【完結】慰霊の旅路~煩悩編~

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関ケ原古戦場跡(岐阜・不破郡関ケ原町)

公開日時: 2022年7月18日(月) 17:35
文字数:8,886

2026年6月13日(土) PM20:00過ぎ

ゴールデンウィーク期間中の5月6日に行った林田港での肝試しライブ配信の再生回数が好調だったということもあり更なる再生回数を伸ばしたい明るい肝試しの一同は高ルーメンの懐中電灯を持参することを前提とした本格的な肝試しライブ配信と題した夜の撮影を行うことに方向転換するのだった。


時間が21時を回ったのをスマホの時計で確認してからYouTubeとニコニコ動画でのライブ配信を始めると、進行役の油井が「明るい肝試しと今まで活動してきましたが林田港と、あとそれから浦戸大橋で明るくない時間帯で撮影を行い本当に心霊映像が撮れてしまったことを機に我々の明るい時間帯に心霊検証を行うという活動の意義がそろそろ問われそうなので名前を変えようかという話になり、メンバーと相談した結果ですが今まで明るい肝試しというグループで活動してこれだけ多くの視聴者の方々に支援をして頂いたということもあるので、名称は変えずに活動時間だけを変えます。そのほうがお化けが非常に活発的に活動する時間帯でもありますので、あとは我々が安全面を考慮しながら撮影に取り組むということだけです。そして今回、我々が訪れる場所については、怪談蒐集家の村田に解説してもらいましょうか。」と言って切り出すと、村田が「明るい肝試しを御覧の皆さん、こんばんわ!怪談ではなくて怪異蒐集家の村田です。今回我々が訪れているのはですね、日本史で必ずと言ってもいいぐらいに皆さんが学んだと思います、関ケ原の戦いが行われた関ケ原古戦場跡という岐阜県の実は隠れた心霊スポットの一つなんです。激戦地でもあったために武者の霊が出るという話はあまりにも有名で、ガシャリガシャリと鎧の音が聞こえる、何人もの騒めく音や雄叫びのような声が聞こえてくる、霊感の強い人は足を踏み入れただけでも体調が悪くなると言った話があるところです。そこで今回は果たして武者の霊達と我々は遭遇することが出来るか心霊調査に入りたいと思います!」と言って締めくくると、一同は”史跡 関ケ原古戦場跡 決戦地”と書かれた石柱をバックにまずは写真撮影をしてから辺りを散策してみることにした。


予め調べてきた情報をもとに油井が村田に「関ケ原の戦いって改めてググってみたんだけどさ、1600年(慶長5年)の安土桃山時代に起きたとあるけど、いったい何年前だって思っているんだよ!?426年前だよ!!そんな今も鎧武者の霊が果たして出てくるかどうかとなると怪しいところなんだけどなあ。」と笑いながら首を傾げ始めると、村田は「石田三成の西軍と徳川家康の東軍の戦いでもあり、歴史の教科書には掲載はされていないが実は多数の裏切りがあったとも、詳しく語るほどの知識はないけれども資料を見れば見るほどこの関ケ原の戦いというのは奥が深い。だから、これだけ多くの有名な武将が大勢の軍を連れてやって来ているのにたった1日で蹴りがついてしまう。日本で最大の合戦であり、同時になるべく犠牲者を出さぬためにも早々と決着をつけたいという家康の策略があったのかもしれない。そこで今回は、笹尾山に残る石田三成の陣地跡などの心霊検証を行いたい。過去に投稿された動画では、恐らく蒲生郷舎陣跡から島左近陣跡、笹尾山・馬防柵、笹尾山・石田三成陣地跡に向かうまでに雄叫びのような声や霊感の強い人はここでポニーを見たとか、甲冑を身に纏った武者がいたとか、訪れた人が少ないのでこういう情報ぐらいしかあがってきていないんだけども、出てくるのは間違いない。」と自信満々に語ると、村田なりの見解を聞いた甲州は「誰も訪れない場所だからこそ現れることを信じて歩きましょう。有名な心霊スポットではない分、幽霊達も何事かとばかりに出てくる可能性だってある。バッティングする可能性は低いと思う。それに梅雨が明けていないとはいえ雨が降っていないときのこのジメジメと来る暑さ、ここに訪れると不思議とヒンヤリとするのは何故だろう・・・?駐車場に来るまでは皆で蒸し暑いねって団扇で仰いだり、USBの扇風機を使って涼んでいたのにここにきてから一気にだよ?これって心霊現象の一つにあがってはいないけどもやはりここには何かがあるってことだよね?」と訊ねると、甲州の意見を聞いた油井が「それは俺も思った。駐車場からここの決戦地に訪れたときに明らかに空気が変わった。これはおかしいってね。だってさっきまで暑いって言っていたのに、ここに来てから一気に空気の温度が変わるわけがない。」と話した後にベンチが設置されている場所などを念入りに油井が霊視を開始した。


