2026年5月5日火曜日 AM10:00
甲州と斧落の明るい肝試しの女子部は大坂峠で行う明るい時間帯の肝試しを行うために峠道に入る分岐点のところでいったんレンタカーを停車させた状態でナレーターを務める斧落がカメラを前にライブ配信を開始していた。
「皆さん、おはようございます!斧落です!昨日まで霊能者の饗庭さんと吉岡さんが一緒に帯同してくれていたのですが、今日からはわたしとむっちゃんで大坂峠での明るい時間帯での肝試しを行いたいと思いますので、最後までお付き合いして頂けたらとても嬉しいので宜しくお願いします。今回四国に入ってから初めてですね、今まで霊能者の饗庭さんと吉岡さんが一緒にいましたが、今回からはわたしたち明るい肝試し女子部としての活動になります。多分慰霊の旅路さんで近日中に配信されるかどうか分かりませんけども、配信される動画を見て頂けたら分かるかと思いますが、饗庭さんと吉岡さんは四国でも有名な心霊廃墟のほうに出向かれるため、わたしたち女子が探索するにはあまりにも危険すぎるから同行しないほうが良い、とのことで、仲違いをしたわけではなく、物理的な危険があるために徳島県からは別行動という形になりました。話が長々となりましたが、これから先わたしたち女子部が行う肝試し検証として、大坂峠を終えたら肝試しライブ配信最終日となる5月6日水曜日には香川県へと移動して、名物の讃岐うどんを堪能しながら、香川で有名な心霊スポットを巡っていきたいと思います。香川では首切峠、林田港、長崎の鼻の3か所を巡っていきたいと思いますので引き続き注目して頂けたら嬉しいので宜しくお願いします。」
斧落が一通りの説明をしたところで、ハンドルを握る甲州が「メイサちゃん、そろそろ峠道に向かって行っても良いかな?」と訊ねると、斧落は「良いよ!一通りの説明が出来たから後は本当に心霊現象が起きるか否かを大坂峠で確認する必要があるからね。ゆっくりとした速度で進んでいってね。」と話すと、甲州は「わかった。」と答え再びエンジンのスイッチを押して起動すると、峠道をゆっくりとした速度で侵入しながら突き進むことにした。その間、助手席にあらかじめセットしたカメラを前に斧落は大坂峠に纏わる怪異譚について説明をし始めた。
「大坂峠は、香川県と徳島県をまたがる県境に位置し昔から心霊スポットとしても知られている場所の一つです。噂される怪異譚としては、首なしライダー、道路脇に立つ女性の霊、峠道で命を落とした者の幽霊が出る等、様々な噂があります。因みに変わった噂話の一つには首なしの白バイ隊員が出るというのもあるそうです。また峠道には無数のお地蔵様が設置されており、ここで命を落とした者たちの霊魂を弔うために建てられたのではという話があります。そのほかには、トンネル工事を行った際に殉職された方の霊が出る、カーブミラーにおじさんかおばさんが追いかけてくる、血濡れのライダーが走っている、山頂付近にあるあせびの路という脇道では、詳細な時代まではわかっていないみたいなんですけども一家心中があったとも言われています。今回歩いていくにはかなりの距離を歩くために時短のために車で大坂峠を走破したいと思います。そこで噂される怪異譚が本当に現れるのか、一部情報によると夜中に峠道を車で通過していると後ろから無人の車に追いかけられるなどもあり、怪異譚の話となると本当に様々な内容の話があるために、ここだけに留めておきますが、今峠道を30kmぐらいの速度でゆったりと走っているのですが、助手席から見る限りでは峠道ならではのヘアピンカーブが続いている印象がありますね。これはさすがに山道の走行に不慣れな方はあまりドライブにはおススメできないという感じですかね。むっちゃんは走ってみてどう感じた?」
