【完結】慰霊の旅路~煩悩編~

退会したユーザー ?
退会したユーザー

首切峠(香川・仲多度郡まんのう町)

公開日時: 2022年6月19日(日) 23:16
文字数:9,064

2026年5月6日 水曜日 AM10:00

首切峠の旧道沿いにある首切地蔵の付近に車を停車させるた甲州と斧落は首切地蔵のところまでやってくると、予め立ち寄ってきたスーパーで購入してきた菊の花とペットボトルの水をお供えして手を合わせ終えたところで、首切峠での肝試しライブの様子をニコニコ動画とYouTubeで配信することにした。


甲州が持つカメラを前に進行役を務める斧落が「明るい肝試しの視聴者の皆さんお早うございます!進行役を務める斧落と、撮影の甲州の二人で首切峠にやってきました!本当はここ、一緒にいた饗庭さんやら吉岡さんのリクエストだったんですけどね。でも香川県においては非常にポピュラーな心霊スポットである以上、あえて明るい時間帯で肝試しを行い心霊の検証を行う我々明るい肝試しにとってはここ(=首切峠)を外せられない理由など存在しないという事で、饗庭さんチョイスの首切峠に行ってやろうじゃないか!という事で、撮影に入るまでにまずわたしの背後にあります首切地蔵に先ずはお供えをしてから、実際に旧道を歩いて検証しようじゃないかという事になりました。検証を兼ねているので長時間になると思われますが、最後までお付き合いをして頂けたら嬉しいです。」と話すと甲州が持っているカメラに聞こえやすいトーンで「宜しくお願いします。」と一通りの挨拶を済ませてから、斧落が首切地蔵の説明を行うことにした。


「今わたしたちが足を運んでいる首切地蔵ですが、首切地蔵の説明を行うまでにまずどうして首切峠という怖い地名がつけられたかについて説明します。由来は戦国時代にまで遡り、1579年(天正7年)11月26日に、造田備中守宗俊の守る造田城が長宗我部元親により攻め込まれた造田城は軍勢の差が大きく守り切れず壊滅状態にまで陥り、殆どの家来が討死し、造田備中守は城を守り切れなかった責任を取って城に火をつけ自刃をしてしまったんです。辛うじて生き延びた家来も損傷が激しく苦しみながら死を待っている状態だったため、それを哀れに思いこの地で首を切って楽にしてあげたという逸話から首切峠と呼ばれるようになったそうです。そのような暗い過去があるために、怪異譚も存在します。内容としては、夜な夜な首のない武者の霊が彷徨っている、首のない落武者が憑いて来てしまい睡眠時に”わしの首を知らんか”と耳元で囁かれる、呻き声が聞こえてくるといった噂話や、手足など身体の一部が欠損している幽霊の姿も確認されているそうです。ここにある首切地蔵は哀れな死を遂げた武者の魂を慰めるために1845年(弘化2年)に地元住民達によって建立されました。元々は旧々道の100m程上ったところにあったそうですが、今は旧道に移設されています。今でもわたしたちのほかに、綺麗な菊の花がお供えされているように、ここは定期的に住民たちによって手厚く供養されている場所の一つなんじゃないかなあと思います。わたしたちもお供えをしてから両手を合わせ終えたところなので、先ずはこの首切地蔵のあるこの地点をスタートとして合流地点がある場所まで歩いて検証したいと思います。」