隈なくじっくりと見回したところで油井が声をかけた。


「害こそは無いと思われるが、ここには無数の甲冑を着た鎧武者の霊を確認することが出来た。恐らくだがここで戦い散った方達であろうと思われる。同時に乗っていたであろうポニーの姿もまるで主に寄り添うかのようにそこにいた。ここは鎧武者の霊のみならず動物霊もいることがわかった。」


油井が導き出した答えに最初に疑問に思ったのが畑だった。


「ポニーに乗った鎧武者の霊が出てきたってことだろ?それが害はないって一体どんな根拠で?夜のこんな時間、普通なら寝ている時間帯なのに俺達がこの時間帯に訪れたことこそが当時の人たちからすると非常識とも捉えかねないこの時間帯で害を及ぼさないって言える理由はあるのか?」


畑の何気ない質問に油井が答えた。


「害はないというのも、ここにいる鎧武者の霊の殆どが時間の経過と共に心の傷も癒えている。しかし、まだまだ戦っているんだという意識が抜けていないだけ。勿論ポニーも。こういう古戦場には必ずファイティングスピリットという、死してもなお最後まで戦い抜こうという精神がある。己の死を理解はしているが、それでも譲れないプライドというのかな、この時代だから武将の指示に最期まで従いたとえ身が滅んでも戦い続けて忠誠を誓う、その精神が今もなおこの地には残っている。」


油井が畑の質問に分かりやすく答えた後、「石田三成の陣地だった場所にまで足を運ぶとさらに空気は変わってくるだろう。写真のオーブが撮れる可能性もある。そちらは大将の石田三成が斬首されたということもあり仲間の裏切りもあったことからも悔しさがあってもおかしくはない。今はまだ決戦地の付近をウロチョロしているだけだし、地図上で見る石田三成の陣地のほうへと行ってみようか。」と切り出すと、その答えを聞いた村田は「まあ確かにな。冷気を感じるだけでは視聴者は納得しないからね。しっかりと証拠になるものを心霊エンターティナーとして残さないといけないしね。」と言うと、一同は石田三成の陣地があった笹尾山へと向けて移動することにした。陣地がある方向へと歩き進んでゆくにつれ冷気を感じるのは相変わらずではあったが、ただそれだけで明確な心霊現象とは出くわせずにいた。


歩き進んでゆくと次第に地図上で見ると島左近陣跡とされる場所に辿り着くと、油井が立ち止まり「決戦地にいたときよりも明らかに鎧を着ながら動いた際に聞こえてくる”ガシャリガシャリ”って音が遠くから聞こえてきた。これは一人や二人のレベルじゃないな。秩父、音声で拾えていないか?」と秩父に訊ねると後ろにいた秩父は「確かに、ヘッドフォン越しではあったが鎧武者が複数名動いたような音が確かに入っている。」と答えると、油井の隣にいた村田が「さっき、山のほうから雄叫びのようなうぉー!って声が聞こえてきたけど、俺達以外にここに来ている人がいるってことなのか?」と油井に気付いたいことをを話すと、油井は「仮にもし俺達以外に肝試し目的で訪れている輩がいたとしたら、この時間帯で街灯も殆ど無いこの場所で懐中電灯も無しに雄叫びを上げる馬鹿はいない。石田三成の陣地だった場所を目指して階段を登って真相を確かめるしかない。」と言うと、斧落が「待って!陣地に向かうまでにまずは今いる島左近陣跡や左隣に位置する蒲生郷舎陣跡の写真撮影を何枚か撮ってから笹尾山・馬防柵、最終目的地の笹尾山・石田三成陣地跡へと向かいましょう。ここに来てから寒気はするのは変わらずだけどもはっきりと雄叫びが聞こえてきた。これはここにいる鎧武者の霊達が撮影目的に訪れたわたしたちに対して何か訴えているっていうサインの一つかもしれない。霊達が何を訴えたいのか、それも探りながら、写真を一枚一枚撮っていって確かめながら進行しよう。」と油井に対して提案すると、油井は「鎧武者の霊達の訴えが何なのか、雄叫びが聞こえてくるという事はつまり、まだ死してもなお戦い続けているという事ではあるんだけどね。それか死んでいることすら自覚できないまま戦い続けているのかのどちらかなんだよね。少なくとも、あの雄叫びは一人や二人ではない、百人以上いやもっと多くの人たちが一斉に声を上げないとあんな声は聞こえたりはしない、つまりまだここには鎧武者の霊達が彷徨っているってことなんだよ。」と話すと、一同はそれぞれ気になった箇所をスマホや持っているカメラ等で写真撮影をしたところで、階段を登ることにした。


階段を登っている最中でも更に雄叫びのような声が聞こえるのだった。


”ウオー!ウオー!”


