太郎の腕の中で、湊の身体は小刻みに震えていた。
心からあふれんばかりの喜びを抑えきれないようだ。
あるいは狼に頭から食べられる直前の小鹿のようでもある。
あとなんだかどんどん震えが大きくなってきているような気もする。
「実は部屋も取ってあるんだ。……この意味、わかるよな」
「………………ふぁい」
湊は全身をガタガタと震わせながら、首を小さく縦に振った。
肩を抱いている林太郎にはわからないが、湊の頭上からマシンガンの如く射出され続ける小刀たちがレストランの天井に無数の穴をあけていた。
…………。
そんなふたりの様子を、レストランの隅から眺めるふたつの影があった。
「フェーズ28完了。続いてフェーズ34、お部屋の案内に移りま、ス……」
「任務了解。ピーガガ……任務、リョウカイ……」
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