走って、走って、走って……。
縦横無尽に繰り出される攻撃の数々を避け続けながら、とにかく走り続けた。
「くそ……数が多すぎる!」
足を止めることなく、アイザックに魔弾を装填して後方に放ち、できるだけ敵の足止めをする。
けれどそれも限界に近い。今日生成した魔弾の数からマナ残量を逆算すれば、それも簡単にわかる。
そして、間違ってマナ残量が0を下回るようなヘマをした場合、俺の命はその時点でないものと考えた方が良いだろう。
衛兵オズワルドが念を押していた通り、ここは誰も助けに来ることのできないダンジョン内部なのだから……。
ふと背後から風を切る凄まじい音が鼓膜を襲う。同時になにかがこちらへと急激に迫ってくる気配を覚えたのだ。
反射的に俺はスケートの回転ジャンプの要領で横へと飛び、流れるように着地するとその勢いを切らさず、そのまま走り続ける。
一瞬だけ目に入ったのは、淡く輝きを放つ弧を描いた衝撃波――アニメやゲームの世界ではよく見る遠隔攻撃だった。
そして衝撃波を放ったのは、大鎌を両手で持った緑色の小鬼。そう、ゴブリンだ。
無論、このダンジョンにいる以上ただのゴブリンではない。変異体と言わんばかりに身体から紫色の水晶を生やし、ところどころ皮膚が紫や黒に変色しているのだ。
恐らく、敵がそのゴブリンだけならば、今こうして逃げ続ける必要もなかったかもしれない。
けれど実際には俺の背後に並ぶ敵は、スライム、ゴブリン、コボルトの変異体を初めとした約20体に及ぶ軍勢……俺に勝ち目などあるわけない。
どうしてここまで敵が増えたのか。
原因はどう考えても、スライムが死に際に出すあの笛のような音以外に考えられなかった。
敵に追われつつも魔弾でその数を減らしながら走っていたつもりなのに、減るどころか増える一方じゃないか!
今まではかろうじて猛攻を躱し続けられていたが……俺の体力と対処できる攻撃数に限界が来ていた。むしろ、この瞬間まで全ての攻撃を躱せていたことを褒め称えたいくらいだ。
躱すのは好きだし、得意だ。けれど、この数はいくらなんでも……
「アグ……ッ!?」
ふと脇腹に激痛が走り、俺はなにもない空へと投げ出された。
地と空が何度も回転したのちに、鈍器で叩きつけられたような鈍い衝撃が全身へと広がっていく。
「はぁ、はぁ……当たっちまったかぁっ」
俺の脳裏で2回ほど脆いガラスが叩き割れるような音が鳴り響く。
それが、ライフの割れる音だと認識するまでさほど時間はかからなかった。きっと脇腹を棘で刺されたのが一回、そして受け身を取れず地面に叩きつけられたのが一回だ。
一回被弾しただけなのに2個のライフを同時に失っただと……?
ライフが減るのは致命的なダメージを受けた瞬間、つまり攻撃をしたあとすらも油断できない。
その事実に愕然としつつ、俺は全身を奮い立たせて起き上がると、脇目も振らず逃走を再開する。
死への恐怖、それが再びドロドロとした塊となって俺を押しつぶそうとしてくる。
自分は怖がっている、ゲームとは違うこの死と隣り合わせの状況を。それは紛れもない事実で、人間としての本能だった。
けれどその一方で、こんなに崖っぷちへと追い詰められても、未だに敵の大群との駆け引きを楽しんでいる自分もいた。
生きるか死ぬかという生理的な恐怖すらも自身が奏でる狂想曲の一部でしかない。そんな狂人じみた発想が俺の意識を侵食しつつあるのだ。
ただ合理的に解を導く理性は言う、このままでは確実にここで死ぬと。
俺が生き残るための選択肢は、この先にある転移キューブに触れて元の世界へと逃げ込むことのみであると。
「うらあああああ!!」
くたばりたくなければ。吠えろ、叫べ、わめけ。
その衝動全てを原動力に変え、ただひたすらに避け続けろ。
スライムの突進、ゴブリンの衝撃波、コボルトの斬撃、それらが背後から弾幕のごとく押し寄せてくる。だが俺は深い傷を負ったにもかかわらず、獅子奮迅の回避でキューブのもとへとたどり着いた。
そして変異体であふれるこの世界から……俺の姿は消え失せてしまったのだった。
