どういうことだろう。博慈院側の人々……渕原、九里、光川の三人……は澄ました顔で野ぶどう茶を飲んでいる。
馬場の発言は全部正しいのか全部間違いなのか、それとも部分的には正しいのか。一応は、例えば美術館を見学してから山に行くというのも不可能ではない。
良く考えると、馬場がいないのは当然としていついなくなったのかまでは赤野は知らない。ポンコツビルなので防犯カメラがなく、ビルそのものの出入りはザル同然だ。
「ユダはイエスが誰なのかを民衆と祭司長に示したのですよね。キスすることで」
銭居が三人にまとめて尋ねた。
「ええ、そうです。三十枚の銀貨と引き換えに」
渕原が答えた。
「じゃあ私が三十万円出しましょう。皆様、どなたでも馬場さんが本当はどこにいるのか早い者勝ちで教えて頂けませんか?」
銭居は平然と人間性の欠片もない提案をした。さすがに三人の手が止まった。
「当院は人をお金で売るようなことは絶対に致しません」
光川院長が、表情を改めて厳しく宣言した。
「それは失礼しました。オーナー、そろそろお暇致しましょう」
銭居はあっさりと引き下がった。
「え? ええ、はい」
余り突然の転換に、うなずくのが精一杯だ。
「お二人とも、魂をわざわざユダと同じ運命にさらしてはなりませんよ」
渕原が静かに忠告した。
「いえ、馬場さんはイエスではありませんし、私達はローマ人ではありませんから。お茶、ご馳走さまでした」
空になった湯飲みを、銭居は軽く押し出した。
「あー……ご馳走さまでした」
赤野もぎこちなく真似をした。
誰も見送る者のないまま、赤野は銭居と共に博慈院を出た。
「いったい、どうしてあんな台詞を述べたんです?」
雨が上がった反面風が強く、赤野は路上に出るなり傘の柄をぎゅっと握りしめた。
「カマをかけただけですよ。馬場さんはあの三つの場所のどこにもいません」
銭居は髪を手で抑えた。
「どうしてそんな事が分かるんですか?」
「最初から私達を撹乱するつもりなんですよ。聞き違いとか勘違いとか、いくらでも言い訳出来ますし。でも目星はたちました」
「目星?」
「九里さんですよ、ドイツ語講師の。三十万円と聞いて一番動揺した表情になりましたから」
あの一瞬でそんなことまで……。赤野は舌を巻く他なかった。
「それで、九里さんをどうするんですか?」
「見張りましょう。その内動き出しますよ」
銭居の言が正しいのかどうか、その時点では赤野は半信半疑だった。
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