先程いた場所より明らかに声のトーンが大きくまた近づいて来ていることに、秩父が油井に「段々と声のトーンが大きくなってきているという事は、俺達は雄叫びのような声を発している主のところへと近付いているってことだよな?」と確認のために訊ねると、油井は「ああ。近づいている。それに懐中電灯で照らした先が地図上で見ると笹尾山・馬防柵ってところになるんだけど、あのあたりにポニーのような、動物霊が1頭、2頭、3頭ぐらいは見えるかな。」と話すと後ろにいた畑が「見ている人は心霊好きであって、何でここにポニーの動物霊が見えるのか分からないと思うからしっかりとそこは説明をしたほうが良いよ。」と助言すると、村田が油井に対して「ここは俺が説明しておくよ。」と話すと、油井の代わりに説明を行った。


「時代劇や歴史ドラマとかで俳優が立派な白馬を乗り回すシーンが多いため、実際にもそういった形で戦われたのでは?と想像される方が多いかと思うけど、戦国時代、とりわけ安土桃山時代とされる時代の日本人の身長は非常に低かった。一番背が高かった前田利家で推定182cm、次いで高かったのが織田信長で推定170cmと現代日本人と大して変わらない背丈の武将もいたが、推定の平均身長は157cmと低かった。当時の色々な食料事情もあるし、時代背景なども含め、現代と違い身長が伸びにくい環境であったことは間違いない。身長が低いほうが戦では身軽ということもあって有利だし、逃れたり攻撃しやすいというメリットも備わっていた。しかしながらこの身長で皆さんが思う馬に跨ると馬のほうが背丈があるわけだから当然ながら届かずに戦闘用には不向き。という事でこの時代に大活躍をしていたのは馬ではなく実は小型馬のポニーだったんだよね。そうじゃなかったら多分一瞬でやられてしまうだろう。」


村田の説明を聞いた油井が「さすが。俺よりも説明が凄くわかりやすかった。」と褒めちぎると、村田が「いやいや。前もって調べてきたことを話しただけに過ぎないから。」と言って謙遜すると、歩きながらも気になった箇所を写真撮影しながらゆっくりと歩き進んでゆくにつれ、次に検証を行う笹尾山・馬防柵に到着した。


早速甲州が気になった箇所で写真撮影を行い始めると、油井が「何だろう、雄叫びのような声は引き続き聞こえては来るんだけども、再びあの鎧を着て動いた際に聞こえてくるあの”ガシャリガシャリ”という音が更に聞こえてくるようになってきた。」と話すと、背後で冷静にライブ配信を続けていた後藤が油井に対して「油井、さっきから気が付いていないのか?」と何気ない口調で訊ねると油井は「何だよ!何に気が付いたって言うんだよ!」と質問すると、後藤は「見えるんだ。俺達の周りを囲む鎧兜からの下は本当に口ぐらいしか見えないんだけどさ、明らかに怒りの感情を露わにしている鎧武者の霊達が、百人どころじゃない、数千人はいる。俺達は囲まれてしまったんだ。こんな時間帯にライブ配信を行ったことで、本来なら戦いをせず寝たりするこの時間帯に足を運んだことで”非常識な奴ら”と思われたのかもしれない。」と後藤なりの見解を語ると、油井はすぐさま霊視を開始して状況を確認することにした。


