気がつくと、ルブルムは神殿の脇で目を覚ました。柔らかく心地よい枕が安眠を支えていたと知る。それは彼女の太腿だった。
今、自分の顔を眺める巫女の黒く長い髪と瞳に吸い込まれそうな気持ちになったところだ。
足元には盾と槍が神殿の壁にたてかけてある。いざとなったら思う存分振るう事も辞さない。もっとも、最近はただの飾りになっていた。
二人を手前にした神殿は、数百年前にローマの大富豪が円形闘技場と共に建てたそうだ。
闘技場は壁しか残っておらず、神殿は一応残っている。ここ数十年の内にローマ人が蛮族と呼ぶ人々の一員、ルブルムらゲルマン人が勢力を伸ばすと共に自然に廃れ、いつの間にかこうなった。
ローマ人が汗水垂らして開墾した入植地も、いまや再び森に飲み込まれかけていた。
いかにも通俗的なローマ人らしく、神殿はローマのパンテオンを模したコリント式で建てられていた。パンテオンというか、コリント式そのものが古代ギリシアの建築様式であるから、今二人がいる神殿は模倣の模倣といえよう。
ゲルマン人に追われ、ローマ人の入植地が放棄されると新たに住み着いたゲルマン人は土着の宗教を好き勝手に持ち出した。
素朴な自然崇拝もあれば、ドルイドもいた。どこかで聞きかじったゾロアスターの真似事をする者もいた。
そして、キュベレーの信奉者も。
「良く寝ていたね」
男とも女ともつかぬ抑揚で巫女は囁いた。良く目をこらすと、かすかに喉仏が見える。昔はもっと目立っていた。
「ああ……変な夢を見ていた」
晩春から初夏に移り変わりつつあるうららかな陽射しを、ルブルムは巫女の黒髪越しに吸い込んだ。
「夢?」
「最初は見たこともない鎧を着て、敵を討ち取った夢だ。そこへ、どこかで目にした魔女が現れてキリスト教の隠者が出てきてもっともらしい話をして……えーと、骸骨と踊りそうになったら毒を盛られた」
「なにそれ? 支離滅裂じゃない」
「どうせ夢は夢さ。もう一つ見たぞ」
「どんな?」
「最初の夢よりもっとひどい。見たこともない、まっすぐで四角い建物が整然と青黒い道路に沿って並び、車輪が四つついた四角い箱がひっきりなしに通る。俺は、その建物の一つを支配していた。力は余り強くなかった。俺の子分で上納金を滞納している奴がいて、そいつを追っていたら魔女がまた……」
「また魔女? 呪いでもかけられたのかな」
「ふんっ。どこかのクソ坊主みたいなことを言うなよ」
最近、熱心なキリスト教徒が一人でこの神殿にきて儀式の邪魔をしたり聖書の一節を大声で叫んだりしていた。
最初は面白がっていた人々も、やがてはうんざりして石を投げたり罵声を飛ばすようになっている。
「ごめんごめん。ふわぁ~あ」
巫女は大きくあくびした。
「はしたないな」
「君に言われたくないね。もっとも、たまには男だった時の癖が出る」
「フェリス……俺の可愛い小鳥。女もいいが、お前の尻の締まり具合は毎晩たまらないな」
「なぁんだ、ルブルムの方がよっぽどはしたないじゃないか」
そう返しながらも、フェリスは背を曲げてルブルムの頬に軽くキスした。
「さて、ぼちぼち行くか」
ルブルムは身体を起こした。フェリスのまとう短めの衣服の裾がはずみで軽くめくれ、かつては男性の象徴があった股間がさらされかけた。
「ちょっと、気をつけてよ」
慌てて裾を直しながらフェリスは軽く怒って見せた。もっとも、満更でもなさそうな笑顔だった。
「悪い悪い。じゃあ、待っててくれ」
「うん」
ルブルムは茶色い腰巻きを締め直し、盾と槍を手にして神殿をあとにした。少しだけ振り向いて、まだ手を振っているフェリスをちらっと見てから森の奥に入る。
二股に別れた道の内、一方を進めばフェリスやルブルム達のいる集落へ行く。もう一方は更に森の奥だ。魔物が潜むと噂があり、集落の人間はほとんど避けて通る。
ルブルムは集落への道を選ばなかった。だからといって魔物に会いたいのでもない。想像上の魔物よりもずっと差し迫った課題を解決せねばならなかった。
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