「はぁ、はぁ……痛てぇ。マジで痛いな、これ……っ」
なんとか異次元から戻ってきた俺は、転移キューブの前に座り込み、思う存分弱音を吐いた。
こう見えて俺は別に意思の強い人間ではない。迷うことも怖がることも十二分にある。たまたまゲームが上手かったからゲームの世界に逃げていただけ、そんな典型的なダメ人間でしかないのだ。
だからこそ俺は不安を感じ始めていた、5回しかダメージを受けることの出来ない自分の頼りなさすぎるステータスに。
「こんなんで本当に大丈夫なのか……俺は」
血がどくどくと流れ出る脇腹をキツく抑え、そこに自分で調合したポーションを直接掛ける。
すると傷口は金色の輝きを放ち始める。清爽な冷たさと包み込まれるような温かさ、それが脇腹を通じて体内へと流れ込んでくるようだ。
気がつくと……そこに先程の生々しい傷跡は完全に消え去っていた。
前世では治癒に数週間はかかるであろう傷も、わずか数秒で治ってしまう。痛いのはほんのわずかというわけだ。
けれど痛いものは痛い、それは当然であり人間の痛感がしっかりと機能している証拠だ。
「まあ、痛いのを5回しか経験しなくていいなら、ライフ5も悪くないだろ」
簡易ステータスで生命力が全開したことと、ライフが3まで削れていることを確認しながら俺はそう呟いた。
この場でいくら泣き叫ぼうが転生してしまった以上、この宿命から逃れることはできない。
ならば現実逃避をするより、この先のことを考えたほうがよっぽど有意義だろう。
「そう言えば……点滅しているな」
見るとキューブがチカチカと赤い光を放っていた。
この現象が初めて起きたのは、確か魂武器にアイザックの名前をつけてあげた時だったはずだ。
となると……今回もそれと同様の件か?
職業『魔法銃師』の【レベル】が1から2に上昇しました。
生命力が31上昇しました。
マナが24上昇しました。
筋力が16上昇しました。
耐久力が16上昇しました。
魔力が21上昇しました。
知識が20上昇しました。
器用が19上昇しました。
感覚が21上昇しました。
敏捷性が16上昇しました。
「レベルが上がったのか!?」
あまり予想していなかった事態に俺は思わず驚きと喜びの入り混じった声を上げてしまった。
確かにレベルを上げる目的でダンジョンを探していたとはいえ、その日のうちにレベルが上がるなんて……そんなことがあり得るのか?
俺は急いでステータスを起動させ、経験値の欄に目を通すと……確かに経験値は新たなものへと更新されていた。
【経験値】 41/3060
今朝見たときはまだ経験値は20前後しかなかったと思われる。それが今日、変異体から逃げている間にここまで上昇していた……。
俺が倒した変異体の数は大体15体程度、そこから計算するとに変異体1体の経験値は約70前後となるだろう。
最近のRPG経験値テーブルが適用されると仮定して、スライムがレベル1で経験値が2の魔物だとすると、変異体は……経験値倍率から予想するに6か7前後だぞ?
そんな世界で……俺は戦っていたのか。
そりゃ、そうなるわな。むしろ、倒せていたほうが不思議なくらいだ。
だがこれは良い収穫だ。命懸けかもしれないがこの変異体のダンジョンで戦うことこそが、経験値を稼ぐ最高効率となるだろう。
本当なら衛兵とかに教えるのがいいのだろうが止めだ。この狩場は誰にも渡さんぞ!
それはそうとだ。俺は少しばかり違和感を覚えていた。
レベルが上ったことで一歩前へ進んだのは間違いない、けれどなぜかその実感が俺にはわかなかった。具体的に身体の芯から強くなった気がしないのだ……。
筋力や知識が上がったはずなのに、なぜか力が強くなったような、頭が良くなったような感覚にはならなかったのだ。
2歳になった時は大きく上がったから感じただけで、レベルアップの時はあまり感じないものなのかもしれない。
ひとまず、そう割り切ることにした俺は静かにほくそ笑んで、ステータスを閉じたのだった。
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