バッハはなにをしていたんだろう。 居眠りか。
そんなことを苛立ち混じりに思いながら、ローテは鞍から降りた。手綱を手近な木の枝に巻きつけ、自分の足で少し後戻りしたものの、少なくとも目で見える範囲に荷車はなかった。
舌打ちしたいのを我慢しながら馬に戻り、手綱を解いてまた乗り直した。
気分が一気に重くなった。実のところローテは一回もバッハを叱ったことはない。しかし、居眠りしていたとするなら小言ぐらいではすまない。
いずれにしても荷車は回収しなければならないしバッハの様子も確かめねばならない。つまり、きた道を逆戻りするほかはなかった。
そうしてどれほどか道のりを戻っただろう。いつまでたっても荷車にせよバッハにせよ痕跡さえ現れなかった。
一本道をゆっくり走っていた記憶しかないし、 まるで妖精にいたずらされたような感覚だ。
実りのない捜索を諦め、ローテは馬を止めた。そして初めて自分が道から外れ森の中の獣道にわけ入ってしまったことがわかった。全く意味がわからなかった。
確かに多少のワインは飲んだが、酩酊してはいない。あくまでも自宅を目指してまっすぐに進んでいたはずだ。
では呪いかなにかなのか。ローテは決して信心深い人間とは言わないが、少なくとも聖書や聖職者には敬意を払ってきた。ゲルトのような例外はいるにしても。
その自分を呪いなどが右左できるはずがない。それならなぜ理不尽な状況になっているのか。
せめて現在地だけでもなんとか確かめようと頭上を仰いだり周囲を見回したりした。
鬱蒼と茂る木の群れの中で細い踏み分け道が続くばかり。夜空は何も答えない。一晩泊まろうにも荷車はどこかにいったままである。
野宿はぎりぎりまで避けたかったし、半ば自暴自棄に馬を獣道に沿って進めた。
どのぐらい時間が経ったことか、フクロウさえ沈黙した時、急に木立ちが途切れて一軒の館が目の前に現れた。
窓からは明かりが漏れており、門番こそいないがノッカーのついた頑丈な扉は館の持ち主がなかなかの資産家であることを暗示していた。
これは不幸中の幸いなのか、それとも悪魔の誘いなのか。
やろうと思えば回れ右してきた道を戻っても良いはずだった。それで元に戻れるのなら最初からこんな難儀には出くわしていないだろう。
毒を食らったら皿までという気持ちになり、ローテは馬を下りて館の扉まで歩いた。
ノッカーでドアを叩くと、少し間をおいて足音が聞こえてきた。
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