バッハに毛布をかけ、ローテは家の周りを丹念に確かめた。
ヤブランがどこにも生えてないとわかり、あとは馬の手入れで時間を潰した。
その内にクリューガーが帰ってきた。心なしか赤い顔をしている。ゲルトがワインでも振る舞ったのだろう。
「お待たせしました」
「クリューガー殿、聖水は入手できましたか?」
返事の代わりにクリューガーは自分の鞄を軽く撫でた。
「なによりです。では、家の中で説明を伺いましょう」
「はい」
屋内では、バッハが花瓶と十字架の残骸をじっと眺めていたところだった。
「あっ、ご主人様、お客様」
「バッハ、具合はもういいのか」
クリューガーを再びテーブルに案内しながらローテは聞いた。
「はい……僕、どうして倒れていたんでしょう」
「それも含めて大事な説明がある。こちらはクリューガー殿だ。お前も席につけ」
平民が騎士と同じ席に着くのは相当異例だが、バッハはむろん喜び勇んだりはしなかった。
いくさに出発するのとはまた別な緊張感がみなぎっているのが顔に出ていた。ともかく、一同は一つのテーブルについた。
「さて。お話の前に、テーブルに散らばっている品々はなんの害もありません。掃除して頂いても結構」
どちらかといえばバッハの気持ちをほぐすための前置きだった。
「本題に入りましょう。先ほどバッハ君に取り憑いていたのは、エリザという名の魔女です。私は何十年も追っています」
エリザ。森で会った……と表現するのも奇妙だが……屋敷の主はエリザ・フォン・ツェニーと名乗った。
「エリザが初めて現れたのはウィーンの周辺でした。ちょうど私は、ウィーンの近くにある小さな町で地区司祭を勤めていたのです」
クリューガーの教会に、懺悔と称してエリザは現れた。真の目的はクリューガーに肉の交わりを迫り、堕落させて家来にすることだった。
しかし、普段から神に我が身を捧げていたクリューガーとしては大した難物ではなかった。十字架をかざすとすぐに消えた。問題はむしろそのあとだった。
「魔女は、失敗の腹いせに町の人々を堕落させていきました。気づいた時にはかなりの犠牲者が出ていて、私がウィーンへ助けを求めてようやく追い払えました。しかし、滅ぼすには至らず、私は敢えて司祭の立場を捨てて魔女を追うことにしたのです」
「それは理解しましたが、次に魔女が現れる場所がわかるのですか?」
いかにもいくさ慣れした騎士らしく、ローテは実務に忠実な質問をした。
「それこそが、ヤブランなのですよ。ヨーロッパにはほとんどない草花です。正確には、ヤブランが生えてから花が咲くまでの間こそ機先を制するチャンスなのです」
「町なら町中を探し回るのですか?」
「いいえ。魔女は再びあなたを狙うでしょう」
クリューガーはローテを真っ直ぐ見据えながら告げた。
「私を!?」
夕べの夢を嫌でも思い出しつつ、顔が引きつらざるを得ない。
「既に思い当たる節がおありでは? 魔女は一度因縁をつけた相手はどこまでも執念深く追い続けますから」
「なら、バッハに取り憑いたのはあくまで私が目当てだったのですか」
「はい。ついでにバッハ君も犠牲にできますし」
さらりとクリューガーは説明し、バッハは思わず十字を切った。
「それで、あなたも特別な体験をなさってらっしゃるなら伺っておかねばなりません」
クリューガーに促され、ローテは夕べ森にある屋敷で起きた出来事を一通り打ち明けた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!