斧落の説明を聞いた甲州はスマートフォンを片手に「造田城跡も調べたらあるけど、辿り着くには標高428.1mの城山に築かれているため、まずは城山の登山口から讃岐変電所の林道から登り、鉄塔2つを越えると土塁の上を進み腰曲輪や石類があるらしい。赤いテープやペグがあって、石や木にも赤で目印が付けられている上に土塁の上を歩いていくような形だから分かりやすいとはあるけどね。ただ行こうと思ったら登山靴とポールが必須みたいだね。わたしたち、そんなものは用意していないから、首切峠だけの散策にしておこうか。」と話すと、斧落は「そもそも首切峠の由来が造田城が落城した際に負傷しながらも生き延びた家来たちがこの地にまでやって来たけどもがき苦しみながら死ぬ時を待っていたような状態だったからその姿を哀れみ首を切ったから調べたんでしょ?わたしたちの目標は、ずばりこの時に死を遂げた武者の幽霊が出るか出ないか、予め見た心霊スポット検索サイトに書きこまれた情報によるとどういう類の幽霊かはわからないけども、首無武者の霊は見なかったが何かしらの不成仏霊がいて、呪いや怨念を引き起こすほどの力こそは強くないが確実に悪いタイプとも。通る人々に対して様子を伺いながら、そっと近づき憑いてくる。それから首切峠を避けるようになり、霊感が強かったり、取り憑かれやすい人は用心したほうが良いというのがあってそれが気になった。」と話すと、甲州は「不成仏霊?首のない落武者の霊がいないとしたら、他に何があるの?」と訊ねると、甲州は「地図の形状から見るとヘアピンカーブになっていてかつ道も狭路と言うほどの狭さじゃん。』と話すと、斧落は「関連性があるかどうかはわからないけども、こんな曲がりくねった見通しの悪い道なのに全速力で走る軽トラやビタ付けをしてくる安い軽自動車が来たりと、地元の人からすると走り慣れれば大したことがない道なのかもしれない。でもそれならば走り屋やローリング族に纏わる話があってもおかしくないのに、ここでは事故が多かったとか、新道が新たに設けられる背景としては走りづらいという住民の声を受けてというのもあったのかもしれないけども、真相は歩いてみないと分からないからね。とりあえず長々とお地蔵様の前で話していないで、時間のことも考えたら、ちゃっちゃと歩いて検証しましょう。駐車場に停めているわけじゃないんだし、必要があれば車を動かさないといけないしね。」と話すと、甲州は「わたしは車のことが心配。何かあったときに車には誰かしら居ないといけないと思うから、メイサちゃん一人だけで申し訳ないけど、配信用のカメラを渡すから一人で行ってきてほしい。」と頼み込まれると、斧落は両腕を組み考えた末に「仕方がないなあ。カメラを持った状態で一人検証してくるから。」といって甲州からカメラを預かると、スタスタと早歩きで首切峠の肝試し検証を行うことにした。


カメラ越しに斧落は「こんな時間だから訪れる人はいないと思うんだけど、心配性すぎるんだよね。むっちゃん。でも確かにこんな山道で待避所も無く、仮にもしここを通る車があったとしたら、わたしたちのようにあえて明るい時間帯に訪れる肝試し目的の人がいたらあそこに車を置き続けるのは邪魔と思われてもおかしくない。」と感じながら歩き進んでいくと、自分一人しかいない心細さから木々が揺らぐ風の音にすら「誰か木々の中に潜んでいるのか?いや風で木々が揺らいだだけならいいけど。でも何か妙な違和感を感じる。噂の武者の幽霊が出る可能性は捨てきれない。」と呟きながらも前へと進んでゆく。


「風が少し、ピタッと止まったかな?風だったのかもしれないし、この地に生息する野生動物だったのかもしれないし、一体何だったんだろう。仮にもし武者の霊だったらわたしでも見えてもおかしくないと思うんだけど、今のところ出てきそうな気配こそは感じるんだけど、それは武者の霊が出てくるとわたしが思い込んでいるからこそ出てきそうだという考えに至っているのかもしれないけど、鬱蒼とした木々がより一層この旧道の気味の悪さを引き立たせてくれている。そんな場所だよね。」


時折思ったことを解説しながらも、早くライブ中継を終わらせたい一心で歩調は段々と速くなっていくと同時に、ふと気になった箇所があれば持っているスマートフォンのカメラで写真撮影を行う。


「書き込みにあった不成仏霊、あれが妙に引っかかるんだよね。見えていないだけでひょっとすると自刃させられた家来の一人かもしれない。霊能者が居たらどうジャッジをしていたのだろうか。こんなときこそ饗庭さんの意見を聞きたいところだけどでもいまは自分なりに歩いてみて思ったこと、感じたことを視聴者の皆さんにお届けしよう。それこそが一番だ!わたしの考えこそが正しいんだ!だから揺ぎ無い信念を最期まで守り通して、何とか首切峠の看板が見えてきた付近にあるという造田城主・備中守宗俊埋葬之地という石碑を目指して歩き続けよう。」


思ったことを呟く回数がやがて減っていくにつれ、次第に斧落は周囲の木々を気にするかのように警戒しながら歩き進んでゆく。


「やはり、何かがいる。さっきから視線を、ジロジロと見られているような気がする。あんな場所で視聴者が待ち構えているなんてことは絶対にありえない。ってことはやはり落城で追い詰められて自刃させられた家来の無念が今もなおこの地に眠り続けているのかもしれない。」


