その代わりにそのまま消えた。もはや呆然とする他ないハインツの背後で、エリザは彼の首筋に唇が届く寸前のところまで顔を近づけた。
「さ、そろそろ思い出してきたでしょう」
嫌でもそれが頭の中で蘇った。修道院に差し入れられた菓子を食べ、のたうち回る自分。
慌てて飛んできたテルカンプ修道院長。医務室で横になり、苦しむハインツに誰かが囁きかける。
自分の出生の秘密、そして復讐の意図を。そうだ、テルカンプ院長は知っていて黙っていた! 自分の母親も見殺しにした!
ならば目には目を、だ! そうしてなにが悪い! 皆骸骨だ! ……いや、それはいけない。悪魔の誘惑だ。
屈せずただ死を受け入れよう。それでこそ天国で神が迎えて下さる。
「とても面倒な子だったわ、テオドール君は。だからね、テオドール君の良識と優しさを引き離して、残りの部分だけとお話したの」
「やめろ」
「それがハインツ、あなたよ。ちなみに良識はクリューガー様で、優しさはバッハ君ね。今、あなたの心の中で、二人とも消えたわ。これでローテ家はあなたのものよ。さ、お祝いに踊りましょう」
「やめろ! やめろーっ!」
エリザの左手がハインツの左頬を薄く撫でた。ハインツは骸骨にはならなかった。
その代わりに屋敷も父や兄の骸骨も全て消え、エリザと共に森の中にいた。
昨日……いや、昨日かどうか最早疑わしいが……迷い込んだ森の中だ。見覚えのある屋敷もあった。
しかし、それは朽ち果て崩れかかっており、辛うじてハインツが叩いた玄関口のノッカーが原型を保っていた。
エリザはハインツの手を引いて戸口へ歩き、ノッカーを叩いた。すぐにドアが開き、骸骨と化したままのテルカンプが二人を向こう側に招いた。
二人が中に入ると、そこは室内ではなく古い墓地だった。そちこちの墓石の隙間からヤブランが咲いている。
「じゃあ、手を取って下さいな」
「嫌だ!」
「もうあなたの頼みは聞いたでしょう? なら私の頼みも聞かないと。踊るだけだし」
「うるさい! 俺を放っておいてくれ!」
「テオドール、聞き分けが悪いぞ」
テルカンプが諭すようにたしなめた。
「もういい! 許す! 皆許すから元に戻せ! 俺は死んでも構わない!」
どさっ。真っ暗闇の中で、なにか湿った塊が自分の口を塞いだ。
背中もまた、似たような塊を押し当てられている。慌てて払おうとしたものの、両腕はぴくりとも動かない。
逃げ出そうにも足もいうことを聞かない。
また塊が、今度は自分の胸を打った。苦しい。重くて息ができない。
せめて必死にもがこうとする内に、口の中に塊の一部が入った。土だ。吐き出したいが口も動かず、土は喉を塞ぎつつあった。
「兄弟よ、許してくれ。お前の死と引き換えに我が修道院は子爵様から格別のご喜捨を頂戴できる。エリザ様がわざわざ書面にして下さった」
頭上からそんな声がした。
「せめて、母親と同じ場所に葬ろう」
また別な声がする。
「我が子テオドールよ、汝の死は我らの生に結びつき、永遠の安らぎを得る」
これははっきりわかる。テルカンプ院長の声だ。
「最後のひとかけは私がおこないますわ。さようなら、愛しい義理の甥」
エリザの台詞と共に、シャベルから落とされた土が完全にテオドール……即ちハインツの遺体を覆い隠した。
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