斧落に訊ねられた甲州は「運転していたらすごくわかるんだけど、確かにここは山道走行に不慣れなら絶対この道を通るのは避けたほうが良い。そんな印象を受けた。わたしも可能な限り調べてみたんだけど、ここって色々な噂があって、大坂峠の開通工事を行った際に多数の殉職者を出していたりとか、あとは走り屋が多かったために事故が多発していたとも、峠道の所々に無縁仏や地蔵様があるのはそのためとも言われているみたい。あと、昔話としてはこの辺り一帯が怨霊が渦巻いているとも、それが原因で心霊現象を起こすとも言われており、この地に眠る”何か”に対して愚弄するような行為は慎んだほうが良いとも、そういうのもあったね。」といって回答すると、斧落は「あ~、その情報ならわたしも見た。深夜に峠道を通過すると無人の車に追いかけられる、首なしライダーや女性の霊を目撃するとか、峠道を開通した際の工事で殉職された方や、事故に遭った走り屋が多かったために、無縁仏や地蔵様が設置されたとか、周辺には公園と展望台があるぐらいで民家は全くなく人通りも少ないために気味が悪い場所の一つではあるね。」と話すと、甲州は「今運転しながら、色々なことを想像していたんだけど、走り屋による事故が多かったってことは、つまり首なしライダーは走り屋の可能性のほうが高いってことだよね。スピードを出し過ぎてガードレールに直撃した結果、首から下が切断され即死したという都市伝説の話もどこか忘れちゃったけどあったぐらい、走り屋が好んで走っていたような場所ほどそういう怪異譚があるような気がするんだけどね。」と斧落に対して話すと、斧落は「むっちゃんは車を運転しているから気付かないかもしれないけど、わたしはさっきから崖側から誰か下から覗き込んでいるっていうのか、凄く視線を感じるんだけどね。これだけ道が曲がりくねっているというのもあるし、走り屋が好んで速度を競い合うのも何だかよくわかるような場所の一つではあるけども、今回はその走り屋の霊の可能性のほうが濃厚じゃないかなって思う。こんな山道、よっぽどここの峠に用が無ければ地元の人なら避けて通るはずの道だし、怨霊云々の話もあったけどそれは恐らくなんだけど、ここに無縁仏やお地蔵様があるからそう思われているだけに過ぎないのかもしれない。大坂峠の開通工事ってそもそもいつの時代かも分からぬような話だから、歴史が分かるあせび公園へと向け移動しよう。多分そこだと思うんだけど、展望台での死体遺棄事件があったというところも徹底的に検証を行いたい、まず目指そう。」と提案して二人はあせび公園へと向かう道へと移動することにした。
案内板を頼りにあせび公園への道のりを突き進んでいくうちにやがて左手のほうに噂にあったお地蔵様を発見することが出来た。
斧落が入ってすぐのお地蔵様を見つけると、甲州に対して「止まって欲しい。お地蔵様があった!」と話しかけると、すぐさま車を一旦停車させて確認することにした。
甲州がお地蔵様のところへと近付くと「噂では正確な数字までは把握していないとかそんな話だったと思うけども、確かそんな話だったよね?」と確認のために訊ねると念のために付近を調べ始めていた斧落が「ここにも2体目のお地蔵様があるよ。ここなんじゃないかな。お地蔵様が複数あるとされているのは、上がって見てさらに確認しよう。」といって返事をすると再び車へと戻って出発することにした。
車の中で斧落が「カウンターを持ってきておいてよかった。わたしが最初に見た1体目、2体目だけじゃなかった。3体目、4体目、5体目と祀られていて、いま数えただけでも20体以上あることがわかった。この数は異常だし、何なんだろう・・・?」と話すと、甲州は「それだけここが、多くの人が亡くなっているってことなんでしょう?だったらそれだけの弔うためにも1つだけじゃ足りないってことでしょ?」と話すと斧落は「だとしても、この距離でこの数は異常すぎる。何か他の、事故死者が多いとかそれ以外の目的があるような気がする。あせび公園へ着いたらわかるかもしれないね。」と答えると、二人の乗る車はあせび公園駐車場へと到着し停車をしたところであせび公園のある方向へと徒歩で移動することにした。
そこで改めて斧落のほうから甲州にお地蔵様が何体祀られてあったのかの説明を行うことにした。
「車の中で数えてみたんだけどトータルで30体ほどはあった。事故死者を弔っているというよりも、噂にもあったと思うけどここは開通させるために工事に携わった方が殉職されているという話があったから、そのために供養する目的があったのかもしれない。わたしたちが車を停めてきた先にある大坂峠展望台にも心霊の噂にもあった一家心中事件があったという家の話もこの辺り一帯が完全に山の上だし、果たして民家があったのかそれすら怪しい。」
