バッハのくだりでは、バッハ自身が真っ青になりまた気絶しかねなくなった。
「ああ、やはり……。その、テルカンプという騎士もまた魔女の犠牲者でしょう」
「それにしても、どうして私に因縁をつける必要があったのでしょう。実権も金もないのに」
「私にもわかりません。ですが魔女からしてもあなたを襲い、かつ邪魔な私を倒す機会ではあります。そう遅くない内に全てが明らかになるでしょう」
いつの間にか、深い西日が窓の隙間から差し込んでいた。ローテはそろそろ父親の館へおもむかねばならない。
「それではクリューガー殿。家とバッハを頼む」
「かしこまりました。念のために、聖水を小分けしておきましょう。空の瓶はありますか?」
「バッハ」
ローテが名前を呼ぶだけで、すぐにバッハは台所にいき、中身のなくなったワインボトルをもってきた。
大して裕福ではない騎士なので、使ったあとの瓶は洗って再利用しているのである。
クリューガーが礼をいってからワインボトルを受け取り、テーブルの上に置き自ら祝福した。次いで、自分の鞄から聖水を入れた瓶を出し、ワインボトルのコルクを外して中身を少しついだ。
「少なくとも魔女のまやかしを破るくらいには役にたちます」
「心強い。ありがたく頂戴しよう。では、そろそろ」
「ご主人様、馬を出すなら僕が……」
バッハが腰を浮かしかけた。
「いや、そこで待っていろ。余り遅くなるようなら客人に食事を出して、お前も済ませてから寝ていていい」
「……はい」
ローテにもはや迷いはなかった。なにが待ち構えていようが進むだけだ。
引き締まった顔を戸口に向け、家を出てすぐに馬を出した。
日没にはまだ多少の余裕があるものの、自然と馬を急がせ、自宅から町へ、町から父であり領主でもある男の館へとためらいなく駒を進めた。
子爵の館は城というほどのものではないが、一応町を見下ろす小高い丘の上にあり、それなりに砦としての役割を果たすようにはなっていた。
正門の前に立つ二人の守衛に馬上から黄昏色に染まった自分の顔を見せると、二人は恭しくお辞儀しながらなにも聞かずにローテを中へ入れた。
中庭に入り、まず厩にいき馬番に馬を預けてから大股で玄関を目指す。
ノッカーでドアを叩くとすぐに初老の痩せた男がドアを開けて顔を見せた。
先代から仕える執事だ。簡潔に用件を告げると、正門と同様速やかに通してもらえた。
こうして至った大食堂にはローテ家の一同が全員集合し、なおかつ 一人の若い女性もいた。
女性はその一人だけだが、紅一点という以上に予想もし、かつ予想もしてなかった矛盾に溢れた感覚がハインツをたぶらかした。
彼女はまさに昨日の晩会ったエリザ・フォン・ ツェニーそのものであった。時代遅れなドレスまでそっくりそのままだった。
「よくきた我が息子よ。 昨日の戦では神のご加護を得て大いに働き父としても鼻が高い」
マクシミリアンは口を開いてまず労った。
「もったいないお言葉大変かたじけなく存じます、父上」
ハインツは淀みなく答えた。
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