間近になると、フードに半ば隠れた顔もはっきりと見えるようになった。
年の頃は五十を過ぎたあたりか。桑色の前髪と青緑色の瞳を備えていた。放浪僧もそれなりに名前が知られていれば街で歓待される。
それも程度や良識の問題で、親しげにローテを招くこの男が単なる俗物である可能性も十分にあった。
「こんにちは」
ローテの心境を察してか察せずか、彼は口に出して改めて挨拶した。
「こんにちは」
ローテは相変わらず馬上のまま返した。
「お初にお目にかかる。私はヨハン・クリューガー。見ての通り遍歴の放浪僧です」
「これはご丁寧に。ローテ子爵家四男、ハインツです」
あくまで地面に足をつけず、ローテは自己紹介した。
「失礼ながらローテ殿。なにかよからぬものに出会っているようですな」
クリューガーは突然、そして正確に指摘した。
「なんの根拠があってそんなことがわかるのですか」
「まず、馬を止めたでしょう。それからしばらくじっとしていられましたね。つまりなにかを眺めていたわけです」
言葉を区切ったクリューガーは、廃墟の隅に咲くヤブランを意味ありげに見た。
「その花、相当珍しいようですがなぜこの廃墟に」
「魔女が植えたのですよ。いや、この花をご存知かどうか。ヤブランと申しますが、それ自体には罪はありません。魔女の方が勝手に自分の象徴として、いわば縄張りを示すように植えていくのです。私は魔女がそうやって指定した場所を清め直すことに生涯を捧げています」
つい昨日の夕方までにそれを聞いたら、じゃあ私のあずかり知らないところでお願いしますとでも思ったことだろう。
現実には、ローテは既に関わっている状態だった。
「クリューガー殿、清め直すとは具体的にどうするのですか?」
クリューガーは返事の代わりに手で自分が出てきた廃墟の奥を示した。そして無言のままローテを導くように歩き出した。
ローテは馬から降り、手綱を手にとってクリューガーのあとを追った。
壁一枚隔てた向こう側は倒れた石柱や雑草がまばらに散るだけの場所だった。その中に埋もれるようにして、クリューガーのわずかな私物もあった。
クリューガーは自分の鞄を持ち上げて、中から ガラス瓶を出した。中身は空で、瓶そのものは十字架をあしらった小さな模様がびっしりと描かれていた。
「プラハで手に入れた聖水です。あなたが先ほど見たヤブランにもかけてあります。しかし、もう空です。手近な教会に行き、改めて補充しなければなりません」
仮に効果があるなら一刻も早く森なりなんなり自分の周囲から魔女を永遠に遠ざけて欲しい。
そんな悩みを知ってか知らずか、急に空は雲行きが怪しくなってきた。
「話の続きは、よければ私の家でいかがだろう」
ローテはそう持ちかけた。
「あなたが招いてくださるのなら喜んで伺いましょう」
クリューガーは瓶をしまいながら答えた。それを聞きつけたかのようについに天候は崩れた。しかも 雨が降ってきたのではなかった。
「雹だ!」
頭を打った氷の塊を手に、ローテは叫んだ。
「やはり魔女の手がこの地域にも及んでいるようです」
クリューガーの台詞は説明というより宣告だった。
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