斧落の説明を聞いた甲州は「一家心中は多分都市伝説のネタにしか過ぎないんじゃないかな?それよりも大阪峠(スマホを斧落に見せながら)で調べたらこんな情報が出てきたよ。大坂峠は平安時代からあったとも言われ、この峠を越えることを大坂越えとも言われていたみたい。だけどそのほかの情報を見てみると、大坂峠を開通させるにあたり多数の作業員が亡くなったと言われ道路脇には無縁仏や地蔵尊が多数見受けられる。夜中にこの峠道を通ると無人の車に追いかけられる、首なしのライダーや白バイの隊員も出てくる、道路脇に女性の霊が立っている、大坂峠の開通工事に多数の死者を出した、走り屋が多かった時代に多数の事故が多発していたために供養目的で設置されたとも、昔から怨霊が渦巻いている地でよく心霊現象が多発していたとも言われ、この地に眠る者を愚弄するようなことは慎んだほうが良いっていうのも、結局伝わっている怪異譚の多くは曖昧な噂話の一つが出回っているに過ぎないかもしれないね。具体的なこれを見ました的な情報がないと、何が起こってというのが今の段階では伝わらない。メイサちゃんが教えてくれた崖からの視線ってのも、それが心霊映像として記録で残っていたら証拠として残せられるんだけど、今のままでは緑豊かな癒しスポットでした!で終わりかねないな。」と悩みながら話すと、斧落は「とりあえず可能な限り、情報を集めて調べよう。わたしたちで出来る限り、噂の真偽を徹底的に解決させてこれは噂に過ぎないとかはっきりさせる必要がある。」と言い切った後、二人はあせび公園に到着する。
斧落が甲州に「見た感じは公衆トイレが目の前にあって、あせび公園展望台と大坂峠展望台へ行く道の案内板がある。まずはあせび公園展望台に行って心霊が撮れそうな場所で写真撮影の検証をした後に、次に大坂峠展望台へ行って写真検証を終えたら死体遺棄事件があったとされる大坂峠展望台と付近の大坂峠パラグライダー場にも行って、そこでも心霊検証を終えたら大坂峠での肝試し検証を終了させようか。多分歩いているうちに何かしらの異変があるはずだと思うし、粘り強く検証を続けていこう。ここは幽霊が出てくると確信している。」といって話すと、甲州は「何だかバッティングで終わりそうな感じがするんだけどね。まあいいか。メイサちゃんがそこまで見たい理由も分からないんだけど、納得するまで付き合うよ。」と言って理解を示すと斧落は「地元民じゃなかったら誰も知らないような場所だからこそ調べ甲斐があるしこういう人気がない場所には当然ながら幽霊が出てくる可能性も大いにある。ここを検証の地として選んだのは来るまでにあった無数のお地蔵様が祀られた先にあるから果たしてここには何があるのか、確認をするのは肝試し調査員として欠かせないミッションでしょ?」というと、甲州は「立ち止まったときに霊山のって表記が石碑にもあったのを思い出してほしい。ここは事故云々よりも、ここの山が霊山として祀られているからお地蔵様が設置されているとか、そんな感じも否定できないと思うよ。」と思ったことを口にすると、斧落は「むっちゃんの言っていることも否定はできないね。その可能性も大いにあり得るから、でもそれならば行くまでにわたしが視てきたあの崖の下から覗く人々の視線の説明がつかないんだよね。あれだけがどうも、見ている視聴者の方々もわたしが話したことをわたしが視聴者に対してうまく説明が出来なければ単なる思い込みの一つとしか思われてもしょうがない。可能な限り、何がそうさせているのかを知りたい。証拠を掴みたいんだ。」と話すと、最初の目的地であるあせび公園展望台へと到着すると、あせび公園展望台から眺める播磨灘の絶景に二人は思わず食い入るように眺めるのだった。
甲州が「メイサちゃん、まさかこれが見たくてここに来たとかじゃないよね?」と笑いながら話すと、斧落は「ちっ、違うよ。確かにすんごくインスタ映えしそうな絶景だし、心霊的な要素はここでは何一つ感じることはできない。とりあえず心霊写真が撮れそうなか所で写真を撮ってから、次の大坂峠展望台へと向かおう。ここなら収穫があるはずだと思いたい。」と話すと、あせび公園展望台を後にして大坂峠展望台へと向かうことにした。