後藤の言葉を聞いた秩父が「怒りの感情を露わにしている。そうかだから、さっきから寒気がするのは続いているけども同時に雄叫びのような声だったり、ガシャリガシャリと鎧を身に纏った人が動いたような音が聞こえてきたわけか。」と話すと、油井はハッとなって「さっきからずっと黒い集団がいるなと思いながら見ていたけども、これが鎧武者の霊達の集団だったわけか。」と気が付くと、後藤が「それだよ。黒い集団をよくよく見ていたらさあの鎧を身に纏った鎧武者の霊達の集団が俺達を物凄い形相で睨み付けてきたのさ。暗いからこそ余計黒い集団に見えてしまうが、よくよく見ると鎧武者の霊だったんだよ。」と答えると、二人のやり取りをじっと聞いて居た村田が「ここで囲まれたら更に上へ登っていけばどうなる?まさかと思うが石田三成の霊とも遭遇できるとでもいうのか?」と話すと、後藤は「それはないだろう。裏切りが現れて東軍の徳川家康に形勢逆転をすることが難しいとみて負けを認め斬首されたのだから、この世に対する未練はもうないはずだ。今頃きっと輪廻転生をして違う一人の人生として歩みを進めているはずだ。まあこんなゲームにしか現れないキャラクターが実際に霊として現れてくれたのならば俺達としてはこの上なく幸せとしか言いようがないんだけどね。」と笑いながら話すと、油井は「それだったら俺はここで死んではいないけども徳川家康の霊と会ってみたい!霊と話すことはできないけどもでもきっと凄いオーラを持っているに違いない!」と語ると、それを聞いた秩父が笑いながら「ゲームなら幾らでも会えるぞ。」と言って突っ込むと、一同はハハハと笑いながらその場で不審な音や声が聞こえた場所など気になった箇所を写真撮影し終えたところで更に笹尾山の頂上にある最終目的地の石田三成陣地跡へと向け移動する。


その間にも甲州が歩きながら持っているタブレットでライブ配信を見ている視聴者のコメントを見ながら油井と村田に対して「反響が結構大きいよ。音が聞こえてくるのもはっきりと聞こえたというのもあるし、中には400年以上も前に死んでいるのに今もなお霊としてこの世に現れるのかという驚きの声もあったりする。霊感が強い人のコメントも寄せられているよ、ユーザー名が幽霊警察24時さんという方なんだけどその方が投稿してくれた内容が非常に興味深い。」と話すと、油井は「その方のコメントなら先程スマホで見たけど、多分この人霊能者じゃないのかなと思うコメントだったな。確か”ここには数多の鎧武者の霊が彷徨っている。それは徳川家康が大将となって率いた東軍の武者のみならず、石田三成が大将となり率いた西軍の武者、ここには数え切れぬほどの武者の御霊が戦いが終わってもなお、己のプライドが負けとは認めたくないがために戦い続けている。戦場跡ではそういう御霊が、ここに限らずとも関ケ原古戦場跡のほかにもこの近辺ならば長久手古戦場跡(愛知県・長久手市)や桶狭間古戦場公園(愛知県・名古屋市緑区)、長篠の戦いの古戦場がある信玄塚(愛知県・新城市)では今でも武者の霊の目撃談が寄せられている。時代は変わってゆくが、その地で自らの身が滅んでもなお忠誠を誓ったからこそ最後まで戦い続けようとする武者の御霊達に心から尊敬したい”とあったな。」と投稿されていた内容を語り始めると、その内容を聞いた村田は「それって多分だけどさ、饗庭さんっぽくない?まあ公務員だしこんな時間帯に果たして起きて俺達のライブ配信を見ているかとなると分からない所なんだけどさ、何か内容を聞いて居たらそんな気がしてきた。警察と言っているから多分、弟の侑斗さんじゃなくてお兄さんのほうじゃないかな。」と思ったことを話すと、油井は「星弥さんの可能性のほうが十分あり得るな。ある霊能者は死後100年以上経つと、霊としてたとえ現れたとしてもドロドロの土人形のような姿で現れるともいう持論を展開している人がいたけども俺達や饗庭さんが見た鎧武者の霊達はドロドロの土人形なんかじゃなかった。見た感じが黒い影の集団にも見えるが、よくよく見ると鎧兜を被り甲冑を着ている。甲冑や鎧兜が黒いからこそ余計に黒い集団に見えてしまうだけで、今にも刀で斬りつけられてしまいそうな、生き生きとしていた。自らの死は理解していたとしても、やはり饗庭さんが行ったように忠誠を誓ったからこそ最後までその忠誠を守り抜くというのが武士の精神なのかな、だとしたら”もう戦は終わった”と言うべきなんだろうけども、でもここにいる霊達には通用しないことなんだろうね。だとしたら見てしまった我々はその様子を温かく見守り、そして手を合わせ供養の気持ちを捧げる。供養してリスペクトをする気持ちが一番大事なことなんじゃないかと饗庭さんは話しているような気がする。」と持論を展開すると、後藤は「そのほうが一番良いかもしれない。最初に油井が決戦の地で語ってくれた、害は与えないというのもその通りかもしれない。ここには与えられた任務に対してやり遂げようとする強い覚悟で現代もなお争いを止めない兵(つわもの)達の戦が繰り広げられているのだからね。」と話すと、一同は歩き進んでゆくにつれ、ようやく最終目的地の笹尾山・石田三成陣地跡へと到着すると待ち受けた黒い甲冑姿の武者達の霊に対して改めて両手を合わせ拝み終えると、笹尾山を後にして駐車場へと戻り車に乗り込むと、心霊スポットではないが東首塚と西首塚に足を運んでみることにしたのだった。


