自分のテントに戻ると、出入口の脇ではバッハが粗末な毛布にくるまって眠っていた。特に無礼ではない。休んでいいといったのはローテなのだから。
用があれば起こせばすむし、休める時に休めない人間はどのみち役にたたない。
月明かりに照らされた、あどけない寝顔をほんのしばらく眺めてから、ローテは爪先で軽くバッハの左腕を小突いた。
「うーん……あっ、お帰りなさいませご主人様」
藍色の瞳が、ローテを認めるや否やすぐに輝き出した。
「引き上げるぞ。支度しろ」
「かしこまりました」
テントや食糧は全て荷車に載せ、愛馬に引っ張らせる。梱包はバッハの仕事なので彼にやらせ、ローテ自身はたったまま手近な木に背中を預けつつ腕を組んだ。
嫁。いらん。それですませたらどれほど楽か。ローテにも平凡に女性と付き合いたい願望はある。ただ、独身の方がなにかと自由だ。
もっとも、基本的には親が決めた相手と結婚するのが……特に上流階級では……当たり前ではある。四つ五つで縁組みする家庭もざらにあるから、むしろローテは遅い方だろう。
ちなみにロルフはとうに結婚している。辺境伯の分家筋から迎えたらしいが、毎日頭が上がらないらしい。ゲルトは神に貞操を誓いつつせっせと姦婬に励んでいる。
「ご主人様、準備が終わりました」
そう伝えてきたバッハのいる方に注目すると、愛馬には荷車が繋いであり、畳んだテントやずだ袋が理路整然と荷台に詰められていた。
「ご苦労」
ローテは馬に乗り、バッハは荷物の見張りを兼ねて荷台に上がった。
馬上になると、勝利を祝う酒盛りの歓声が宿営地のあちこちから聞こえてきた。ローテが少々屈折した立場にいるのを騎士達は知っており、わざわざ声をかける者はいない。
手綱で軽く愛馬の首を叩くと、ローテは荷車ごと宿営地を離れ出した。自宅までは、森の縁に沿って伸びる道路をそのまま進めば良かった。
月明かりも申し分ない。ゆっくり進んでも二時間ほどの距離だ。月が明るすぎてかえって星の瞬きは控えめに見えた。
フクロウの鳴き声が断続的に闇をかき回している。せめて家に帰ったら改めてワインでも飲もう。まだ見ぬ嫁とやらは明日の晩まで置いといても特に差し支えはなかろう。
そんなことをつらつら考えながら手綱を握っていたローテだが、どこか急に馬の足が軽くなったような気がした。なにかしら不審なものを感じて振り向くと、荷車がない。
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