二人が大坂峠展望台がある方向へと移動している途中で、甲州が「メイサちゃん、興味深い情報がウィキペディアに掲載されてあったよ。ウィキペディアのアプリを開いて記事の内容を読んでみて気になったのが幾つかあって、源義経の峠越えがここらしい。1186年(文治2年)2月に『十七日の卯の刻に阿波の勝浦に着きけり』と『平家物語』に出ている源義経の率いる一軍は、翌18日(19日という説もある)にかけての深夜にこの大坂峠を越えたといわれ、同書巻11には、『その日は阿波の国板東、板西行き過ぎて、阿波と讃岐とのさかひなる大坂峠といふ所にうち下がって』とある。『源平盛衰記』によると、義経一行は、峠越えの直前に、現在の大寺にある金泉寺に夜遅く立ち寄った。その頃、近くの住民が観音講で馳走を並べていたが、義経一行の軍馬の音に驚いて逃げてしまった。義経らはその馳走を食べ、峠越えの腹ごしらえをしたという。義経軍勢は、ほぼ一日間で阿波の国の吉野川下流を駆け抜けて、讃岐山脈を越えたのであるが、この峠越えのほかにもその通過したと考えられている道が二か所ある。一つは、現在の美馬市脇町から高松市へ通ずる清水越(国道193号)、もう一つは、板野郡上板町から東かがわ市への大山越である。大山越の本県側には、大山寺があり義経に関する言い伝えが残っている。さらに徳島藩政では、1585年(天正13年)、豊臣秀吉の命令による豊臣秀長の主力勢は、淡路島から土佐泊(現鳴門市鳴門町土佐泊浦)へ、蜂須賀軍勢を含む大軍は、讃岐から峠越えで阿波に入り、秀長軍と合流して一宮城(現徳島市一宮町)を攻略したという。蜂須賀家が支配する徳島藩の重要な関所として、峠道への山路にかかる地点に大坂口御番所(峠より1km余の地点)が、1644年(正保元年)から1872年(明治5年)までの約230年間、通行人と物資の出入りを見張った。また、四国八十八箇所巡礼において、行路の都合で途中の札所から遍路を始めて88番大窪寺から1番霊山寺に向かうことになった場合には大坂峠越えが用いられるようになった。明治以降では、1874年(明治7年)から1875年(明治8年)にかけて、この峠道は大改修が行われた。この旧道は現在ハイキングコースとなって、県境付近に展望台も設けられている。1916年(大正5年)、自動車の通行可能な新道が完成し、その後、1920年(大正9年)、国道22号に指定された。1935年(昭和10年)には、関所跡のある東谷を通って鉄道が開通し、難所であった峠道は、現在のJR高徳線大坂山トンネルによって解消された。また、1964年(昭和39年)に鳴門市北灘町経由の国道11号が整備、完成して、峠越えの自動車交通は激減し、現在は徳島県道・香川県道1号徳島引田線となっている。現在は峠のやや西を高松自動車道の大坂トンネルも通過している。この大坂トンネルは高松道が暫定2車線であった上に、上り線はトンネル出口まで5km以上にわたって上り坂が連続するため、渋滞の名所となっていたが、2019年2月に4車線化が完成し、渋滞も解消しているとあるね。」
(出典先:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』大坂峠より)
甲州の話を聞いた斧落は「そうか。大坂峠の開通工事の際に多数の殉職者が出たっていのは、ウィキペディアの情報を頼りにすると、恐らくだけど今はハイキングコースになっている1874年から1875年にかけて行われたという大改修工事のことを指しているんじゃないかな。それが心霊の話になったのだとしたら、明治時代の人、果たして当時わたしたち現代の人が思う作業員らしい作業着を着ての作業ってあったのだろうか?」と思わず首をかしげると、甲州は「それはないでしょ。あってもまだまだ着物文化が残る時代だし、作業着といっても今の人が思う作業着とは違うはずだよ。」と色々と議論し合いながらも大坂峠展望台に到着すると、確認のために心霊写真が撮れそうだと思った場所で写真を撮ってから、香川県東かがわ市にある大坂峠展望台と付近の大坂峠パラグライダー場へと向け移動した。
