ミラのアトリエでポーション作成の工程を眺め始めてから約1年が経過したある日、俺はいつも通りミラの隣に座ってジィーと薬釜で輝く液体を混ぜ合わせる作業を手の動き一つ見逃さずに観察していた。
この構図……まるで寿司屋の修行みたいだな。毎日の皿洗いの合間に、師匠から握り方を盗んでいき自らの力で覚えていく。そして師匠に根性を認めさせ、改めて握り方を伝授してもらうのだ。
「ねぇ、ゼッタ。この薬草の名前……覚えてる?」
「うん! これはね、チカラノミコト。筋肉を刺激して一時的に力を引き出す薬草だよね?」
「そうそう、流石ゼッタ。偉いわねー」
満面の笑みを浮かべたミラは俺の頭を優しくなでてくれた。
俺の二歳児らしからぬ発言は今に始まったことじゃない。それゆえか既にミラも俺のことを7歳前後の子供のように扱ってくれていた。
見た目にとらわれず、子供と同じ目線に立って語ってくれるお母さん。そんな彼女を俺はお母さんとして、また一人の薬師として尊敬していた。
いつでも俺に優しく接してくれて大切に育ててくれるお母さんとしてのミラ、そして薬草としっかり向き合ってポーションを一から調合する薬師としてのミラ。
そんな2つの側面を持つ彼女だが、そのどちらもが筆舌に尽くしがたい魅力に溢れている。
無論、俺にお母さんへの恋愛感情などさらさらない。一方で、強気で大胆なお父さんことクリフトがミラを好きになった理由はなんとなく分かる気がした。
「……ゼッタは魔法、もう使えたかしら?」
ふとミラは俺の頭から手を離すと含みのあるような笑みを湛えて、問いかけてきた。
魔法が使える、というのはどういう意味だろうか? 魔法を使ったことがあるかという意味ならたしかに答えはイエスだが、魔法を使いこなせているかという意味ならそれはノーだ。
返答に迷った俺は2歳児のふりをして首をかしげる。
その様子に目を丸くしたミラだったが、なかなかどうして俺の意図が伝わったのかわずかに苦笑する。
「ふふっ、質問が悪かったわね。ゼッタ、ちょっとだけおでこ貸してくれないかしら?」
「んー? いいよ」
ミラの考えていることが読めず、俺は警戒心ゼロで彼女におでこを突き出した。
するとミラは右掌にマナを集中させ、そのままそれを俺のおでこに優しく触れたのだった。
ホッカイロを当てられているような温かい感覚。しばしその暖感を味わっていると、ミラの顔色が急に変化した。そして長い溜め息を吐き出すと、静かに俺を見下ろす。
「……やっぱり、天才なのは頭だけじゃないのね」
なにかを悟ったようにつぶやかれた言葉。
それを聞いた瞬間、俺は悟ったのだ。ミラは俺のステータス、あるいはそれに準ずるものを覗き見たのだと。
ということは気づいてしまったのか……? 俺の能力が2歳児のそれとかけ離れているという事実に。
「ママー、一体何をしたの?」
「ゼッタがどれくらい魔法を使えるかを調べたのよ。なるほど……すでにマナが普通の5歳児くらいはあるのね、ということは練習を積み重ねれば――」
独りでぶつぶつと続けたのち、ミラは俺に微笑みかけながら聞いたのだった。
「ゼッタ、ポーション作ってみない?」
おいおい、夢じゃないだろうな。まさか師匠の方からポーション作りに誘われるとは……。
思いもよらぬ展開に俺は口をポカンと開けたまま、その場に突っ立っていたがハッと我に返るとここは2歳児らしく「やりたいやりたーい」と無邪気に答えたのだ。
そしてそれは紛れもない本心だった。
ミラに教えてもらうのは難しいと思っていたから、薬草の名前や特徴を聞いて覚えたり、ミラの作業を凝視して観察していたというのに……。
しかしそれはある意味、理にかなっているのかもしれない。寿司屋の修行と同じだ、ミラが俺には薬師になれる才能があると認めたから彼女は今、その方法を俺に伝授しようとしている。
「よしっ。それじゃあ、ゼッタ。まずすり鉢を持ってきてくれる?」
「はーい!」
