こうなると武装していたことが半ば当然の正解のようでもあり、半ばばかばかしい失策のようでもあった。
いずれにせよ扉は内側から外側に向かってゆっくりと開かれた。明かりが漏れ始め、少し眩しくなってローテは顔をしかめた。
それが収まると、一人の若い女性が時代遅れなドレスを身につけてたっていた。
バッハよりは年上で、ローテよりは若い。華も極めようかという顔だちに、ブルネットの髪は高く結い上げられ、モスグリーンの瞳を飾るまつげは丁寧に手入れされている。
それだけに、ドレスの仕立てはいっそうちぐはぐに思えた。
「今晩は。突然の訪問申し訳ない。我が名はハインツ・フォン・ローテ。ローテ子爵の四男だが、道に迷った。願わくば一晩の宿をお貸し願えまいか、屋敷のご主人にお問い合わせして欲しい」
女性の衣服はともかく、まさか召使いとは思えずローテは丁寧に問いかけをした。
パーティーでも開いているなら、客の出迎えを当主の婦人や令嬢がするのはなくもない。非常に重要なパーティーに限りはしても。
「まあ、それはお困りでしょう。当主は私です。エリザ・フォン・ツェニーと申します。爵位はございません。子爵様のご子息をお迎えできて光栄に存じます。さあ、お入り下さいませ。それと、よろしければ武具と防具を別室にてお預かりしましょうか?」
滑らかにツェニーは応じた。当主の体面を考えると、戦場からの格好そのままはさすがに失礼だろう。
さりながら、丸腰になるのは不安だ。山奥で経営されている旅館が、不用心な客を殺害して身ぐるみ巻き上げるような話も二、三回は聞いている。
「申し訳ないが、このままで。雨露さえ凌げれば望外の幸せにて」
腹は減ってないし、明日の朝を無事に迎えられたらそれで構わなかった。
「かしこまりました。ただ、丁度ささやかな晩餐会を開いております。少しだけでもご臨席頂いて、名誉を添えて下さいませんか」
頼んだはずが頼まれて、ローテは困惑した。それなら、用件の重要さからして最初に打ち明けねばならないだろう。余程気が利かないのか、やはり一物あるのか。
「ご当主自らの願いとあっては喜んで」
「ありがとうございます。それでは、こちらへ」
軽くお辞儀して、ツェニーは回れ右してから背中を向けて歩き始めた。半歩遅れてローテも続いた。
玄関から十数歩の距離になる廊下を歩き、その端に当たる両開きの扉をツェニーが開けると、控え目に品良く抑えたられた蝋燭の輝きと暖炉の炎に照らされた人々が一斉にこちらを向いた。
晩餐会場は屋敷のホールを丸ごと使っており、白いテーブルクロスをかけた長テーブルには七、八人の参加者が背もたれつきの椅子に座っている。
老若男女様々な取り合わせで、さすがに鎧兜姿なのはローテだけだった。もっとも、ベルトに短剣をさしている人間はちらほら見える。結婚式でも短剣を構えてくるのが当たり前な時世なのでそれは良い。
奇妙なのは、ツェニーだけでなく彼らもまた珍妙な感覚の衣服や髪型だった。
ローテは洒落者とは程遠いが、みすぼらしいわけではない。世間並な身だしなみは教育されている。
それとも悪趣味な仮装パーティーだろうか。その癖壁にかかっているタペストリーは随分と重味があった。昔のいくさの一コマを描いているようだが、これだけは見事な技法だ。
「皆様、ハインツ・フォン・ローテ様がお見えになりました。子爵様のご子息だそうです」
戸口でツェニーが告げると、盛大な拍手が上がった。異様な雰囲気は落ち着くどころかますます強くなった。
「さあ、上座へ」
それは長テーブルの長い方の一辺で、当主の席……辺の中央……の隣を意味する。
なるほど、戸口に面と向かう形で席が二つ空いている。余計ないさかいを避けるべく、わざわざ空席にしてあったのだろうか。
「ありがとうございます」
ローテはテーブルを回り込み、指定された席についた。その間にケンプは一度退室し、再び現れた時には手を洗う鉢とタオルを持参してきた。
「さあ、どうぞ」
「ありがとうございます」
鉢がローテの前に置かれた。手を洗ってタオルで拭く内にツェニーはまた席を外し、盆に乗せたコップを携えてきた。
そこでローテは二つの事実に気づいた。この屋敷には召使いがいない。そして、参加者達の前にはコップはあるが料理はない。晩餐会は終わる寸前か、始まる寸前かのどちらかなのだろうか。
「さあ、ワインをどうぞ」
「おもてなしに感謝致します」
ツェニーが手洗い鉢の隣にコップを置いて、盆を戻しにまた出ていった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!