勘づいた斧落は、早歩きだった歩調をゆっくりと歩くことに専念し、さらに辺りをキョロキョロしながら前へと突き進む。


歩き進んでゆくにつれ、再び風による木々の揺らめきと思えるような音が再び聞こえ始めるのだった。しかし今度は明らかに、木々の揺らめきとは違う、ガサガサガサガサと誰かが木々の中を歩いているような音に聞こえたときに、斧落は勇気を振り絞り音が聞こえた方向へと近付いてみるが、そこには何もいなかった。


その瞬間に不安になったのか、斧落は車の中で待機している甲州の携帯を鳴らすことにした。


「あっ、もしもし。むっちゃん。わたしなんだけど、歩き続けて分岐点までにはたどり着けていないんだけど、最初は風が吹いたために木々が揺らいでいる音が聞こえたのかなって思ったんだけど、今更に分岐点の方向へと歩き進んでゆくとこれは木々の揺らめきでも何でもない。誰かが藪の中を歩いている音が聞こえてきた。ガサガサガサガサとね。これは自然現象でも何でもない。わたしの近くに得体のしれぬ誰かがいるってことなんだよ。わたし一人だけでは判別できないから、むっちゃんにも来てほしい。お願い!」


斧落の連絡を受けた甲州は事の重大さが分かったのか、斧落に「わかった。近くまで向かうからそこから先は車に乗った状態で検証を行おう。仮にもしわたしたちのライブ配信をしていることを知って潜んでいる不審者だったら大変なことになる。」と話すとエンジンがかかる音が聞こえ、電話口の向こうでその音を聞いた斧落は安心したのか思わずほっとした表情で甲州が運転する車を待つことにした。


甲州が運転する車を今か今かと車道脇で待ち続ける斧落は益々恐怖との闘いを強いられていた。


「さっきから段々と。ガサガサガサの音のほかに、枝がポキポキポキと折れるような音すら聞こえてきた。これはいや、果たして本当にわたしたちを狙う不審者が近付いているのか。だとしたらこんな簡単にわたしに気付かれぬように物音を立てずに近づくことも出来る筈。なぜ物音を立てながら、わたしにまるでここにいることを気付いてほしいとも、そういうリアクションにしかわたしは感じ取ることが出来ない。」


怖い怖いと感じながらも、背後の木々を振り返ってみることにした。


だがそこには木々が生い茂っているほか、誰かが足を踏み入れたような痕跡は一切見受けられず、斧落は「音で脅かすって一体どういう神経なのか。それすらわからないんだけど、わたしたちに対して一体何を求めているのか。静かにしてほしいのか、これ以上騒がれては困るのか、音だけで一切わたしの前には現れない。どうしでだ?この世に未練があるから、ここにいるよというサインを出している、それだけなのか。いや、それだとしても果たして悪意のある幽霊と言えるものなのだろうか。霊感が強いだけで、その霊の本質にすら掴むことが出来ない。謎ばかりが深まる。」と感じたことを率直に伝え始めたときに、後ろから甲州が運転する車がクラクションを鳴らして斧落がハッと後ろを振り返ると、甲州が運転する車は斧落のいる場所の近くで停車すると、甲州は「明るい時間帯だったから特に肝試し目的で訪れる人なんていなかったんだけど、新しい情報が分かった。とりあえず分岐点まで行って府中造田線で右折して、首切峠と書かれた古い看板を抜けた先に造田大明神ってところがあるから、恐らくそこが造田城主・備中守宗俊埋葬之地とされる場所だからそこまで行って確認したら、首切峠を後にしよう。わたしもじっと車の中で待機していたんだけど、やはり周辺の木々から誰かが覗き込まれている、誰かが潜んでいるようなガサガサガサという足音から木の枝が折れるポキポキポキって音が聞こえ始めて、ちょっとここはやばいんじゃないかって考えになっていたときに、メイサちゃんからの連絡があって、わたしたち同じタイミングで、得体のしれぬ”何か”に接触をしていたことになる。」と恐る恐る自分が一人になった時に体験したことを話すと、斧落は「やはりここには無念の魂が、歩き続けてわかったんだけどここには曲がりくねっていて見通しが悪いからこその事故が多いと思いながら散策してみたけど、ここにはガードレールが内側に湾曲しているとか事故があったような痕跡が一切見受けられない。事故死者の幽霊が出るとか、そういうわけではなさそう。」と話すと、その答えを聞いた甲州は「やはり苦しみながら死を待つ武者の城を守れずに申し訳なかったという残留思念がそうさせているのか。たまたま訪れたわたしたちに対して何か訴えたい思いがあって、ラップ現象を起こしたのかもしれない。ここは一先ず後にして、造田大明神へと向かおう。」と話すと、斧落は「全ての答えに辿り着くかもしれない。行ってみよう。」と話すと助手席に斧落が乗り込んだのを確認してから造田大明神へと出発した。