こうしてミラのポーション作成講座が開講したのだった。
ミラが言うに薬草からポーション作成するには2つの重要な工程を踏まなければならないそうだ。
1つ目は【抽出】、薬草や木の実から凝縮させたマナ溶液――エッセンスを取り出す工程。
2つ目は【調合】、適度なエッセンスを混ぜ合わせてポーションを作る工程。
この2つの工程を経て、初めて魔法の薬ことポーションが作れるのだ。
そして重要なのが、この【抽出】と【調合】という作業はどちらも魔法の一つだという。
つまり要約すれば、【抽出】と【調合】という魔法が存在するというわけだ。
ちなみに【調合】と似た魔法で【錬金】というのが別に存在するらしいがこれはエッセンスから物質や生物を生み出す魔法らしい。こちらはその道の才能がないと習得することすら難しいという。
「だから……【抽出】と【調合】。この魔法ができるようになると、ポーションが作れるようになるのよ。分かったかしら?」
「うん、わかった」
「よろしいっ。じゃあ、早速やってみようか」
こうして俺はまず【抽出】の作業に挑戦してみることにする。
まず練習として使う下級薬草にして最もメジャーな回復薬草、ホワイトロンを丁寧にすり潰していく。
できる限り粗のない綺麗な粉状へと潰したなら、それを袋に詰めてからエッセンスを絞り出すのだ。
「こう……かな?」
魔法は想像による産物……エッセンスを【抽出】する様を想像するんだ。
頭の中で雑巾でも絞るかのように袋をねじっていく光景を思い浮かべながら、俺は薬草の入った袋を握りしめた。
すると、にぶく輝いた液体が袋から染み出し、一滴ずつゆっくりとたれ始めたのだった。
「すごい! 上手にできてるじゃない!」
ミラは褒めてくれたが、それは飽くまでも最初にしては……だろう。
だって、ミラはもっと輝きに溢れたエッセンスを水を吸ったスポンジを絞るかのごとく抽出していたのだから。
だがこれは正直致し方ないことだ。もっと上手く【抽出】したいならば、それなりの努力を積み重ねなければならないだろう。
そして次に、俺は実際に【調合】してポーションを作る練習をした。
こちらはさっきの【抽出】よりも想像しにくかったせいか、そもそも魔法自体が発動せず、ただただエッセンスが混じり合っただけで終わってしまった。
複数のエッセンスを互いに反応させながらそれぞれが持つ特性を引き出す魔法、それが【調合】である。
そう言われたけれど、その反応を想像することすら俺には難しかった……。化学反応のシーンやはたまたスライムが合体するシーンなど、色々な想像をしてみたが、どうにも成功しなかった。
……やはり魔法スキルを一から習得するのは難しいか。いやむしろ【抽出】が上手くいったこと自体が奇跡なのかもしれない。
実際にポーション作りの練習を終えたあと、魔法スキル一覧を覗いてみたらそこにはさきほどまではなかった【抽出】の文字が浮かび上がっていた。しかし【調合】の文字はどこにもなかったのだ。
「大丈夫、ゼッタは頭が良いから練習すればすぐに出来るようになるわ。だからほら、暗い顔しないの」
「……うん」
ようやくたどり着いたと思ったが……まだ道のりは長そうだった。
ゴール手前でスタートに戻された時の苛立ち、それと似た感覚を覚えつつも俺はため息を吐き出した。
一体何が悪かった、どこが駄目で魔法が使えなかったんだ?
木製ベッドの中、そこで俺は終わりなき自問自答と考察を幾度となく繰り返すことになったのだった。
どうも、井浦光斗です。
1つ難題を解決したと思ったらまた新たな難題が降り注いでくる。ゼッタがそんな状況から抜け出すのはいつになることやら……。それはそうとそろそろダンジョンを解禁しようと思っています。ゼッタにはありとあらゆる手段を使って強くなってもらわなければ――
ではいつも通り、これで締めくくりましょう。
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