まず東首塚から足を運ぶことにした一同は早速本殿へと向かい参拝を済ませてから写真撮影を行った後に西首塚へと向け出発することにした。


車内では心霊写真が撮れていないかどうかを確認しながら検証しているとあっという間に西首塚へと到着し、ここでも本殿へ先ずは両手を合わせ黙祷を捧げてから境内の中を写真撮影した。そしてある程度見終えたと油井が判断したところで、西首塚の敷地内で関ケ原の肝試しライブ配信を終了させると時刻は22時30分を過ぎていた。


スマホの時計を見ながら杉沢村が「今から次の肝試しライブ配信を行う新旅足橋(岐阜県・加茂郡八百津町)へは1時間21分程かかる。到着したら日付が変わってしまって6月14日深夜の肝試しライブ配信になる。」と話すと、油井は「ちょっとゆっくりしすぎたかな?でもこれぐらい徹底的に調査をしたほうが視聴者も見ごたえのある映像や音声が撮れたと思ってくれるだろうし、次に向かう新旅足橋ではさらに恐怖で震え上がらせるほどの映像が撮りたいし見てみたい。来週の土曜日は確か監督、20日の土曜日に先ず向かうのが長久手古戦場公園へ先ず行った後に、カメラの顔認証が反応するかしないか中之院軍人墓地で肝試しライブ配信、そして翌週にはなぜか兵庫県のミステリースポット巡りで樋の池の”手っちゃん”(兵庫県・西宮市)と弁天池の牛女(兵庫県・西宮市)でのミステリーライブ配信って肝試しじゃなくてミステリーかよって突っ込まれるところだけど、果たしてこれ夜にやる意義ってあるのか?」と首を傾げ始めると、杉沢村が「一応ミステリーと題しているけど、心霊スポットでもあるからね。ただ伝わる心霊の噂の内容がミステリーなだけで、兵庫県で本当にミステリーを確かめたいのならばただひたすら六甲山で目撃談が多いとされるUFOを探すとかになるけど、我々としてはやはり本当に怖いというのは勿論のこと心霊ミステリーたる謎解きも今後はライブ配信を通して行っていきたい。」と話すと、油井は「それも一応心霊スポットとしての真偽を確かめるためには必要なことだからね。とりあえずこんなところでダラダラと喋ってないで次の新旅足橋へと向かおうか。」と言って停めていた車のところへと戻ろうとしているときに、西首塚で畑がスマホで撮影した画像を見ていると油井に「何かカメラのフラッシュでも何でもないのが写り込んでいる。」と言って指摘をすると、すぐさま車の中に入って確認することにするとそこには本殿へと向かう参道で撮影された写真には赤いオーブのような閃光がシュッと横切っているのが写し出されていた。


油井が畑に「ちょっと画像を拡大してほしい。」と言って頼み込むと、畑は「わかった。拡大してみる。」と話して画像を拡大するとそこには当時の武者の一人だっただろう男性が物凄い剣幕で睨み付けながら横切っていたのだった。


その画像を見た油井は畑に「その画像、LINEで俺に転送して。饗庭さんに視てもらう必要がある。何か良くない奴の可能性のほうが十分高いような気がしてならない。ひょっとすると俺達は非常に怒られたのかもしれない。霊能者ならばどうジャッジするのか、御祓いが必要だという見立てになるかもしれない。新旅足橋へと到着するまでにだ!」と言って指示を出すと、畑は「お、おう。わかった。」といってすぐさま撮影した画像を転送する準備に取り掛かりLINEのアプリを開いて油井に画像を転送したところで、油井に「画像を送ったよ。」と言って話すと、油井はすぐさまスマホを確認して「ああ来てる、来てる。すぐ饗庭さんに送らないと。」と話してから饗庭兄弟にLINEで画像を添付し”視てください”と題してメッセージを送信し終えてから次の目的地である新旅足橋へと向け出発した。

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