Googleマップの道案内で示す造田大明神へと辿り着くと、甲州は停車可能な場所で車を停車させてから、二人は徒歩で造田大明神へ向かうことにした。


造田城主・備中守宗俊埋葬之地と書かれた石碑を前に、甲州が改めて石碑に書かれた内容を声を大にして読み上げることにした。


”造田城主

備中守宗俊

埋葬之地

落城之詩

土佐大軍 急襲旌

城内番兵 空抗争

天正七年 桜花節

備中自刃 造田城

一 造田城は、この城山の頂上にありました

二 この峠を首切峠といい、道路の上に、首切地蔵が安置されています

三 戦に敗れて 処刑された場所でしょうか”


甲州が読み上げた内容に斧落が「何だろう?それは一体どういうことを伝えているのかさっぱり。」と首を傾げると、甲州が斧落に「待って!裏にも古い祠がある!見てみようよ、そういえば車の中に首切地蔵でお供えできなかった分の菊の花がまだあったから取りに行ってくる。」と言って一旦その場を離れると、斧落が甲州が指摘した古い石祠の近くへとやってくると、改めてそれが何なのか確認のためにじっと見つめてみることにした。


斧落が思わず「この祠は一体何を祀っているのだろうか。とりあえず、造田城主・備中守宗俊埋葬之地とワードで検索したら出てくるかな?」と呟いた後に、スマートフォンでGoogle検索を行い始めた。斧落がスマートフォンをいじっているうちに、甲州が戻ってくると、甲州が斧落に「菊の花がまだ残っていたし、それに水も。お供えをして追悼の意を捧げてから、次の長崎ノ鼻での肝試しライブ配信が待っているのだから早くそこへ移動しようよ。」と斧落に対して話しかけると、ワード検索で調べた事実に斧落が「ちょっと、信じられないことを知ってしまった。あの石碑に書かれたことを分かりやすく解説したサイトというのがあって、そこで書かれた内容があるから教えるね。」と話すと、そのサイトで記載された内容を読み上げ始めた。


”一 土佐の長宗我部元親の1万2千の大軍が旗を押し立てて急に攻めてきました

二 造田城では羽床城へ出兵していたために、城内には僅かの番兵しかいない状態で敵の放った火矢により城は燃えかけました。戦国の世の習いとして、天守閣に火が付いてしまうと負けという掟がありました

三 時は天正7年(1579年)桜花のときであります

四 造田備中守はもはや之までと城中に火を放ち自害しました

五 家来が主の亡骸を背負い、西分の角内に埋葬したと系図に書いてあります。”


斧落が読み上げると、甲州に対して「ここは心霊の噂以上に怨念やら、憎悪の感情が非常に渦巻いている。そういう場所である可能性が高い。」と話すと、キョトンとした表情で斧落の説明を聞いた甲州は「それって多分、石碑の裏に書かれてあることなんじゃないのかな?」と言うと、改めて石碑の裏に書かれた内容を確認した。


”戦国時代、この地には造田城という城がございました。

天正7年(1579年)長曽我部元親の大軍に攻め入られます。

造田軍は正に”多勢に無勢”の状態でした。

もはや之までと観念した城主の備中守宗俊は、

自ら城に火を放ち自刃したそうです。

その備中守宗俊が埋葬されたのが、この祠があるところのようです。”