移動中の車内で心霊写真が撮れていないか斧落がカメラの画像を確認すると、車を運転する甲州に対して「うーん。やっぱり心霊写真らしきものは撮れていないなあ。」と呟くように話しかけると、甲州は「仕方ない。だってこれといって気味が悪いなとかそういう場所があの公衆トイレの嫌な雰囲気を醸し出している以外は何もなかったじゃない。」と話してしばらくたつと、徳島県から香川県へとる案内板を目にしたところで斧落が「おお!ついに香川県にやってきた~!」と声を上げると、甲州が「ついに香川県に上陸だね。」と笑いながら話すと、二人の乗る車は大坂峠展望台に先ず到着して駐車可能な場所に駐車をしてから展望台に足を運ぶと、再び海をじっと眺めると甲州が「何だか肝試しに来たのか、心霊観光に来たのか、それすらわからないなあ。とりあえずこのあたりが死体遺棄事件があったとされる場所なら、怪しいと思った場所に写真を撮って、さらに大坂峠パラグライダー場でも写真を撮ったらあとはもう何もないと思うから、大坂峠での肝試しライブ検証を終了させようか。」と打診すると、付近の写真撮影に夢中になっていた斧落は甲州の話に振り返りながら「わかった。もう香川に入ってきているし、今日のうちに首切峠にも行きたいからね。」というと、甲州も気になった箇所を撮影し終えたところで二人は展望台のところまで戻ってくるとそこで撮影した映像がバッティングだけで終わってしまったことのお詫びと視聴者への最後の挨拶を行い大坂峠でのライブ配信を終了させることにした。
一方、喝破道場の下見目的で休憩していた侑斗と吉岡は、ライブ配信された映像を見た吉岡は「明るい時間帯だから、心霊現象らしきってのもないですね。視線を感じる以外は特に何もなかったってことなんですかね。それにしても、あせび公園に行くまでの地蔵尊が気になりましたね。」と話すと、侑斗は「二人に霊能者が同行していなかったからこういう霊感が強い人が率直に思った結果になったのかもしれない。実はいたんだよ。あの周辺に限らずとも、何も死体遺棄事件があった香川の大坂峠展望台に行く必要性は無かった。」と言うと、侑斗なりの見立てを吉岡に対して説明した。
「地蔵尊が祀られているあの道こそが恐らく殉職者が出た道で間違いないだろう。御霊を弔うために地蔵尊が設置された。地蔵尊の造りから見ても、恐らく明治以降で間違いない。江戸とか、そんな古い時代のものではなさそう。それにその周辺で地蔵尊の写真を撮影した写真で気になったのが二人は気付いていなかったみたいだけど、この写真を見てほしい。これは事故死者とかではなく、恐らく明治時代の当時の作業員の御霊とみて良いだろう。地蔵尊の後ろにひっそりと写っているあたりからも、無念がまだ残っているってことだね。」と語ると、続いて二人が熱心に撮影した香川県にある大坂峠展望台の写真を霊視すると侑斗は「ここは何もない。殺された方が出てくるとかそういうわけではなさそうだ。ただ山で、地蔵尊が多く祀られていることからもこれから昇天されてゆく御霊達の霊道にもなっているのかもしれない。微弱な浮遊霊が多数見受けられる、それぐらいで怖さは微塵もないね。」と吉岡に対して話すと吉岡は「それ、僕も思いましたよ。少なくとも皆さんが思っているほど怖いっていう場所でもなさそうですね。ただ写真になかったのが残念なところでしたけど、あの映像を見る限りでは所々走り屋かローリング族っていうんですかね、それらしきやんちゃな若い男性が複数名いることからも、ここの怖さはこれかもしれませんね。」と語ると侑斗は「そうかもしれないね。やりたかったこと、いっぱいあっただろうに、己の愚行に対して死してもなお反省の気持ちがあって昇天できないってことだろう。そんな場所はここに限った話じゃないし、きっと時が経てば彼らの思いも和らいでいずれは向かうべき道に向かってくれると信じたい。」と話すと、甲州と斧落のライブ配信の映像を安堵の表情で見終えたのだった。
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