改めて斧落が読み上げた内容と、二人で石碑の裏に書かれた内容を改めて理解を示したところで、甲州は「ここで心霊現象を起こしているのは、無念の死を遂げた家臣たちではなかろうか。つまりこういうことだよね。城主である備中守宗俊は自身の命と引き換えに家臣の助命を願っていたのではないだろうか。戦国時代ではよくあることとはいえ、勝てば官軍負ければ賊軍というように情け容赦なしに備中守宗俊の家臣達は、血も涙も無い長曽我部軍に捕らえられた末に、全員首を切られた。だからこの峠は首切峠とも、他のサイトを見ていたらそのような記載があった。そして首切地蔵が落城してすぐではなく266年後の1845年(弘化2年)に建立されたというのも、やはり地蔵を建立し供養しなければいけないことがあったと考えたら、わたしたちでは考えられないほどの、生き残った家臣たちの長曽我部軍に対する憎しみや恨みの感情が相当強くって、それが後々の心霊現象の由来にも繋がったものだと思われる。」と自分なりの見解を話すと、斧落は「そうか。だからそんな年月が経ってからお地蔵様が祀られたのには理由があるってことだよね。だとしたら、今は旧道に移設した首切地蔵があった場所こそが、捕らえられた家臣たちの首を斬首した場所だということになる。そうか、だからラップ現象を起こすことによって、自分たちの存在を主張していたのかもしれない。あれは事故死者でも何でもなく、斬首された家臣たちの無念の魂そのものだったのかもしれない。」と語り始めると、甲州は「血生臭い過去があったからとはいえ、実際に禍が起きるようになってから亡くなった家臣の魂を慰めるために首切地蔵を絶てたのだとしたら遅すぎるよね。歌碑にも刻まれている内容を改めて読むと、最後まで城を守り切れなかった家臣の悔しさ、無念、それがじんじんと伝わってきて、ここは肝試しに訪れるよりも、供養目的に訪れるべき、そんな場所だとわたしは思う。」と率直な意見を語ると、斧落も同調するように「今も無念が遺っているに違いない。急に攻められた上に、何も抵抗することが出来ずに首を斬首されたのだから、憎しみや恨みがあって当然のこと。わたしたちは遊び目的でここに訪れたのじゃないと証明するためにも、むっちゃんが用意した菊の花と水をお供えしてあげよう。御経を読み上げることはできないけども、少しでも亡くなられた方々の心の傷が癒えるようにお祈りしたい。」と話すと、カメラを三脚にセットした状態で二人は祠の前まで近づくと菊の花と水を供えたところで、両手を合わせ黙祷を捧げた。


捧げ終えたところで、甲州がカメラを取りに三脚のところまで戻ってくると、再び斧落が石碑の前までやってきたところで自分なりに感じたことをカメラの前で伝え終えたところで、首切峠での肝試しライブ配信を終了することにした。


車に戻り、助手席に座った斧落が侑斗に結果を報告すると、侑斗は「そうか。やはりそういう場所だったか。」というと、侑斗の思いがけない答えに斧落は「何それ?理由が最初から分かっていたってこと?」と訊ねると、侑斗は「投稿されている写真などを見ていてわかった。心霊写真じゃなくとも、写真には写らない僅かな御霊の存在を確認することが出来た。峠道は山である以上、霊道と化しやすい。そのために、これから昇天されてゆく浮遊霊達の通り道となる傾向があるが、この首切峠は何かあるなと踏んでいたんだ。浮遊霊は浮遊霊でも、何だろう、顔の表情から見て、この世の中に対する強い憎しみや恨みを全面的にぶつけてくる傾向が強いなと思った。だから心霊スポットで掲載されてあるあの情報は嘘偽りなく間違いのない情報ではあるが真実はもっと闇が根深いはずだと思っていた。ライブ配信も見たけど、間違いなく家臣の霊と見て良いだろう。騒ぎに来た怒りよりも、供養に来たことに対して俺は甲州さんと斧落さんに対して感謝の言葉を伝えたくて、存在意義を主張したくって近くにいることをアピールしたかったに過ぎないんじゃないかなと思った。だから騒ぎ立てに来たと思われてお二人に憑いてきたとかそういうことじゃなく、家臣の御霊にはちゃんと理性があって行動が出来るのだから、家臣たちは家臣たちで改めて供養に訪れたことに感謝を伝えたかった、それだけかもしれない。」と説明すると、侑斗の説明を聞いた斧落とスピーカー越しに解説を聞いた甲州は安心して安堵の表情を見せると甲州は「供養に来てくれたという事が、家臣の霊達にとって思いもしなかったことだったから御礼を言いたかったってわけか。だったら姿を見せてほしかったなあ。」と口にすると侑斗は「この世の中、見えないほうが幸せだと感じる御霊もいる。姿を見せぬことでお二人に与えるショックを和らげたかった、家臣の御霊達の思いやりもあったはず。見えぬほうが良かったんだよ。」と納得させるように話すと、侑斗なりの解釈を聞いた斧落は「わたしたちは肝試し目的で来たのだから心霊映像の一つは撮っておきたかった、じゃないとラップ現象だけではやらせでしょとも思われかねないしなあ。収穫は出来たとしても良い収穫ではないなあ、バッティングだけは免れた。それだけが救いかな。」と話すと、侑斗は「また困ったことがあったら連絡して。」と話しかけると、甲州は「わかった。本当にどうしようもなく答えに迷ったときは相談するね。」といって侑斗との電話を切った。


そして時間が13時を回ったところで、甲州と斧落は次の目的地である長崎ノ鼻へと向け出発することにしたのだった。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート